
#7 自分のハマってきたゲーム遍歴
こんにちは、よこたひろあきです。今回7回目の記事になります。よろしくお願い致します。
前回の予告通り、今回は自分の今までのゲーム遍歴について年代順に書いていきたいと思います。読んでいただけると幸いです。
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小学生時代
我が家にファミコンが来たのは確か自分が小学2年生の時だったと記憶しています。当時自分はトミーから出ていた『ぴゅう太』が欲しいと思っていたのですが、1歳下の弟が強硬にファミコンがいいと主張したことでファミコンを購入することになりました。これは弟に感謝ですね。もしこの時にぴゅう太を買っていたら…。
しかし、我が家では自分も弟も目が悪くメガネをかけていたことから、目が悪くなるといけないという理由で土日に各1時間ずつしかファミコンをやってはいけないという地獄のようなルールが課され、全然ゲームができませんでした。
ちなみにこの地獄ルールは自分が中学校を卒業し、高校入学祝いにパソコンを買ってもらうまで続きました(後述)。
でも、周りの友達はみんなファミコンで遊んでいます。そんな訳で自分は友達の家へ遊びに行って友達がプレイしているのをひたすら見ていることが多かったです。ただ見ているだけだったのには理由があって、自分が土日1時間ずつしか遊べなかったので下手くそだったからです。
あと、今思い出しましたが当時は持ってもいないゲームの攻略本を読み、そのゲームで遊んだつもりになるということもしてましたね笑
そんな訳でゲームができずに悶々としていたのですが、小学校高学年の時にちょっとした転機が訪れます。その当時流行っていたゲームブックなるものにのめり込んだのです。
ゲームブックとは、読者の選択によってストーリーの展開と結末が変わるように作られ、ゲームとして遊ばれることを目的としている本です。筋書きが複数あり、話の途中に選択肢が設けられ、読者の選択などの結果によって、物語の展開が変化していくというものです。
当初は小中学生向けのゲームブックから読み始めたのですが、書店で偶然見つけた『ドルアーガの塔 3部作』にどハマリしてしまいました。これはあくまでも本なので、ゲーム土日1時間ずつの地獄ルールの適用外でした(というか、親はゲームだということすら気づいていなかった)。なので、ひたすら筆記用具と方眼紙(マップを書くのに必要)とサイコロを持って遊んでました。
ちなみにこの『ドルアーガの塔 3部作』ですが、Kindleで復刻しており、自分も以前購入して遊びましたが、今遊んでも面白いです!
その後、ファミコン版『Wizardry』を購入し、そちらにもハマっていきました。ちなみにWizardryは友達には当初不評(地味だと)でしたが、その後友達もドハマリしていきました。
中学生時代
中学生時代も相変わらずファミコンに関しては地獄ルールが適用されていましたが、Wizardryシリーズなどを楽しく遊んでいました。
中学生時代を代表するゲームとしてはやはり『ドラクエ3』でしょうね。最近リメイクもされたようですが、まさに不朽の名作と言えるでしょう。
あと、この頃Wizardryにハマった友人同士で集まって、WizardryのテーブルトークRPGでも遊んでましたね。
テーブルトークRPGとは、テーブルゲームのジャンルのひとつで、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ対話型のロールプレイングゲームのことです。
テーブルトークRPGはその後一緒にやっていた友達とその後不仲になったこともあって、中学生時代しかやっていないのですが、機会があればまたやってみたいなぁとも思っております。
高校時代
さて、高校入学祝いに当時まだ高価だったパソコン(PC9801)を買ってもらったのですが、そのパソコンのゲームで、見事にゲーム依存症になりました笑
当時平日は学校から帰ってきたら寝るまでの時間、休みの日は朝から寝るまでひたすらゲームをやるというゲーム漬けの生活でした。当然学校の成績はどん底まで下がり、卒業もギリギリという感じでした。
そんなゲーム漬けの生活の中、特にハマっていたのがコーエーから出ていた『三國志』と『提督の決断』というシミュレーションゲームでした。
三國志では、よりゲームに対する理解を深めるために吉川英治の『三国志』シリーズを読んだりもしました(当時の担任に勧められたというのもありますが)。
