カーペンターズはポップミュージックの発明
前回は思い切り自分語りの記事になってしまいましたがカーペンターズの初期のアルバムを聴き返して気づいたあることについて書いてみたいと思います。ちょうど記事を書いている時にバート・バカラックさんの訃報も入ってきました。ご冥福をお祈りいたします。
1969年10月9日にリリースされたカーペンターズのデビュー・アルバム「涙の乗車券」は「クリムゾンキングの宮殿」の前日のリリースとなります。「宮殿」と同じ時代だったのかとちょっと意外でした。というのは同じ録音時期とは思えないぐらいカーペンターズの「涙の乗車券」は多重録音技術、特に幾層にも重ねられた美しいカレン&リチャードのコーラスが各曲に多用されていました。カーペンターズはデビューアルバムから全てのヴォーカルトラックとコーラストラックがずば抜けています。カレン・カーペンターのヴォーカリストとして力量が桁違いなのはもちろんですが、ダブル・トラック処理、エコーの分量を含めたミキシングテクニックが最初からもの凄いのです。デビュー・アルバム「涙の乗車券」についてはリチャード・カーペンターのヴォーカル曲も多いのですが彼のヴォーカルも魅力が引き立つようにカレンとの絶妙なコーラスが施されています。
当時のレコーディング機材は最新でも8トラックのアナログ・マルチ・レコーダーだったと思われます。同じ初の本格的スタジオレコーディングのキング・クリムゾンとカーペンターズ、バンドで音を重ねていったクリムゾンに対しカーペンターズは一流のスタジオ・ミュージシャンを使って一発で録音出来るトラック数が多かったので当然といえば当然ですが、それにしてもリチャード・カーペンターの耳の良さとデビューアルバムにしてプロフェッショナル・スタジオでのレコーディング&ダビングプロセスを充分に熟知したようなアレンジ能力は驚異的と云わざるをおえません。というのも有名セッション・ベーシストでレッキング・クルーの一人でもあるジョー・オズボーンがインディーズレーベルを立ち上げ若手アーティストを育成しようと目論んでおり、アマチュア時代のカーペンター兄妹の才能に惚れ込み自分のガレージスタジオを提供してくれました。そこでのデモテープ作りでレコーディング&アレンジのテクニックを磨いていたのは想像に難くありません。当時のデモテープは90年代に発売されたカーペンターズ初のCDボックス・セット「フロム・ザ・トップ」で発表、現在では「The Essential Collection」としてストリーミングでも公開されています。「Don't Be Afraid」「All I Can Do」「Invocation」といった曲が収められていますがほぼデビュー・アルバム「涙の乗車券」のレベルと変わらないクオリティです。前回の記事にも書きましたがこれを聴いたハーブ・アルバートが一発でカーペンターズとの契約を決めたのも有名な話です。
そしてカーペンターズの高度なアレンジ&レコーディングテクニックをさらに昇華させたのが翌年1970年にリリースした2ndシングル「遙かなる影」(They Long to Be) Close to You)です。この曲が選ばれるのにはちょっとした逸話があります。
「ビートルズ、ビーチボーイズ、バート・バカラックの3大B」としてバカラックを大好きなアーティストとして上げていたリチャード&カレンですが、同じA&Mの先輩としてハーブ・アルバートを介してついに巨匠に紹介してもらいます。カーペンターズを気に入ったバート・バカラックは自身が主宰するチャリティーコンサートの前座としてブッキング、兄妹はここで必殺のバカラック&デヴィッド・メドレーを披露しこれには巨匠も大満足、チャリティーコンサートは大成功に終わりました。そして次のシングルはバカラック曲にしようと意気込むハーブ・アルバートが持ってきたのが「遙かなる影」。元々は人気役者のリチャード・チェンバレンのために1963年に書かれた曲、1964年にディオンヌ・ワーウィックが、1967年にダスティン・スプリングフィールドがレコーディングし、バカラック本人も1968年にセルフカバーをしていますがさほどヒットには繋がっていません。実はリチャードは最初、この曲はあまり好きじゃなくてバカラック曲ならばもっと他にやりたいナンバーがあると考えていたようですが、ハーブ・アルバートはやる気満々。実はハーブ自身も「ディス・ガイ」に続くシングルとして密かにレコーディングしていたようです。その時のエピソードが語られた動画でオクラ入りなったハーブのサンバっぽいバージョンがちらっと流れます(このテイク、後にハーブ・アルバートの秘蔵音源集でストリーミング公開されていますw)。
Carpenters Segment on Herb Alpert Is... (2020)
ハーブ・アルバートの意気込みがすごかったのでまだまだ新米のリチャード&カレンは逆らえず渋々「遙かなる影」に取り組みました。カレンがドラムを叩いたテイクもあったようなのですが、ここでもう一人のカーペンターズの立役者となるジャズ・トランペッターでA&Mの制作部長だったジャック・ドハーティが名ドラマー、ハル・ブレインを連れてきます。どの時点でリズム解釈が変わったのかは不明ですが最も重要なポイントはトリブレットエイトビート(12拍子)だった原曲をリチャード・カーペンターはシャッフルに変更したことです。個人の考えですがここに60年代と70年代の境い目があったのだと思います。ハル・ブレインとジョー・オズボーンのレッキングクルーコンビのどっしりと太いリズム・セクションの土台に華麗なコーラスやオーケストレーション、そしてカレン・カーペンターの素晴らしいヴォーカルが完成するのです!
