秋の長雨
雨である。きのうも終日の雨で一歩も外へ出なかった。季節がら、秋雨前線の影響だろう。秋雨前線とは、いかにも気象用語である。古来、自然に鋭敏なわが民族だけに、何かそれらしきことばがあるはずと、まずは『広辞苑』(といっても電子辞書だが)にあたってみた。
「秋霖(しゅうりん)」がある。「秋のながあめ」だそうだ。霖は「ながあめ」をいうらしい。いかにも季語めいていたので、次に歳時記を開いてみた。手元の歳時記によると、秋霖は「秋の雨」に括られていた。「秋雨は蕭条(じょうじょう)と降る」とある。そのとおりだ。「寂しい趣き」も秋の雨ならではといえよう。
秋雨が長く続いて秋霖、秋黴雨(あきついり)と呼ばれるそうだ。ほかの歳時記によると、「秋雨はどこかうそ寒く、沈んで浮き立たぬし、秋霖・秋梅雨入りは一層侘しい」とある。たしかに、春の梅雨のように、ときおり、予感するあの期待感がない。秋は、ひと雨ごとに冬を手繰り寄せるだけにひたすら侘しい。
秋の雨に関してはもうひとつあった。「秋時雨(あきしぐれ)」である。時雨は通り雨のことで冬の季語だそうだ。単に時雨といえば冬だが、晩秋にもよく降るのを秋時雨と呼ぶ。「山近い所では特に多くなにかわびしい」そうだ。
秋——とくに台風一過は好天が続き、湿度も低くなって絶好の行楽日和となる。長雨など忘れてしまいがちだが、秋は雨期でもある。そのせいか、今年は雨上がりの朝、何度か虹を見ている。いずれもきれいに弧を描いていない。虹の一部といったところだろう。「夏の虹は色あざやかだが、秋の虹は色も淡くはかなく消えゆき、哀愁がふかい」とあり、まったくそのとおりだった。「消えやすいところに風情がある」ともいう。
長い冬に向かう秋、雨や虹にさえ、古来、この風土では、はかない風情をひときわ尊んできた。秋の侘しさを味わおうとする前向きな心もまた日本人の知恵なのだろう。
*参考図書=『ホトトギス新歳時記 改訂版』(三省堂) 『新版・俳句歳時記』(雄山閣) 『合本 俳句歳時記 新版』(角川書店)