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クワの木の生命力に恐れ入る

 前にも書いた記憶があるが、いまなお、クワ(桑)の木の生命力のすごさに驚きを新たにしている。町田市のこのあたりだと、畑にたくさん植えられていて、かつてはこの地でも養蚕が盛んだったのがよくわかる。

 いまでは畑の境界を示す目印でしかないような木になっている。あとは、近くの小学校でおこなわれているカイコを育てる授業でのカイコたちの餌——すなわち、「クワの葉」の供給源だろう。

 春先だったと思うが、どこのクワの木も盛大に枝を切られてしまった。いくらなんでもやり過ぎじゃないかなと思ったほどだった。枯れてしまうのではないかとヤキモキした。ところが、木たちはたちまち枝を伸ばし、切られたのを忘れるほど盛大に生い茂った。すごい生命力だ。

 もし、枝を切らずにいたらどうなっていたのだろうか。手がつけられないほど繁茂していたかもしれない。農家の方たちは、いまや、畑の境界でしかないというのに、「枝を払う」という楽ではない作業をこなしている。

 もっと驚いたのは、その根元ねもとの悲惨な姿である。まともな幹もあるが、たいてい、写真のように、「それでよく生きていられるな?」と声をかけてやりたくなるほど悲惨な姿をしている。

 きっと老木なのだろう。大半が、まるで枯れ木のような姿である。その悲惨な幹も木によってさまざまだ。よく立っていられるなと瞠目しているのに、平然と、しかも盛大に葉をつけている。生きているのさえ信じられない。

 こちらもクワの木並みにとしをとっている。人間のわが身はとても正直だ。きのうの朝など、ちょっと体操のマネごとをしただけで背中の筋肉が痛くてならない。

 生きていくだけでも何かと苦労が絶えないこのごろである。「長生きしたい」ためにトチ狂って走ったりしたら、明らかにおダブツだ。クワの木に、少しでもあやかりたいと思うが、欲をかいてせっかくの定命を縮めてしまうのはもったいない。

 老醜をさらしながら、クワの木は枝を払われてもすぐに元どおりに枝をグングン伸ばして繁茂する。あんな悲惨な根元でありながら、しゃんと立ち、しきりに葉もつける。年寄り同士として、「恐れ入りました」と頭を下げるしかない。

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