The Carpenters - Close To You (1970)
これはかなり初期のカーペンターズのMV、カレンがドラムセットに座ったまま歌ってます。カレンもリチャードもまだ素朴で可愛いです。映像もいわゆる「当て振り」ですが、興味深いのはカーペンターズはかなり初期からシングル曲は演奏フィルム、今で言うMusic Videoをちゃんと制作しています。初期のカーペンターズはカレンがドラムを叩きながら歌うことに拘っていたので「リードシンガーの顔が分かりにくい」を解消するためと言われています。順番が戻りますが「涙の乗車券」の雪山ロケ映像も中々スリリング、オーバーラップするカレンの顔、何故か寄り過ぎな口元、そしてバンドメンバーとの対比がかなりユニークです(笑)。
Carpenters - Ticket To Ride (Single Version)
そして5月20日にリリースされた「遙かなる影」は7月25日に見事にBillboard HOT100でナンバーワンになります。1970年といえばウッドストックの香りが残るヘヴィなロックとフォーク、そしてポスト・ビートルズを目指した新しくてプログレッシブな勢力が次々と登場する時代にロマンチックで落ち着いた正統派ポップスは異色でしたが逆にそれが新鮮に映ったのかもしれません。元メロディメーカー誌編集長だったレイ・コールマン氏による評伝「カレン・カーペンター―栄光と悲劇の物語」によると「ワア〜、ア〜ア、ア〜、クロース・トゥ・ユウ〜♪」のコーラスが全米のラジオDJたちに刺さってラジオでかかりまくったという説もあります。プロデビューして2作目シングルで全米1位獲得は早いといえば早いですが、天才兄妹としていろんなレーベルからアプローチ受けながら結局デビュー出来ず悶々としていたカーペンターズにとって何よりも報われた瞬間だったようです。A&Mとしても1968年ハーブ・アルバートの「ディス・ガイ」以来のナンバーワンですから会社としてとても盛り上がったのは想像に難くないでしょう。
カーペンターズは次なる手を打ってきます。A&Mに所属する専属ソングライターチームながらあまりパッとしなかったポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルズが手掛けた銀行のキャンペーン曲がテレビから流れてくるのをリチャード・カーペンターは聴き逃しませんでした、「まるでカレンのために作られたような曲だ」。リチャードは早速ウィリアムズとニコルズに「あの銀行コマーシャル曲は続きはあるのかい」と聞きます。本当は続きは無かったのですが二人は「もちろんもっと長いメロディと歌詞があるよ」と速攻で作ったそうです。「遥かなる影」がリリースする直前にこの「愛のプレリュード」(We've Only Just Begun)はレコーディングされ、「遥かなる影」の3ヶ月後の1970年8月21日にリリースすることになりました。
「愛のプレリュード」が個人的に画期的と感じたところを箇条書きにしてみました。
カレン・カーペンターのヴォーカルがさらに凄い。ダブル・トラックとイコライジングのテクニックでまるでカレンの歌が耳元で響くように聴こえる。
さらに進化したコーラス!全パートのコーラスはデジタルサンプリングしたかのような正確無比な音程&音符の長さ。長くカーペンターズのエンジニアを努めたロジャー・ヤングによるとカレンとリチャードはコーラスのダビングをいつもあっという間に仕上げたらしい。そしてコーラスの定位・配置がすごい、本当に8トラックだったのか?(16チャンネルマルチレコーダーが登場するのは1973年以降ぐらいと聞いています)。
2回めの参加となるハル・ブレインのドラムが一段と凄い。Cメロパートはタンバリンと合わせて当時は未確立だった16ビートを表現、スピーディなキックのコンビネーションも凄い。8インチ・10インチのメロタムの効果的な使用も印象的で立体的なドラム音像を作り上げており、ハル・ブレインが同時期に録音したドラミングでも段違いに際立っている。※
