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終わったな

 まだ若かった昔、熟年と呼ばれるころだった。70歳になった自分の姿など想像できずにいた。しかし、またたくまに70代となり、気がついたらまもなく80歳を迎える年齢としだ。

 ひと足先の12月に80歳を迎えた女房が、おとといの早朝、冥界へと旅立った。ぼくが病院に駆けつけたあとに死んだことにしてくれたが、1、2時間前にひとりで静かに逝っている。彼女らしい。

 それでも、ぼくには達成感がある。もし、死後の世界があるならば、一昨年の春、先に逝った愛犬と虹の橋のたもとで再会できて互いに喜んでいるに違いない。あれほど、たがいに大切な同士だったのだから。

 どちらもぼくが見送ってやれた。ふたつの重責を果たしたばかりなので、いまは充足感に包まれている。なによりも、これからは、もう、スマホの呼び出し音にドキッとしないでいい。

 それほど大昔ではなかったころ、70代の自分など想像さえできなかった。入院前、女房は、老い、衰えていく自然の摂理を激しく嫌悪していた。もし、まだ、これからも共に生きていかねばならないとしたら、彼女のための慰めのことばをいい続けねばならなかったろう。

 70代は試練の10年間だった。30代から40代の10年間もひどかったものの、あのころは、健康だったし、若さがあった。70代のこの10年間は、前半こそささやかな栄光に浴したが、半ばからは不幸がまとめてやってきた。

 そんな70代も数カ月後に終わろうとしている。80代をこれから生きていけたとしても、どんな歳月が待っているのかわからない。願わくば、70代の10年間よりは静かで、マシな歳月になってもらいたいものだ。

 それにしてもあっけないほどの80年間だった。未練は何もない。女房は幽明へと逝ってしまったが、お互いに80歳を迎えることができた夫婦である。文字どおり、曲がりなりにもつかず離れずの歴史だった。

 いい人生も、悪い人生も、いつかは終わる。少なくとも、これで未練も、恨みも残さずに去っていけそうだ。80歳を前にした、そんな大団円の最期に満足している。

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