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やはり補聴器は必要だった

 再放送だが、昨日(1月6日)のNHK BSプレミアムの『にっぽん縦断 こころ旅』を何気なく見ていて驚いた。下諏訪の諏訪湖畔から、茅野にあるかつての映画館『新星劇場』までの自転車の旅である。8年前、2017年秋の諏訪だという。

 諏訪には旧友がいるので、いつもどおり、「明るい街だな」と感心しながら見ていた。旅人の火野正平さんはまだ68歳。去年の秋、75歳で亡くなってしまったが、60代の火野さんは溌剌はつらつとしていた。この人は、間違いなく100歳まで生きていくだろうとぼくは信じていた。それなのに、75歳で亡くなってしまうとは……。

 新星劇場は、手紙のとおり線路に脇にあった。通常の営業はしていないが、きれいに新装なって映画祭などで機能していた。驚いたのは支配人(と、昔は映画館の責任者を呼んでいた)の方の若々しさである。80歳だというが、50代にしか見えない。60代の元気な火野さんが負けそうだ。

 ぼくも5月には80歳になるだけに、支配人の若々しさに目を見はった。同時に、今年95歳になる小学校の恩師を思い出していた。15歳年下の教え子たちに混じってもまったく遜色がない。まさに、「だ〜れが生徒か先生か」というところである。

 はっきりいうと生徒たちのほうが負けている。となりに座ったぼくはというと、耳が遠くなっていて師の言葉がよく聞き取れない。ひとり暮らしだから、日常の家での生活にはまったく支障はないので補聴器などは不要である。だが、難聴というだけで、明らかに師に負けていた。

 耳が遠いと買い物のときなどに不便を感じる。まだ、旧友と会ったりしたときに不便さを痛感してしまう。今回も90代半ばにした昔どおりの声の恩師からの教えで、かろうじて聞き取れたのが、「忘れたら、3日でも4日でも思い出すまであきらめるな」という教えだった。

 高校のころ、国語の教師から、「雑音は耳にしないほうがいい。よけいなことを耳にするとみるみる表情が悪くなる」と教わった。そのことばが耳の奥にあって難聴も放っておいた。いまは便利な時代である。補聴器も進化しているだろう。

 生まれたときに天からもらったはずのぼくの「定命」が何歳なのかはわからない。その日まで師のように元気で生き抜いていくには、いくつもの覚悟が必要だろう。70年たったいま、恩師からの教えを聞き逃さないためにも、次回、お会いするときのために補聴器の必要性を痛感した。

 聞きたくないことは聞こえてこない。そんな都合のいい補聴器があったらいいのにと思うが、いくら時代が進化しても、さすがにそれはムリだろう。せめて、15歳年長の恩師の言葉を聞き逃さない。それだけで手を打ちたい。

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