1973年のアラン・ホワイトさんと「ラムシャックル」
先月26日に亡くなったイエスのドラマー、アラン・ホワイト(Alan White)の想い出記事が続きます。
アラン・ホワイトがいかに幅広い音楽的なバックグラウンドを持っていたかを伺うことができる音源を発見した。米ジャズ・サックス奏者、エディ・ハリスが1974年にリリースした「E.H. in the U.K.」である。これは例のシンコーミュージックから出ていたイエス本のたかみひろし先生のディスコグラフィーでも紹介されていたアルバムで、黒人サックス奏者、エディ・ハリスがロンドンにやってきて当時のブリティッシュ・ロックのミュージシャンたちとセッションしたもの。ジェフ・ベックやスティーヴ・ウィンウッド、ズート・マネー、ボズ・バレル、イアン・ペイスといったかなり一流どころのミュージシャンたちに混ざってクリス・スクワイアとアラン・ホワイトが参加している。
録音は1973年、フュージョン/クロスオーバーよりも前の時代なのでなんとも言えない感じのジャズ・ロックなのだが冒頭の2曲のアラン・ホワイトのグルーヴィーなドラミングがいい感じ。この2曲はボズとのコンビネーションだ。3曲目と4曲目はディープ・パープルの名ドラマー、イアン・ペイスが叩いているのだがレゲエとかシャッフルビートがアランに比べて少し硬い感じがするのは気のせいだろうか。4曲目のジェフ・ベックのギターがさすがだけど。そして5曲目から再びアラン・ホワイトとクリス・スクワイアとのコンビになる。5曲目はバラードっぽいメロウな曲でなんとトニー・ケイが味のあるシンセソロを聴かせている。ちょっとファンキーでスティーヴィー・ワンダーっぽいトニーのシンセソロはバジャーの2ndとかあの頃だろうか。それにしても後の90125イエスの前哨戦がここにあったとは!
問題はアルバムラストの15分の長尺曲「Conversations Of Everything And Nothing」。トニー・ケイのヘンテコなシンセからスタート、クリスがラフな感じのジャムで絡んでくる。エディ・ハリスは当時エレクトリック・サックスに凝っていたそうでフリーキーなソロを繰り広げるがだんだんアラン・ホワイトもノッて来てクリスとともに盛り上げる。そして32分すぎから「サウンド・チェイサー」のイントロで聴けるようなタムとキックのコンビネーションソロを繰り広げるがなんとここでイギリス人ドラマーでは初?の6連符フレーズを叩きまくる。1973年のアラン・ホワイトがすでにスティーブ・ガッドやアルフォンス・ムザーンら北米のフュージョン第一線のドラマーたちと全く遜色ないプレイを聴かせていたことに驚愕する。後半はウィンウッドのエレピリフが盛り上げていって、クリスがあの音でファンキーなラインを弾いていて興味深いが、アラン・ホワイトの腰の入った太いビートがエンディングへと導いていく。まるでイエスではわざと押さえていたの?と思われるぐらいスケール感溢れる雄大なドラミングだ。
そして「ラムシャックル」(Ramshackled~1975年録音)もアラン・ホワイトの幅広い音楽性をまさに示した唯一のソロアルバムだ。参加ミュージシャンたちはアランがジョン・レノンやジョージ・ハリスンら大物アーティストたちに引っ張りだこになる前の在籍していたバンド、「グリフィン」の仲間たちだという。どうやらアランにとっては先輩格のミュージシャンらしく世話になった先輩たちに恩返しとばかり曲を提供させ演奏させる。ええ話やんけ。
各曲を聴いていこう。
サンバフィールでグルーヴィーな「Ooooh Baby (Goin To Pieces)」は抑えめなオルガンとアコギの刻みが後のUKレアグルーヴを思わせるかっこいいヴォーカルナンバー。2曲目「One Way Rag」は今聴くとシティポップですぜ!鈴木茂とかキリンジの未発表曲って言われても違和感の無いメロウなAOR曲。続く「Avakak」はちょっとスピリチュアルなムードを持ったジャズ・ロック。先のエディ・ハリスのセッションからイエス流の変拍子を昇華させた感じでかっこいい。この曲はラストの「Darkness」と繋がっているのでは個人的に思うがそれは考えすぎだろうか。「Song Of Innocence」はジョン・アンダーソンとスティーブ・ハウが参加したイエスファン対応曲、ちゃんとメロトロンとか使っているし。