「ウェルビーイング ジャーニー 旅行記 in 郡上」 いのちが踊る旅
「よく生きるヒント」は郡上にある
良く、生きる
善く、生きる
好く、生きる
「よく生きる」とは何だろう。
生活者であること。その日を良く生きていること。
善意の人であること。自分を律し、他人に優しくあること。
好人物であること。お人好しで信じやすいが、自分を持っていること。
人類は長寿化し、先進国では、鉄も、車も、娯楽も飽和している。
2030年にはすべての国で需要が満ち足りるという予測もある。
「自分らしく、どう生きるのか?」が問われる時代。
第28代東京大学 総長 小宮山宏氏は、量的拡大よりも、生活や社会システムの質を追求する社会を「プラチナ社会」と定義した。
プラチナ社会で「よく生きる」とは何か。
ヒントは、「日本三大清流」で名高い長良川の源流域、郡上にあった。
ウェルビーイング ジャーニーとは
心と身体と社会がいい状態であること。
ウェルビーイングとは「肉体的」「精神的」「社会的」すべてに満たされた幸福な状態をいう。
「旅するなかでウェルビーイング・ESGをまなぶ、人をつなげる」
それがウェルビーイング ジャーニーのコンセプトだ。
今回の旅先は、岐阜県 郡上。
長良川の上流に位置し、霊峰白山の麓に降る雪と雨が何年もかけて湧き上がる水源は、聖地として多くの巡礼者が訪れる。
旅を案内してもらうのは、現代の祈禱師である「御師(おし)」として、郡上の魅力を伝える長良川カンパニーの皆さん。
それは、全身の感覚を研ぎ澄まして、いのちと対峙する、「生きること」そのものを問う旅だった。
今回の記事は、郡上の土地に、人に、書かされた。
清流と名水の城下町 郡上八幡
老いも若きも部外者も 無礼講の夜「郡上おどり」
いのちのゆらぎを取り戻せ
パソコンと向き合い、納期に追われ、効率をもとめる毎日。
仕事はオンラインで完結する。同僚の表情をしばらく見ていない。
身体感覚がマヒしている。呼吸が浅くなっている。
郡上にくると、からだの感覚が研ぎ澄まされるのがわかる。
人間は自然に生かされている一方で、自然に対し畏怖のような感情を抱いている。
郡上の山と川、そこに生きる万物は、人間に恵みを与えはぐくむ一方、厄災をもたらし、人間に常に立ちはだかる。
自然は〈死〉と〈生〉に直結している。
「生きるために、感じろ」とからだが本能的に教えてくれる。
いのちのゆらぎを感じる出来事が、ここではたくさん起こる。
喧噪とは無縁のサンクチュアリ
”祈り”という癒し
心身を慈しむ、脳疲労をリセットする
標高約700メートルの山間の集落・石徹白(いとしろ)地区。
清流に身を浸すため、わたしたちは河原へ向かった。
水は澄み、森の彩りを映し出している。瞬きを忘れるほどの清らかさだ。
8℃という外気温に最初は怖気づいたが、川岸に着いたとたん、気がつけば衣服を脱ぎ、誘い寄せられるように川の中へ身を投じていた。
目を見ひらき、全身の筋肉を硬直させる。しだいに呼吸が激しくなる。感覚がリセットされ、からだが水に溶け込んでいくような錯覚をおぼえる。
とつぜん、視界のなかの世界が傾いていった。
からだを制御できず、足場にしていた岩から滑り落ちた。
岸にあがろうと身をよじるが、言うことをきかない。息が、できない。
活動が停止するのを頭で感じながら、あらがうようにヘソの下にチカラを込めた。
もがきながら水を掻き、目に映るものに手を伸ばした。
やっとつかんだ岩肌はざらつき、爪の生えぎわに血がにじんだ。
「生きろ」とからだが教えてくれたのか、なんとか事なきを得た。
いのちがゆらいだ瞬間だった。
「死ぬことは、生きることと見つけたり」
あるお寺の副住職に教えていただいた。
〈死〉と向き合うことで〈生〉を意識することは、たしかにあった。
日本の原風景「豊かさとは何か」
先住者と移住者のつながり
旅の案内人である長良川カンパニーのメンバーの多くは、他の地域からの移住者だ。
代表の岡野春樹さんは、全国各地の課題解決を行うプロジェクトで日本中を飛び回ったあと、郡上への定住を決めた。
日本に素晴らしい土地は多くあるが、なぜ郡上を定住の地に選んだのか、興味を引かれた。
「郡上には、先住者が移住者を見守る環境があるんです。」
岡野さんがそう話すように、街道筋にある郡上は、旅人との交流が盛んで多様性を歓迎する土壌がある。
よその土地の人が来るのも去るのも、自然という考えが根底にある。
困っていれば手を貸すし、声をかけてこなければ見守る。溶け合うまで待つ。
土地の記憶と人々の営みの歴史。
郡上を知ることは、日本を知ること。
日本とのつながりを深めていく。
御師(おし)たちの粋な”はからい”により、石徹白(いとしろ)地区の住民の方と食卓を囲む機会をいただいた。
石徹白隼人さんはこの地で生まれ育ち、土地と人びとの生活を守ってきた。
幼少期に1,500人だった村の人口は、200人まで減り、小学校の全生徒が4人になった。
病院やコンビニが無くても、生活は成り立つ。
しかし、小学校がなくては、村が成り立たない。未来に希望がなくなる。
石徹白さんは、真摯にこの土地を想い、土地の生活を次につなぐため、移住者とひざを突き合わせながら未来を語る。その姿をみて、心に清流を感じた。
さいごに、石徹白さんにとって幸せとはなにかを聞いてみた。
「生きるのに一生懸命で、幸せは何かを考えたこともなかった。ただ、おいしい食べ物があることや、今日は天気がいいとか、目のまえの、ちょっとしたことに幸せを感じるのが大事だと思います。」
温かいまなざしで語るその姿に、自然とこうべを垂れていた。
ウェルビーイングに生きるとは
郡上の清らかな川に浸かり、森で遊び、仲間と焚火を囲むにつれ、「身体と意識が一致する感覚」を体感した。
生きるとは、感じること。考えること。
全身の感覚を研ぎ澄まして、いのちと対峙する。
身体性をとり戻す、感性を磨きなおす。
いのちのゆらぎを取り戻したあとには、思索と創造の泉が湧いてくる。
ウェルビーイングとはつまり、「生きること」そのものへの気力を養うことではないか。
嫌なことばかりの世の中でも、どうせ生きるなら、よく生きたい。幸せに生きたい。
いのちを喜ばせろ。踊りながら、生きろ。
「よく生きるヒント」は、郡上にある。
(編集・執筆 高橋 宏明)
Special Thanks
一般社団法人 長良川カンパニー
岡野 春樹 さん
下田 知幸 さん
由留木 正之 さん
大西 琢也 さん
井上 博斗 さん
木下 麻梨子 さん
最後までお読みいただいて本当にありがとうございます。
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