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喜べない誤診

 幸い、60代までは健康で生きてきた。病気知らずの身体だった。たとえば、視力は両眼とも1.2である。ぼくにはふたりの妹と弟がひとりいる。目は4人ともいい。そろって勉強嫌いだったせいで、ひとりとして近視のメガネのお世話になっていない。だからだろう、4人とも老眼鏡を持つのは早かった。

 ぼくは42歳から老眼鏡のお世話になった。医者は、「老眼鏡を使うのはまだ早い。すぐに慣れますよ」といったが、それまですべてがクリアに見えていたのに、駅で路線図などがややかすんで見える。本も読みにくい。とくに辞書の細かい文字がボケる。それまで、何も支障がなかっただけにひどくイライラしてならない。

 職業がら、辞書を使う機会が多かった。イライラに耐えきれず、老眼に慣れる前にメガネを作った。いちばん弱い老眼鏡である。それでも、メガネ屋さんが遠慮し、あきれるほど強かったらしい。40代は老眼が進んだ。きょうだいたちもすべて40代で老眼鏡を持った。

 70代のはじめ、ぼくに人生二度目の谷底がやってきた。そのふたつが「目」だった。ひとつの白内障は手術をしてことなきをえた。その直後、右目の視野がどんどんせまくなった。医者は原因がわからないという。失明を覚悟してウツになってしまった。

 セカンドオピニオンで網膜剥離がわかり、緊急手術で生まれてはじめての入院も経験し、無事に失明の危機から抜け出した。気がつくと、後期高齢者になっていた。残ったのはパーキンソン病だ。4年間、息をひそめて薬を飲み続けた。半年前、もう検診にこなくてもいいといわれた。医者はいわないが、誤診だったらしい。

 実感がなかった。老いた身体の自由が、やがてきかなくなるという緊張感は容易に消えない。ただただ、混乱にさいなまれた。最近、やっと誤診を受け入れはじめた。薬は飲んでいないものの、「もしかしたら……」との疑念はいまも残ったままである。


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