【小説】置手紙は捨てられない。~前のめりな旅は二日目~
第一話【小説】置手紙は捨てられない。
第二話【小説】置手紙は捨てられない。~どうってことない一日目~
(仰木の考察~どうってことない一日目~について)
そうなのだ。一日目は本当にどうってことないのだ。内容もどこかの誰かのどうってことない一日のワンシーンという感じで当たり障りはない。性別はおそらく男性だろう、年齢までは断定できないが、きっと私と同じぐらいだろう。自分にも行きつけの飲み屋があり、日本酒好きなところは似ているようだ。酒造で働こうとまで思ったことはないが、素朴で真っ直ぐな奴は好きだ。もしこの人物と会えるなら一杯やりにいきたいぐらいの好印象を受けた。
そして、こんなにも心穏やかに世界は朝を迎えていたことを私は知らなかった。日の出前に起きることがない私にとっては(深夜までに及ぶ仕事の関係で朝はめっぽう苦手なのだ。)、海の向こう側どころか地球の真裏の豊かな暮らしのようにも思えた。数百マイルも離れたところで優しい音色を奏でる鼓笛隊とパッと目が合うような、いや、酒蔵でテイスティングをするときの緊張感と期待が入り交じる口当たりにも似通っていた。いかんせん触れたことのない生き様を感じたのは確かだった。だからこそ余計に、彼のコトリとの日々は私が一人で生きていることを強く痛感させたのだった。
暗闇にホタルの光を見つけたときのような細やかな胸の高鳴りとともに、仰木の視線は、二日目へとゆっくり動いていった。
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前のめりな旅は二日目
世の中の休みは、基本的に週末の土日の二日間だろう。月曜日から金曜日までの仕事でグッタリと疲れてしまうから、本来は週末に休息を必要としていても、たった二日しかない週末だからと活気づく人は実はたくさんいる。休息の取り方をついつい忘れがちになるのは、そういうカラクリがあったのかと納得した。休みたいがために働くのか、働きたいがために休むのか。いったいどっちなのか私はわからない。
休日は好きな人と会い、自分にエネルギーを注いでくれるものへと足を運ぶ。携帯電話のように、我々のバッテリーも持ちが悪くなってきているから定期的に充電しなくては、ねじ巻き式のおもちゃのように動けなくなってしまう。いっそのことバッテリーがもたなくなった欠陥商品として工場に送ってもらい、全部の部品をそっくり替えてもらうのもいい。リセットができない人生だ、不毛な議論を一人で続けも仕方ない。飼い犬を電車に乗っけることはできないのかとごねている爺さんを横目に、ゆっくりと駅の改札口をくぐっていった。ちなみに私は、そのどちらでもない。働くことも休むこともしない人間だった。
右耳が聞こえなくなってから日はわりと浅いが、左耳も少しずつ聴力を失っていっていうようだった。私は世界の雑音に耳を閉ざし始めているのを感じていた。しかし、不思議なことに聴力を失おうが私の暮らしぶりは全く変わらなかった。《見方》が変わっただけだった。
久しぶりに電車に乗って遠出をしようと駅へ来たが、思っていた以上に駅前はスーツを纏った人でごった返していた。黒、黒、茶、灰、灰、黒、黒、あの色は知らない。肩を落とした退屈な色があちらこちらへと忙しそうに行き来していた。日本でスーツを着用する場合は原色のみという風に決めてしまえば、もっと元気に通勤できるに違いない。そうしたら仕事も休日も関係なくハッピーになるに違いない。観光客が海外からもドッと押し寄せるに違いない。そうなるとまた忙しくなり休めなくなる人が増えるに違いない。どうなろうと自分には関係のない話に思えたので、考えるのをやめて人間観察に意識を戻した。
日曜日の電車の車両にもスーツを着て乗っている人がいることには驚きだが、思いの外電車の中は混んでおらず、窓からの十分な日差しが車内で眩しく反射していた。周りを見渡すと着飾った女性が多いせいか、少し車内は煌びやかに見える。友人の結婚式にでもいくのだろう。
