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ずるくて惰弱な性

 若いころに読んだ本に忘れられない記述があった。悠久の昔、ゲルマン民族がヨーロッパへと大移動していた当時の女たちについてである。

 行く手を阻んだ異民族と男たちが戦っているとき、女たちは後方で戦いの終わりを待っている。傷ついて逃げ帰ってきた男のケガの手当てを終えると、女たちは男の背中をどつき、戦いの場に復帰させていた。

 見てきたような描写だった。著者はゲルマンの女たちは、かくも強かったといいたかったのだろう。しかし、この日本でも弱い女とは会っていない。ぼくの女房も気が強いのが本人は自慢だった。日本でも女性は強い。

 戊辰戦争のとき、会津に官軍と称する一群が攻め入った。武家の女たちは、愛児を自らの手で殺し、自分も静かにあとを追ったという。何本もの刀を持って戦場に身をさらした女たちもいた。

 取っ組み合いになれば、普通は身体が大きく、腕力の強い男のほうが勝つだろう。しかし、気性で男は女の敵ではない。本来、オスという性は惰弱である。そのため、天は腕力をオスに与えたらしい。

 生存に適応した“賢さ”においては、どちらが勝っているのかは知らない。自然界の生きものたちのカップルを見ると、オスとメスが互いに弱点を補いながらたくましく生きている姿を見て、その絶妙な調和に感動する。

 世界中、どこの国でも女たちは強く、働きものである。戦塵の中であろうと、女たちは家族のために淡々と食事を作り続ける。そんなガザの女たちに息を飲む。女の性なのであろう。

 ぼくの身近で、女房や相棒の女に依存し、本人は遊びほうけて、「男の甲斐性だ!」とうそぶいている男たちを何人も見てきた。女のほうも、どうやらそれが誇らしいようだ。

 双方が納得づくでやっているのであえて非難はしない。しかし、ぼくには惰弱ゆえにずるさで勝る男が、女の揺るぎない強さや、底知れない包容力につけ込んでいるとしか見えない。

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