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冬めきて(1)
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寒い。マフラーがほしかった。
朝、妻が先に出かけて無人となった家を出るとき、玄関の脇に咲いていた白い木槿むくげが花の季節を了おえているのをはじめて知った。
秋は思いのほか深まっている。本格的な冬は年が変わってからだろうが、しばらく外の空気に触れていなかっただけに、久しぶりの涼気に首をすくめてしまう。
家に戻ってマフラーを取ってこようかと迷い、門の前で立ち止まった。だが、妻が留守の家のどこを探したらいいのかわからない。それにバスがくる時刻もあった。次のバスでもじゅうぶん余裕はあるが、また、30分ばかり家の中で待つはめになる。バスの時刻を気にしながら過ごすひとときがなんとも厄介だ。
肩から提げたバッグから出しかけた鍵をもう一度しまい、バスの停留所へつづく下りの道を歩きはじめた。
丘陵地帯に拓ひらけたこのあたりに、ほとんど、平地はない。駅へはいくつかの坂を上り下りしていく。歩けば20分はゆうにかかった。バスの本数もかぎられていた。
会社勤めをしていただいぶ昔の朝は、毎日、決まりきった時間に駅へ向かうバスに乗った。朝晩のバスの運行時刻は頭の中に入っていた。ときおり、ダイヤ改正があっても、この路線はほとんど変更がなかった。
帰宅が夜になり、バスとの連絡がうまくいかなかったり、11時過ぎの最終便に間に合わないときは、たとえ、雨が降っていても家まで歩いた。家を建てた40歳からの繰り返しでさほど苦痛ではなかった。
ところが、60歳で定年となったとたん、駅までの、あるいは駅からの道がたまらなく遠く感じた。めったに出かけないが、たまに出かけるときは、駅からこんなに離れた場所に住んでしまったのかと、その不覚を決まって悔やんでいた。
定年後、駅へ向かうときは妻が書き留めておいてくれた時刻表を見て、そのときどきのバスの時刻にあわせて家を出た。帰りは、バスとの連絡が悪ければ、歩かずにタクシーを使った。だらだらとつづく上ったり。下ったりの繰り返しがなんともつらかったからだ。
10分ほど待って、駅へ向かうバスは定刻どおりにやってきた。同じ停留所からは、なにやら楽器らしき大きなカバンを背負った若い男と着飾った中年の女があとに続いた。
バスの中には数人の乗客がいる。だが、だれもマフラーを首に巻いていない。駅へ着き、しばらく待ってやってきたガラ空きの電車の中でも、おしゃれ用のスカーフ姿の女性はともかく、冬用のマフラーを首に巻いた乗客は見かけなかった。
家にこもる日々が続き、身体からだの季節感がすっかり狂ってしまったらしい。マフラーを持ってこなくてよかったと思った。
時間はたっぷりある。途中の大きな駅で、いま、乗っている各駅停車から降りて、座れるかどうかわからない急行に乗り換えなくてもいいだけの余裕があった。ただ、都心の駅までのこれからの一時間は退屈に耐えていかざるをえない。通勤の朝はいつも時間のかかる各駅停車に乗って眠った。確実に座れたからである。帰りはさすがに座れないので急行に乗り、駅の売店で買った夕刊紙や週刊誌を読んで過ごした。
都心に出るのは久しぶりだった。なによりも定年からこちら、出かけていく用事がない。70歳を過ぎてからは、とりわけ機会がなかった。それに、家から出ること自体が大儀だった。いまも、「断ればよかった」という悔いがまだ多少残っている。
だいたい、だれかに会うのが億劫おっくうだった。何をしゃべればいいのかと思っただけで気が重くなる。電車の中で大半の乗客が携帯電話を見つめていた。その携帯電話さえなかったら、わざわざ出かけてこなくてよかった。