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【小説】置手紙は捨てられない。~どうってことない一日目~

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 何度も例の紙切れを読み返しているうちに簡単に糸口が掴めるだろうと思っていた自分が甘かった。染みのついた壁にもたれながら、ただただ空を見つめる時間が増えた。切れかかった電球のせいで仰木の六畳一間の仕事部屋は妙に暗く、タバコを吹かしながら考える様が鏡に映り、思わず微笑した。おれはベテランの刑事ごっこでもしているのか、とあほらしくなるも、捨てることなど到底できなかった。
 各文の繋がりが全く見えないことから、頭がおかしくなりそうになった仰木は、原点に戻り一つ一つを丁寧に紐解いていくことにした。何か手がかりがあるはず。でないと、オレの行動を誰かが空から見張り続けていないと説明ができない。こうモヤモヤしているところを誰かがニヤリとしながら覗き見ているような気がして、落ち着かなかった。私は悪いことなどしていない。ただ拾った紙切れを読んでいるだけなのだ。
 紙切れの書き出しは思っていた以上に静かなものだった。

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どうってことない一日目

 某年某日、目覚ましをセットしていないにも関わらず、朝方五時半に目が覚めてしまった。週末に限っていつもより早く目が覚めてしまうことは珍しくはない。カーテンの外がうっすら明るくなっているのを感じ、長い雨が降り止んだことを知った。
「止むもんだな、雨も。」
そう一言呟き、小鳥の方に目をやると、彼女はこちらに目を向け、あたかも腹が減っているから何か食べ物をよこせとでも言うように、お辞儀を複数回した。うっそうとした路地裏にあるペットショップで一目惚れし飼うことに決めたのだが、名前をつけ忘れて数ヶ月が経ち、彼女の名前はいつしか”コトリ”になった。私の気持ちを見透かしているような表情をするところに惹かれ、彼女と一緒に生活をし始めてみてからというものの、物事がまあうまくいく、うまくいく。感謝の念を込めて、この不思議な力を持つコトリにお辞儀をしてから私の朝が始まるのがお決まりだった。自分自身の腹の減り具合もほどよく、冷蔵庫を開けて初めて脳みそが起きたのを感じた。

 世間が動き出す前に活動を始めることは、ちょっとした優越感を与えてくれる。誰に対するどんな類の優越感かと言われればまったくその解を得ないのだが、なんせ気分がいいのだ。深呼吸でもしようものなら、三つ目の肺が待っていましたと機能し始めたかのように、身体のなかに渦が生まれ、ごっそりと新鮮な空気に取って代わっていった。
 説明こそできないが、朝のこの気分の良さに安堵できるようになったのは、つい最近のことだ。私は完全に日常に飲まれていた。日常という生き物を飼いならすことなど叶わず、鎖で繋がれていたのは完全に私の方だった。サラリーマンから一転、アルバイトとして地元の酒造で働くことにしたのだった。日本酒は昔から好きだったし、旅のついでに好んで酒造巡りをしたりもした。こんな場所で働けたらな、拙い長年の想いを実現させてやることにしたのだった。休みは日曜日と月曜日。ほぼ週七で英語の教科書販売の営業をさせられていた身からすれば、この上ない贅沢だった。週に五日も日本酒に触れることができ、休みも週二ときている。コトリを包み込むときのように、他でもない私だけの日常を優しく握り返すことができるようになったのだった。勤めている酒造は居酒屋も併設しており、酒造の日本酒も含め全国の日本酒を取り扱っていることから、地元の日本酒好きはもちろん、仕事終わりのサラリーマンが集まるようで繁盛しているようだった。

 日曜日の早朝は結果的に贅沢な食事で始まった。トーストに昨晩の残りのおかずを乗っけて数分で食べきった。喉に詰まりかけたパンを野菜たっぷりと表記されたジュースで流し込んだ。甘いようで苦いようでお世辞にも美味しいと言える味には思えなかった。きっと余計な添加物がきっとたくさん入っているのだろう。甘すぎるジュースや炭酸飲料を受け付けなくなってきたのは、最近のことではなかった。でも寝起きの一杯は年齢を重ねてもいいものだった。口の中から静かに甘みが消えていき、砂糖の残りカスのような粘りを舌の上に感じて初めて気づいた。やはり私はお腹が減っていたのだったと。そして、自分のお腹が満たされて初めて気づいた。コトリに食事を提供しなくては。
 このところ、雨が多かったのは、梅雨前線がどうたらこうたらで、要はいつの間にか梅雨に入っていて、いつの間にか梅雨を抜けていたのだった。雨上がりのカラッと晴れた赤みがかった空を見て、心は安らいだ。いったい誰だろう。こんなにも爽やかな朝を作ったのは。匿名性が増しつつある無責任な世界を、エネルギーに満ち溢れた凄まじい光で包み込む。我こそ太陽と主張している彼の声にまず耳を傾けるのが、我々人類の朝の役割の一つではなかろうか。哲学者のような静かな心とともに、私の日曜日は軽快に幕を開けた。

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続く。→【小説】置手紙は捨てられない。~前のめりな旅は二日目~



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