「ウェルビーイング ジャーニー 旅行記」 大自然のなかで地球の営みを感じる旅とは
夢のような時間だった。
朝の光が差すテラスで、優しさと温かさに包まれてテーブルを囲んでいた。
「美味しい」のひと言にたくさんの想いが込められ、感謝の気持ちで心が満たされていく。
感動を共有し合える仲間たちと、人や自然とのつながりの大切さ、本当の豊かさについて語り合う。どこまでも穏やかな時間が流れていた。
人が幸せを感じ、人生を自分らしく生きていると感じられるのはどんなときだろうか。
心かよう仲間がいて、夢や叶えたい想いを持ち、それぞれの良さを活かしながら尊重して認め合い、感謝の気持ちで満たされているときではないか。
旅をしながらその幸せを体感できる。
旅先で得たエッセンスを自分のものとして捉え、新たな行動を起こせるようになる。それがウェルビーイング ジャーニーの真髄だ。
「同じ経験と思い出を誰と共有できるか、そこからの学びや気づきが大切」
幸福学の研究者である前野マドカ氏はこう語る。
旅を通じてウェルビーイングの本質を学ぼう。
土地の恵みに触れる旅
私たちは旅をすることでその土地の文化や恵みに触れる。悠久の歴史や自然とつながり、新たな発見や心震える体験を通じて自分にとって大切なものと向き合ってきた。
「来ればわかる。わかる人には秒でわかる。」
今回の旅のアレンジャーはそう語り、私たちは熊本県南阿蘇村の地獄温泉をたずねた。
そこで目の当たりにしたのは大地のエネルギーと人々の営みの歴史だ。
”原点回帰”というラグジュアリー
江戸時代から200年つづく湯治場
旅と健康は一体である。ここ地獄温泉は、熊本を代表する名湯として知られ、200年以上も昔から湯治場として地元民を癒してきた。
温泉に滞在し、じっくりと自分自身に向き合い、心身を回復させる。
今回訪れた老舗旅館「青風荘」は、温泉ブームで観光地化した多くの温泉宿とは異なり、先代からつづく湯治場としての歴史をいまでも守りつづけている。
大地からのライジングエナジー
青風荘の名物「すずめの湯」に浸かってみる。
泉質は”強酸性硫黄温泉”。酸性泉と硫黄泉の効能を持ち、源泉そのものに入れる新鮮さゆえに温泉の持つ還元力が非常に高いありがたい温泉だ。
湯に入るとまず剥き出しの大地のエネルギーに圧倒される。
温度は44℃と確かに熱めなのだが、それだけでは説明できない何かがある。
「地震!?」
急に下から突き上げられる振動を感じ、緊張で身体がこわばる。
地震ではない。湧き続ける源泉のエネルギーで湯船が揺さぶられているのだ。
温泉を媒介にして大地の鼓動が体に響く。自分は地球の一部なのだと感じて心が温かく湧いてくる。
「湯が湧くところに人々は集まりそこでは皆平等である」
青風荘には、江戸末期の文化5年に奉行所より申し付けられた入浴の掟が掲げられている。
湯治はひとりよがりではできない。ここ地獄温泉では、身体の痛みや心の痛みを持つ方が、優しさに包まれてひと息つける場所であることを大切にしている。
訪れるだけでウェルビーイングになる場所には、その土地の魅力に加え、思いやりにあふれた人々の心を感じることができる。旅の感動を素晴らしい人と共有できれば、その旅は素晴らしいものになるはずだ。
同じ湯につかれば自然と距離が縮み心が通じ合う。
熊本藩の武士も湯のなかでは裃(かみしも)を脱いで互いに心通わせたに違いない。
シェフの想いと対峙する時間
青風荘では、地域の生産者がこだわり抜いた旬の食材を楽しめる。
ホストから語られる地産地消の物語に耳を傾けることで、土地や生産者とのつながりを感じることができる。心を込めて丁寧につくられた料理は食べる人の心を豊かにしてくれる。
「目の前のことに全力で感動することは幸福にとってとても重要な要素」と前野マドカ氏は言う。
土地で育まれた恵みへの感謝、シェフの想いが込められた料理の数々。心震えるたびに感性が研ぎ澄まされていく。
ここで提供されるものには、すべてに愛情と伝えたいストーリーがある。
地震による壊滅的な被害
2016年4月、最大震度7の地震が熊本を襲った。
地震後に降り続いた大雨によって南阿蘇村に大規模な土石流が発生。
温泉地区のみならず、居住地区全体が大きな被害を受けた。
140年の歴史を守ってきた老舗旅館は明治中期に建てられた歴史的な二階建て木造建築の本館から食堂、内湯に至るまで床上30センチまで土砂にまみれた。
「こちらは被災者だから、助けてもらえるのが当たり前だと思っていた。」被災当初は、復興への意欲と被害者意識の感情が渦巻いていた。
旅館を再建させようと、補助金の申請のために事業計画づくりや建設業者探しに走り回った。
しかし、当時は東日本大震災からの復興と東京五輪で建設資材や人件費が高騰。辞退する建設業者が後を絶たなかった。追い打ちをかけるように、再建を諦めたいと申し出る同業者が続出した。
復興したい想いとあきらめとの葛藤で何度も決意がゆれた。
そんななか、河津兄弟を突き動かしたのは、地獄温泉の歴史をつないできたご先祖の想いだった。
ご先祖と河津兄弟の魂(たましい)がつながった瞬間だった。
それ以来、湯治場として再建させる道に迷いはなくなった。
100年後も湯治場でありつづけるために
湯治場として再建させると心を決めてから、余計なものを削ぎ落とし、土地の恵みを活かすことだけを考えた。
土地の恵みは天から与えられたもの。ご先祖が阿蘇の恵みを守ってくれていたことに震災によって気づけた。これからは与えられたものを活かしたい。目先の利益ではなく100年続く豊かさを目指した。
河津兄弟の想いが実を結び、「青風荘」は2021年4月に本格的に再スタートした。
代表の誠さんに次の展望について聞いてみた。
「ご先祖が守ってきた阿蘇の土地の恵みと、多くの方の支えがあって再建することができましたので、今回の復興から得られたものを他の被災地の方にも伝えたいですね。」と話していただいた。
青風荘は河津兄弟のご家族を中心に営まれ、後を継ぐお子さん方は全国各地で修行に励んでいるのだという。
阿蘇の魅力は、湯治場を守る人々の想いとともに連綿と続いていくだろう。
湯治場を守ってきたご先祖の想い、河津兄弟の復興にかける想い、訪れる方へ伝えたい想いには、阿蘇の土地への感謝があふれている。
その想いがともに旅をした仲間のなかで共鳴し、新しい感動がはじまる予感がする。
「次に誰を連れて行きたいか」が浮かぶ旅だった。
(編集・執筆 高橋 宏明)
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