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男と女

 ほぼ毎朝、約2時間足らずで9,000歩近くを歩いている。楽しみは、コグロと名づけた若いカラスとの交流だ。むろん、コグロは野生のハシブトガラスである。

 川にいるカルガモたちにパンをやっていたら、カラスが近くに飛んできて、物欲しそうにしていた。川沿いにはカラスが多い。しかし、この小ぶりのカラスは、緊張しながらもかなり近くのフェンスに止まってぼくからのオヤツを待っていた。

 そんなわけで仲よくなり、毎日、ぼくはせっせとオヤツを運んでいる。たいてい4種類のオヤツを持参する。というのは、カラスが飽きっぽいというのを知ったからだ。食パン、ネコ用のドライフード、イヌ用のビスケットとジャーキーである。

 フェイスブックにコグロの“気まぐれぶり”を書いたら、「♀だったのですか」と指摘された。♀の確証は何もない。最初のときから、直感で、この子は女の子だと思っただけである。

 あえていえば、コグロのパートナーにくらべて小ぶりな身体だし、ラインが優美である。とくに脚が素晴らしい。パートナーのほうがメスだったら、ぼくは「女のイメージ」を根底から変えざるをえない。

 だんだんわかってきたのは、コグロは度胸があって働きものだ。ナワバリを守る闘いにも勇敢である。侵入してきた、いかにも老練そうな大きな相手にだって蹴りをかますべく敢然と挑んでいく。侵入者たちは逃げ惑っている。

 だが、性格は実にこまやかである。2羽だけになると、突っついたりして居丈高に振る舞う相棒にもやさしい。ぼくが提供したオヤツもゆずっている。世話女房タイプらしい。こうなると、女の子と思わざるをえないではないか。

 最近ではかなり成長して、身体のラインがやたら色っぽくなってきた。しかも、小顔である。どの方向から見ても男の子には見えない。
 
 相棒のほうはやはり男である。ときどき、先にぼくのほうへやってくるが、あきらかにビビっていてかなりの距離をおく。コグロが、やってきて、腕を伸ばせば届く距離にさり気なく止まるのとは大違いである。1羽のときは、しきりに鳴いてコグロを呼ぶような惰弱ぶりだ。男に間違いない。

 人間と同じで、小心者だからなかなかズルい。ナワバリ争いのときなど、てんでだらしがない。隠れて見ているだけだ。ぼくが持参するオヤツにありつくのだって、コグロに頼り切っている。最近、こいつにも名前をつけた。ヒモと呼んでいる。

 ぼくがコグロの前に立ち、心と心で会話をしていると、20メートルばかり離れた場所に止まり、相棒はじっとこちらをながめている。つい、焦ってしまう。よそのきれいな奥さんと話していたら、離れた場所にいたダンナから胡乱うろんな目を向けられたような居心地の悪さである。

 ただ、コグロの気まぐれに翻弄される日がある。だから、コグロが女の子だといっているのではない。とにかく、相手はカラスである。人間とはちがうだろう。人間も、たまたまぼくがかかわった女たちが気まぐれだっただけで、それが女性の本質だといいたいわけではない。

 う〜ん、やはり、コグロは女の子だ。カラスのままでは惜しいくらい美しいし、何よりもお利口だからだ。

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