アコースティック楽器〜アコピ、クラリネットとエレクトリック系楽器〜エレピやドラム・キット、ブラスセクションを交互に対比させ、コーラスとオーケストラで包み込むように配置しながら3分間のドラマに収める。
カーペンターズはこの曲で60年代的なイージーリスニングから70年代的なポップスへ移行することに成功、そしてその時はそのスタイルについての特別な呼称が確立することはまだ無かったが「愛のプレリュード」こそが後の「ソフト&メロウ」「AOR」へと繋がる系譜のスタート地点となる。
「愛のプレリュード」には結婚したばかりのポール&リンダ・マッカートニー夫妻も感動したらしい。カレンとリチャードが尊敬するポール・マッカートニーと実際に会えるのはもっと後の1974年の英国ツアーが始まってからとなった。
Carpenters -「We've Only Just Begun」(1970)
MV第3弾なのでタイトルバックが少しアップグレード、美術セットも作ってもらっています。ドラムから離れて歌うカレン、Cパートで右手がめっちゃビート刻んでいて可愛い。リチャードも衣装も新調していますがちょっと垢抜けないのが微笑ましい。レギュラーバンドメンバー、特に管楽器担当の人が今回はタンバリン振ってていい味を出してます。
といろいろ書きましたが1970年にして「遥かなる影」と「愛のプレリュード」はかなり画期的&進歩的なサウンドでした。ストリーミング時代になって同時代の曲を並べて聴くとはっきりとこのことが分かります。参考用に1970年Billboard HOT100のナンバーワン曲をリリース順に並べたプレイリストがありますので引用させていただきます。
1970年といえばピンク・フロイドは「原子心母」、EL&Pは「1stアルバム」、イエスはまだ「時間と言葉」の時代、スティーリー・ダンに至ってはまだ結成前です。ポップでありながら工芸品のようにデザインされたかのようなカーペンターズのサウンドは1970年代後半のソフト&メロウ〜AORの原型とも言えますし、クイーンのブライアン・メイやフレディ・マーキュリー、またボストンのトム・シュルツによるギターやコーラスの多重録音によるオーケストレーションに引き継がれていったのではないかと勝手に思っています。時代は少し後になりますが、1972年6月19日リリース「愛にさよならを(Goodbye To Love)」でバンドに参加したばかりの若干20歳の新米ギタリスト、トニー・ベルーソが弾いたファズギターソロが後のパワー・バラードに於けるヘヴィーなギターソロの原点ではないかと言われているようです。
この事以外にも実は様々なポップス界のイノベーションを実現していたカーペンターズ、70年代当時ではあまりにもたくさんのヒットソングとヒットアルバムでポップス界トップクラスのセールスを達成しながら「いい子ちゃんのポップス」「ママのアップルパイ」「ご清潔」と退屈でつまらないとイメージを決めつけたがるマスメディアや世間とのギャップに苦しみ、最後はカレンの悲劇を引き起こしてしまったのではと先の評伝の著者、レイ・コールマン氏は述べています。このことについてもいずれの機会に書いてみたいと思っています。
来月、リチャード・カーペンターがBillboard Liveにやってくるのですよね。ピアノ・ソロだけのようですが行こうかなと思ってます。長々とお付き合いありがとうございました!
※=ハル・ブレインのWikipediaにある彼の1970年のセッションを以下に貼っておきます。カーペンターズのセッションと全くビートが違いますね!
Bridge Over Troubled Water
Cracklin' Rosie Neil Diamond
I Think I Love You The Partridge Family
最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!