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冬になると思い出す

 寒い。これから元旦をはさんで、夜明けが1年でいちばん遅い日が続く。それを辛抱すれば、朝が戻ってくる。だが、そこから冬はさらに深まる。信州の友人からは、だいぶ前から雪の便りが届いている。

 1月、2月、3月と長い冬を覚悟しなくてはならない。文字どおり指折りかぞえてため息をついたのは去年だった。雪国で暮らす人々は、それどころではないだろう。昔、北海道で育った方からいわれた。

 雪がきれいだなんていわれると、殺意すら感じます。雪には怨みの記憶しかありません。毎日、飽きもせずに降りしきる雪の中を歩いて学校へ通ったのですから。雪は地獄でした。

 雪国の方々にとっての冬は、東京の冬しか知らない者には次元の違う苛烈さがある。夜明けが、元旦の前後がいちばん遅くなると嘆いているなど、きっと、聞く耳を持ってもらえないだろう。東京では、たかがその程度の辛さでしかない。

 50歳なかば過ぎ、八ヶ岳の南麓に移住しようと画策した年があった。毎月、一度か二度、現地へクルマを走らせて「森の生活」を夢見たものだ。1年後のクリスマスのころ、とうてい、ここで冬は乗り切れないと悟り、人生をかけたはずの、ぼくとしては壮大な計画を自ら返上した。挫折したわけだ。

 八ヶ岳の南麓にあるレストランで、定年後、近くで冬を過ごした方たちの話を小耳にはさんだ春があった。毎日、やることがたくさんあると、彼は同行者に誇らしげに語っていた。その年は、友人から永住を誘われていた河口湖の別荘地を何度か下見した。あのとき、立ちすくんでいたお年寄りを目にしている。

 ぼくの夢の計画に賛同し、さっさと遠い森へと引っ越していった方たちもいる。皆さんは、毎年の冬をどんな思いで過ごしているのだろう。東京の冬しか知らない者には雪が日常の生活など想像できない。氷点下まで下がるのが当たり前の季節などわかるはずがない。

 60代だったらなんとか、それも乗り切れるかもしれない。しかし、70代となると、過酷きわまりない冬に身を置く自信がない。それだけに、あのとき断念してよかったといまは痛切に思う。東京の生ぬるい冬にさえ、オタオタしている70代である。

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