よりハマったのが、『提督の決断』でこれは太平洋戦争ものなのですが、自分は常にアメリカ軍側でプレイをして、日本軍をボコボコにしてました。
ちなみにこの『帝国の決断』、各基地で強制労働というコマンドがあり、それを使うと住民を強制労働させて基地の建設をするという、今の御時世だとちょっと問題な感じのこともできます。
ところで、いくら地獄ルールがなくなったとはいえ、そんなにゲームばっかりするにはゲームソフトを買うお金が足りないんじゃないのと思われた方もいらっしゃるかと思いますが、当時はパソコンのゲームソフトをコピーするためのソフトが公然と売られていて、それでコピーされたソフトで遊んでいたという次第です、ごめんなさい。
ほんとにパソコンソフトのお店の片隅でコピーするためのソフトが売られていたんですよ。とても信じられない話ですが。
なので、高校時代はほぼパソコンのソフトを買ったことがないです。それどころかゲーム以外のソフトもコピーがはびこってましたね。コピーソフトがどうして取り締まりもされずに、流通してたのかは未だによくわかりません。
あと、とても恥ずかしい話ですが、エッチなゲームもやってました(小声)。
大学時代
成績は悪かったものの、何とか大学に入ることができたあともゲームはやっていました。とはいえ、大学の講義以外にもサークル活動やバイトなどで忙しくなり、高校の時ほどはゲームをやらなくなりました。
当時初代プレステも出始めた頃ですが、プレステも買わず相変わらずパソコンゲームをやっていました。この頃にはコピーソフトがあまり流通しなくなったことと金銭的にゆとりが出てきたことから、ソフトは正規のものを購入するようになりました(高校時代の罪滅ぼしにはならないですが)。
ただ、エッチなゲーム以外で思い出せるものがないので、ハマっていたゲームソフトの紹介は割愛しますね。
20代
社会人になってからしばらくの間は忙しかったこともあり、ゲームから離れていました。初代プレステも買いましたが、それほどゲームをしたというほどではありませんでした。社会人になってからゲームにハマったのはプレステ2を購入した後でした。
ちなみにプレステ2は当時まだ珍しかったインターネット予約で購入したのを覚えています。当時はダイヤルアップ接続でなかなかサイトに繋がらない中、職場の先輩の分も含めて3台購入しました。
そんなプレステ2でハマったゲームが『マイトアンドマジック〜デイ・オブ・ザ・デストロイヤー〜』と『Rez』です。
『マイトアンドマジック〜デイ・オブ・ザ・デストロイヤー〜』は、ジャンルでいうとロールプレイングゲームですがアクションゲーム的要素もあり、これはほんとハマりましたね。一時期仕事をしている時も、頭の中でゲームのBGMが流れてましたからね。
一方の『Rez』はシューティングゲームなのですが、難易度はそれほど高くなく(とはいえ、自分は苦労しましたが)、ゲームと音楽がシンクロしていてとても没入感があったことを覚えています。また当時テクノミュージックにハマっていた自分には最高のゲームでした。
40代
30代前半は結婚していたことや、後半は色々大変だったこともあり、ゲームからは離れていました。
40歳を過ぎて何年かしてから、ようやくゲームをする心の余裕ができ、スマホゲームのドラクエ(4から8)やファイナルファンタジー、Wizardryシリーズの外伝的な作品で遊んでいました。
ただ、高校時代にゲーム依存で人生棒に振りかけたことがあるので、基本的には年末年始やゴールデンウィークなどの長期休暇にやっていました。
振り返ってみて
ここまで、駆け足で振り返ってみましたが3000文字以上の長文になってしまいました。書く前にどういうことを書くのかあらかじめ決めてから書き始めたのですが、実際に書いてみるとゲームをあまりやれなかった小学校時代の記述が一番長くなりましたね。
あと改めて思ったのですが、「ファミコンは週に2時間」ルールのように過度に抑圧されるとその反動でゲーム依存になったりしますね。子どものゲームの時間を制限すること自体はいいと思うのですが、やり過ぎには注意だと自分の経験から思います。
次回予告宣言
以上、自分のゲーム遍歴の話を書いてきました。長文でしたが今回も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回で7回目の投稿となりましたが、次回は2025年2月3日(月)に投稿予定です。次回は最近通信会社をahamoから楽天モバイルへ乗り換えた話を書いていく予定です。それではまた!