冬めきて(2)
ひと月ほど前になる。机の上に置いたままの携帯電話に電子メールが着信していた。操作が簡単というたぐいのスマートフォンである。年寄り向けとはいうものの、電話をかけるのと、なんとかメールを送受信する以外、ほかにどんな機能があるのか知らない。もっとも、知る必要もなかった。
使わないので、気づくとバッテリーがカラになっている。そのときも、充電がはじまってメールが着信しているのを知ったくらいだ。
4日前に届いていたらしい。同じ大学でサークルがいっしょだった前田響子からである。
ご無沙汰です。
お元気ですか。
来月上京予定です。
また連絡します。
ご迷惑でないといいのですけど。
それだけだった。もう何年も会っていない。長い空白があるのにそっけないほどの文面はいかにも響子らしい。
定年になったとき、もう携帯電話など持つ必要はないから解約しようとした。だが、妻の美佳の反対にあって持ち続けた。ガラケイとかフィーチャーフォンと呼ばれた、本体がふたつに折れる機種だった。
何かと出歩く機会があった60代のころはけっこう重宝した。定年後、しばらくは市が運営しているカルチャースクールへも、週に何度となく通っていた。請われて地域の自治会の役員にもなったので、役員の集まりのときなどに電話をかける機会があった。もっとも、外から美佳への連絡がほとんどだった。旧式とはいえ、当時はこの携帯電話がけっこう重宝した。
そうこうしているうちに、美佳が自分の携帯電話の機種を変更するときにスマートフォンに切り替えた。そうとは知らず、駅前の販売店までつきあわされ、なんとなく自分もスマートフォンを持つはめになった。
家に戻り、販売店の女性の助けなしで使ってみると、とりあえずは使い慣れていた旧式の機種とは操作があまりにも違っていて途方にくれた。「これは年寄り向けのスマホですから、操作は簡単ですよ」と、にこやかにいう販売店の女性のことばにすっかりだまされてしまった。
「とてもじゃないけど、おれには無理だよ」とたちまち弱音を吐いた。「何いってるのよ。会社のスマホを使っていたじゃないの。スマホ初心者のこちらが使い方を教えてもらいたいくらいだわ」と突き放す美佳に、「あれは使っていなかった」とはいいづらかった。
たしかに、勤めていた会社からは、かなり早い時期に、社員全員にスマートフォンを支給された。いっしょに渡されたマニュアルに目を通してもほとんど理解できない。まず、使われている用語がわからなかった。内線の電話さえもこのスマホを使わなくてはならなかったので、電話がかかってきたら出るだけの操作を、とにかく覚えた。
私物の携帯電話と、会社から支給されたスマートフォンの2台をカバンに入れて持ち歩いていた。美佳はそれをいっているらしい。
在職中、さいわい外部からはほとんど電話はかかってこなかった。世の中がたちまち、連絡は電話ではなく、電子メールに変わっていたからである。メールはたいてい机の上に置かれたパソコンへ送られてくる。必要なものは、毎日、部下の若い女性の社員が整理し、プリントしてくれた。返事が必要だったら、だれかが代わりにやってくれる。ずいぶん助けられた。忘年会の費用は、彼らへのお礼のつもりで全部をかぶった。
定年は、ようやくスマホやメールからの解放でもあった。それなのに、定年後もまさかスマホとの格闘を強いられようとは思ってもいなかった。
スマートフォンを持つと、美佳の差し金でもあったのだろうが、名古屋に住む娘の美涼から、その春に生まれた孫の写真が頻繁に送られてきた。だいぶ前に結婚し、あきらめかけたやさきに生まれた男の子だった。美佳が、突然、古いタイプの携帯電話をスマートフォンに変えたのも、どうやら孫の写真が目当てだったらしい。
祖母の美佳にはしじゅうメールと一緒に写真が送られてきた。祖父のスマホが、文字どおり、無用の長物と化してしまうのに時間はかからなかった。
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