でもこれも細野晴臣のソロアルバムの曲ですって言っても信じる人がいるかもしれないぐらいエキゾチックな素敵な曲だ。「Giddy」は英国ソウル風味で素敵な小曲。途中から入ってくるデビッド・ベッドフォードのオーケストレーションがかっこいい。パンクロックの波に隠れてしまった後の英国AORの味わいを感じる。6曲目「Silly Woman」はレゲエナンバー。カリブ海音楽に強いアラン・ホワイトは後のレゲエブームをいち早く先取りしていたが当時のプログレ・ファンには最も理解しにくかった分野だろう。「Marching Into A Bottle」はキーボードのケニー・クラドックの小品。アコギと管楽器の可愛い室内楽風でとても気が利いている。「Everybody」も少しカリブ海が入った三連系の奇妙なリズムのロックナンバー。変拍子を変拍子に聴かせないアランのドラミングが興味深くリレイヤーの「錯乱の扉」中間の変拍子リフはパトリック・モラーツが持ち込んだものかと思っていたら実のところアラン・ホワイトによるものだったことがこの曲を聴くと分かる(パトリックが参加する前にベーシックトラックが録り終えていたと言うし)。ラストの「Darkness」は3パートで構成された組曲だがいうほど大げさなものではなくブルースっぽい三連系ロックで始まり途中から4拍子パートと絡む、そしてオーケストラが絡みながら静かな中間部を経て最後はヘンリーロウサーの哀愁のトランペットとバートバカラックのようなドラマチックなオーケストレーションで終わる。アランのドラムはシンプルなリズムキープだけ。だがとても心に残るドラマチックな曲でセンスの良い終わり方だ。
自分も「ラムシャックル」はずっと聴くのを避けていて90年代後半の再発リリースで初めて聴いた。その時は80年代末のアシッドジャズやUKソウルも体験し、実際に洋楽の仕事でコーデュロイやブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートなどと関わっていたので「ラムシャックル」の先鋭的なグルーヴの捉え方に改めて衝撃を受けた。さらに時を経て70年代イギリスのアンダーグラウンドなロックとソウル、R&Bも一通り聴くとなおさら当時のアラン・ホワイトのドラマーとしての進歩的なタイム感やリズム・フィール、そして音楽家としての器の大きさを知らされる。70年代末の「トーマト」では他のメンバーがニューウェイブに乗り切れていなかったイエスだがアランのドラミングが揺るがなかったことで、次の「ドラマ」でバグルスの二人を迎え入れ、さらに80年代に「ロンリー・ハート」で復活するまでクリス・スクワイアと共にイエスを支えたことになる。プログレッシヴ・ロックの1979年〜1981年の壁を乗り越えたのは先鋭的なリズム感覚を持ったドラマーがいたグループだけという持論があるがまたいずれどこかで語りたいと思う。
アラン・ホワイトに対して薄い知識で3つも記事を書いてしまったが最後にもう一つだけ気になることを書いておきたい。それはアラン・ホワイト初参加のイエスのスタジオ・レコーディング・アルバムである「海洋地形学の物語」の収録曲「儀式」のドラムソロ・パートだ。特に一度6連符連打ソロが終わってシンセサイザーのトリガーが反応しているパートの後にドラムとティンパニぽい音色でクリスが前段のベースソロで弾いたメロディらしきものをなぞる箇所がある。クライマックスのモデュレーションかけたメロトロンがかぶさってくる直前のパートだ。これはドラムキット(とパーカッション)でメロディを表現したものだったのだろうか。ビル・ブルーフォードがイエスの脱退を決意した理由の一つに「メンバーからドラムキットで音階を表現することを要求されたがそれは自分が望む表現ではなかった」と発言しているのを読んだ記憶がある。昔の雑誌の記事なので自分の思い違いの可能性もあるが「儀式」のあのパートが果たしてそうだったのかどうかと今だに気になる。そんなことを思う人はあまりいないかと思うがアラン・ホワイト、ヴァンゲリス、パトリック・モラーツとこの時期のイエスのワールドミュージック志向に対応する人材起用を思うと永遠に気になる事案であった。
R.I.P Alan White