国政選挙のたびに思い出す
半世紀あまり前、ぼくは大衆向けの週刊誌の編集者だった。最初に教わったのは、明日、人類が滅びるとしても、人々は「なんとかなる」と思う。それが人間だ……と。
数年後、世上はオイルショックから最初の「トイレットペーパー騒動」が勃発していた。20代後半のぼくは、新しい編集長の口から発せられたお粗末な楽観論に耳を疑い、あぜんとした。
編集会議で編集長はいった。「オイルショック? だいじょうぶだ。角さん(田中角栄総理大臣)がなんとかしてくれる」と——。それは、会議に居合わせた多くの者の、もしかすると、期待を込めた本音だったのかもしれない。
だが、週刊誌の編集者ならずとも口にしてはならないはずだ。一流大学を出た彼はまぎれもない秀才だった。率直で正直過ぎたのか。まさか、世間の、悪臭がただよう一面など見えない、凡庸な人間だったわけではあるまい。それにしても……。
経営が変わり、出版にはシロウトの新経営陣からの「家に持ち帰れる雑誌を作れ!」との至上命令はさらに不運だった。人間の根底にある色と欲、そこから派生した醜聞ネタは扱いづらくなっていた。ぼくは日々の仕事を失い、居場所がなくなった。
一方、角さんが首相になったとき、この国のマスコミの狂乱は常軌を逸していた。「今太閤」ともてはやす大活字を見てシラけた。
ただ、幹事長時代の角さんに、ぼくは、一度、会っている。前の編集長に命じられ、“角栄ブーム”を創り上げる対談記事を作成した。ブームをになった共犯者の、ぼくもひとりだった。
田中角栄はいかにも頼りがいのある、おやじタイプの泥臭い政治家だった。ほどなく凋落していったこの角さんへ、マスコミの熱狂はまったく残っていなかった。
日本はどう変わったのだろうか。まさか、「だいじょうぶ、首相がなんとかしてくれる」などいう、あきれた期待がいまだに存在する国とは思いたくない。