「カモミールの森」ってどうして「カモミールの森」なんですか?
※トップの写真協力・岡部雅子さん
山本さんがやっている団体 「カモミールの森」ってどうして「カモミールの森」なんですか?ってたまに聞かれます。
そうですね。ちょっと昔の話になりますが、ぼくはサイクリングが好きで、新川を北上して印旛沼へ抜けたり、花見川を南下して検見川浜まで下ったりしていました。
ある日のこと、同じ道は飽きたので川沿いからすこし離れた道を走ってみようかと、八千代市と千葉市の曖昧な境界、木漏れ日の林の道・花見川のあたりをなんとなく走っていました。季節は新緑の眩しい頃だったような気がします。
すると、ふと目に止まったのがこれ。
写真の日付でわかりました。2011/05/18の出来事。これみてグッと来ちゃったのには理由があって、アクア庵という団体で作ったデジタル紙芝居に出てくるキャラクター 子犬のポチ、子猫のミー、小猿のウッキーが勉強している「森の学校」...まさにそんな感じとぴったりの場所だったから。
アクア庵は最初は 東葉高速鉄道/京成の勝田台駅の地下コンソールに「みんながアーティスト(Everyone is an Artist)」というテーマで俳句・手作り作品・写真・イラストを集めて、並べるというイベントを皮切りに、イオンがなかった頃のやちよ緑が丘の駅前広場にアフリカ人のドラマーや東京理科大のジャズ研を呼んでコンサートを開いたり、稲毛野外音楽堂で自主ライブをやったり、勝田台北口商店街の秋まつりにストリートミュージシャンたちと参加したりしました。
やがて千葉ポートスクエアで定期的に毎週ライブを開催する音楽イベントや子供向けワークショップの広報や運営を一部まかされてやっていました。その中の出し物のひとつに上記のデジタル紙芝居「森の学校」があったのです。
僕がサイクリングして毎日ぶらぶらしていたのは、この千葉ポートスクエアのイベントが終わってしまい、急に暇になってしまったからです。
「あーあー。つまんねーなー。」
切り株に腰をかけて水を飲んで、回想にひたっておりました。すると...
「あなたどなた?」と奥様が出てこられ...そう、ここは人の土地だったのです。互いに自己紹介などしつつ色々話していると、奥様は子供のための活動やチャリティ、それから近隣の方々と合唱のサークルもやられているとのこと。なんか意気投合して「なんかやりたいことあったらここを使いなさいよ」って言ってくださいました。
で、そのときお土産にもらったのが奥様が庭で育てていたカモミール。その花束をいただき自転車で勝田の坂をのぼりながら「そうだ。あそこはカモミールの森」って思いついたんです。
で、調子に乗ってやったのがこれ。
狭い森に今までやりたかったワークショップを詰め込めるだけ詰め込んだ感じ。いやー。楽しかったなー。このイベントには当時の豊田八千代市長、熊谷千葉市長をはじめ多くの企業や団体が関心を持ってくれました。
ワークショップに参加してくれた子供たちに、近隣にどんなお店や会社があってどんなことしてるか知ってもらおうと「インフォマティオン・キオスク」のコーナーを設けたりもしました。
まあそんな感じで、よく遊び、よく学んだ後はお楽しみの時間。うっすら夕暮れてきました。森にはスクリーンが準備されました。
その前にスイカ食べて、石川寛子さんのバイオリンを聴いたり、宇宙の話を聴いたり(こちらもデジタル紙芝居:宇宙飛行士 山崎直子さん「瑠璃色の星」)。ラストはバーベキュー。
こちらの森のご夫婦は旦那さんがお医者さんで米作りなさるなど近隣の方々を巻き込んである種のコミュニティを形作られていました。旦那様が亡くなられたのを期にカモミールの森は再び安住の地を失いました。
しかし、安住であることで得られる数々のメリットはありますが、必ずしもよいことだけとも限りません。今のカモミールの森はネットワークを形作り、その中で動的に活動すると言う最中...このスタイルは思えばアクア庵の最初の頃と同じです。
ある時は定住して農耕民族のように自分たちの活動の質を上げることに専念する。またある時は狩猟民族のようにあちこち飛び周り新しい関係作りや情報収集を行い、新しい視野やビジョンの獲得に努める。この行ったり来たりが「カモミールの森」なのかもしれません。
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