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生きているだけで老害なのだから
ベテランの女性歌手が若手の女性歌手にテレビ番組で何かいったらしい。それがネットでニュースになった。しかも、「老害」だとのあおり文句までついている。
70を過ぎた大御所なので、若い子に何か意見をいいたかったのだろう。それを老害だと面白おかしくはやし立てられるのは、老いた芸能の一般に待ち受けている宿命でもあろう。
ずいぶん前の話だが、自分も元は俳優で、子息も俳優の母親がテレビで話していた。一時は人気俳優だった子息が夜中に電話をかけてきて、若手が追いかけてきて自分の居場所がおびやかされているとの不安を訴えるそうだ。
ときには主役を張っていたその子息もサブにまわりはじめていた。多くの場合、役者の人気などせいぜい10年である。主役は若手に奪われ、自分は引き立て役にまわる。彼もまた、かつて、そうやってのし上がってきたはずだ。
しかし、芸能界になんとかすがりつき、生きていきたいのが芸能人である。年取ってからからかわれたくなければ、表に出ない生き方しかない。ただ、いつもチヤホヤされたい性(さが)だったから芸能人になったわけだ。
年をとれば男も女も容色が衰え、惨めでしかない。しかし、カメラの前には立ち続けたい。ミエの生活もやめられない。まだ、現役だと自分にいいきかせて生きていたい。
キラキラと輝く若手を前にすると、年寄りなので、つい、何かいいたくなる。大向こうはそれを待っている。ありふれたからかいなのだが、「老害」とはやしたてる。もう、黙っていようと決めて、懸命に若作りし、うまく化けてきたつもりなのに、「すっかり老けた」とささかれる。そりゃそうだ、もう、年寄りなのだから。
円熟に美など望めべくもない。だれもが短かった若いころにはとうてい及ばない。ならば、老醜は決して世間にさらずにいるべきだ。まして、芸能人である。原節子という女優の生き方はなんともみごとだ。