夢のような昔の写真
遅ればせながら亡父の遺品を整理していたら、何冊かの古いアルバムが出てきた。その中に明治15年(1882年)撮影の青年たちの写真があった。彼らは21歳だという。当時は数え年なので、いまなら20歳だったのだろう。
各自の住所も記してある。いずれも愛知県の蒲郡周辺の若者たちである。そのなかに、やがて、わが家の一族の主柱となる人もいる。だからこそ父も写真を捨てられずに残してしまったのだろう。
彼ら同士がどのような関係かも不明である。推測するに、いずれも士族の子弟で、一緒にどこかの塾などで学んだ同士だったのかもしれない。まだ、江戸時代の名残が濃密なころ、彼らが着ている服から平民ではなかったろう。
明治15年は、「上野動物園」が開園した年だそうだ。東京に鹿鳴館が完成する前年である。7年後の1889年に「大日本帝国憲法」が発布され、その5年後が「日清戦争」(1894年)である。夢のような昔だ。
ぼくの家は普通の平民で、博徒「吉良の仁吉」で名高い吉良の周辺である。一族には、幼いころ、いつも仁吉親分の家の前で遊んでいたというおばあさんがいたそうだ。仁吉の家だけは、人が訪ねてくると、「おひかえなすって……」とあいさつするのが不思議でならなかったという。仁吉が伊勢の荒神山で殺され、戻ってきたのも知っているそうだ。
明治15年の写真を前にして、吉良周辺の雰囲気が知りたくなり、尾崎士郎の小説『人生劇場』を買った。吉良の仁吉の影響なのか、また、そういう土地柄、あるいは時代だったのか、あの周辺の周辺の人々がやくざと折り合って生きていたのは聞きおよんでいた。
落ちぶれ士族の末裔だった祖母でさえ、財布の中に縁起ものの小さなサイコロを入れていた。『人生劇場』からは、わずかながら三州吉良の雰囲気を感じ取ることはできたが、写真の青年たちが行き交う情景を見つけることはできなかった。