野生と親しくなる悦び
野生のカラスと仲よくなっている人たちの話題が、ときおり、インターネット上に流れてくる。外国のカラスだが、プレゼントを持ってきてくれる子がいる。この子は、野生のカラスなのに人間の友達の肩に止まっている。心を許しているのだろう。
そこまで仲よくなれずとも、毎朝、オヤツをやるだけで、カラスがこちらを少し意識してくれたら——と、あまり、多くは望まず、ちょっと特別な仲になるのを期待した。
最初の出逢いは夏のはじめだった。川の中で群れているコイたちに持参したパンのカケラをフェンス越しにやっていると、2羽のカラスが横にとまった。
カラスはまだ若い。少し小ぶりで、ハシブトガラスなのにクチバシがさほど太くなかった。2羽はとても仲がいい。兄妹のような気がしたのは、1羽がさらに小ぶりだからである。最初は、少し大きなほうが大胆だった。なんとなくお兄ちゃんのような頼もしさがある。
小さめだったほうがすぐに距離を縮めてきた。手を伸ばせば届くところにとまるようになった。なんとなく妹のような気ままさがある。お兄ちゃんのほうは、さらに少し距離をおき、ハラハラしながら見守っているようだった。
ぼくの毎朝の実感に過ぎない。小ぶりの子だけに「コグロ」という名前をつけていた。一度だけだが、コグロがおみやげを持ってきてくれた。セミの死骸だった。おみやげだったのかどうかはわからない。ぼくがそう思っているだけである。
やがて、コグロが目の前でオヤツの隠し方や、なんか所かある隠し場所も教えてくれた。兄と思っていた子とは、また、少し距離が開いた。さらに用心深くなっていたのである。
きのうのコグロは三度もうしろから翼でぼくの頭をたたいた。おとといは怒りの表現かと思った。だが、どうやらうれしかったらしい。今朝は、はしゃいだようすがない。野生と仲よくしていくには、そんな日だってあるさ。ね、コグロ——。