各駅停車に乗ったおかげで、数分毎に新鮮でひんやりとした空気が私の足元を駆け抜けていった。まだまだ肌寒い日が多い気がするが、南の方では桜が咲き始めたという。テレビでそのニュースを見たときは、春を迎えるのが怖いとさえ感じた。音を失った桜を私はどう出迎えてあげることができるだろうか。いや、正確には音の受け皿を持たない私の前で桜は散ってくれるのだろうか。そんな憂いが胸に広がると思うことがある。桜が乱れ咲く奇跡的な数日だけでもいい、私の聴覚を戻してはくれないものかと。
そんな始まりの季節を恐れる私を癒やしてくれる唯一の場所がある。今、向かっている場所は、まさにそこだった。決まって違う表情を見せてくれていたお気に入りの場所。でも、僕だけの場所ではなかった。‘彼’との思い出の場所だった。
彼と出会ったのは街外れにある波止場だった。数年前だったか、海を見て深呼吸している私に不意に彼は話しかけてきたのだった。長髪で髭面のその見た目とは裏腹に、彼は私より一回り若く、驚いたのは彼と私が同じ職業だったことだ。なんとも珍しい。その年で扇子づくりを生業にしているとは、と驚嘆したことをよく覚えている。少し話すと彼の人となりが見えてきて、次第に会話は弾み、自然と途絶え、共に波風に身を晒してはまた会話がフッと始まった。私が行くときに必ず彼はいるのだが、彼も毎日来ているわけではないのだとか。連絡先など知らないし申し合わせてなどいないのに、不思議と同じ時間に鉢合わせるのだった。彼の立ち振る舞いや存在そのものに不思議な力を垣間見るのだった。小一時間ほど、なんてことない静かな時間を過ごし、ではまたいつかとその場を立ち去っていくのだった。いつしか彼との再会を期待して家を出発するようにもなった。自分はあまり物事や人に期待する質ではなかったのに。期待を裏切られることはなく、彼はいつもそこにいた。
彼と出会った帰りの電車には、行きとは別の自分が乗っているかのような錯覚を得た。行き来で2時間もかからないような小旅行でこれだけ入れ替えることができるのであれば、彼がいれば、波止場があれば、自分は欠陥商品として工場送りにされずに済むと感じていた。
彼と出会うまでは、私がこの波止場に行く理由は一つだった。月曜日から金曜日までに疲れたときだった。扇子づくりは疲れるのかと言われれば、どうだろう。夢中になっているときはいい。ふとしたときに自分が創作した扇子の風に煽られながらこう思うのだった。
「このままでいいのだろうか。」
スランプを感じ、疲労に襲われたときに波止場に行くようになっていた。波止場の何が私を癒やすのだろう。考えたこともなかったが、少し荒れた波や塩っぽい風がテトラポットにぶつかるたびに私の疲労感を打ち砕いていく感じがあったのだった。悲壮感とか、虚無感なんてものは感じない質だが、ここへ来ると身体の澱みが消えていく。血液は全身を駆け巡り、明日への活力とやらが手に入るのだった。よほど私にとっては不気味な健康ドリンクを飲むより手っ取り早いようにも思えていたから気に入っていた。そこにスパイスの効いた人間が登場したものだから、自分にとっては文句のない週末になることが多かった。
そんな彼がプツンと来なくなってしまったのだった。初めのうちはよかった。何か用事があったのであろうと自分を納得させていた。でもそれが一週間、二週間、一か月となるともう自分が考え得る距離よりも遠くに彼は行ってしまったのだと感じた。聴覚を完全に失う前に彼と過ごした空間と、そしてテトラポットに打ちつける波と風にこうして別れを告げに来たのだった。こう見えて私は情に厚い人間だったのだ。丁寧に生きたい人間だったのだ。
帰りの電車は、行きの電車にあった煌びやかな雰囲気はなくなっており、正面に座っていたサラリーマンは、ワンカップ大関を片手に空虚な目でつり革を静かに見上げていた。家に帰ると葉が落ちて朽ちたような木が出迎えた。よく見ると、知らぬ間に新しい芽をつけていた。ここにも春がやって来る。この木が桜であったことを思い出した。それと同時に、桜前線が私を飲み込む前にこの街を出ようと決心したのだった。
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続く。→【小説】置手紙は捨てられない。~想像の裂け目に落ちた三日目~
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