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ドストエフスキーよりもカラス

 去年から読む本がかたよってきた。長い間、出版社に勤めてきたが、「趣味はなんですか?」とかれて「読書です」と答えるのは面映おもはゆい。イキがっているわけではない。

 本は読むが、本がないと生きていかれないほどの“本好き”ではないからだ。大げさかもしれないが、本好きにはそういいたくなるほどの迫力がある。ぼくが、昔、憧れていたいまも美しい才媛は、年齢のせいで目が弱体化しているというのに、たとえば、電車の中でも文庫本が手放せないらしい。

 とにかく、本が好きなのだろう。かなり難しい本も読んでいる。ぼくだったら、知識や教養より、迷わずに自分の目を選ぶ。決して電車の中で文庫本など読みはしない。

 もっとも、最近の文庫本は、昔にくらべて印刷されている文字(最近ではフォントと呼ぶらしい)が大きくなっている。それでも勘弁してほしい。80歳を前にして、通常の書籍は避け、もっぱら、電子版を買い、フォントを大きめにして読んでいるくらいなのだから。

 だいぶ昔、ある売れっ子の作家は、ドストエフスキーを読みはじめるとたちまち眠気に襲われて安眠を得たと書いたそうだ。彼らしいアイロニーというより、あの人ならほんとうだろうと納得した。ぼくも読書は催眠剤代わりだから、ドストエフスキーに手をのばさなくてもすむ。

 去年は、いつごろからはじめたのかは覚えていないが、とある大衆小説の泰斗の長編作品にハマり、毎晩、読み返すこと数回だった。さすがに、いまはとりあえずわきに置いたが、これからも繰り返し読むだろう。

 そのあとの本もあまり人さまには自慢できない。かといって、恥じるような本ではない。去年の初夏のころ、若いカラスと親しくなった。きっと女の子だろうと直感した。いまでは確信となったが、ほんとうにメスなのかどうかはわからない。

 成長し、どんどん大きくなっている。相棒のカラスは少しばかり図体が大きいものの、いたって小心である。しかも、みすぼらしい。きっと、普通のカラスなのだろう。

 ぼくが遠ざかると、この相棒は置いてやった食べ物の前で居丈高になる。食べ物を独占しようとするのだ。コグロと名づけた女の子のほうは、いかにも世話女房然として食べ物を譲ってしまう。そして、立ち去ろうとしているぼくを追いかけてくる。

 ぼくがFacebookに「カラス愛」を頻繁に書くので、友人のひとりが2冊の本を教えてくれた 『カラスの教科書』であり、同じ著者の松原始さんの『カラスの補習授業』である。すぐに電子版を買った。

 タイトルからわかるとおり、カラスに興味のない人間には読む気もしないだろうが、ぼくはみごとにハマった。何度か読み返し、いまは3冊目の『カラスは飼えるか』の、それも三度目の読み直しの最中である。

 ひとえに、コグロの気まぐれなまでの日々の行動を知りたいからである。カラスの研究者の書いた本を読んで、カラスたちの生態を知りたいほど、コグロというカラスは、カラスという鳥から少し外れた、きわめて個性豊かなカラスのようだ。

 専門家の書いた本(専門書ではなくが)を読むほどに、ますますコグロがわからなくなる。それだけコグロというとびきりきれいなカラスはきっと特別な子に違いない。それがわかりながら、もっとコグロを知りたくて、今夜も寝しなにカラスの本を読み返すだろう。朝の散歩での短い再会を楽しみにしながら。

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