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思い出の中に生きる

 明後日から新年となる。ひとりで迎える何度めの新年になるのだろう。きっと、6回目の正月だ。ひとりになってから、そばに寄り添ってくれていた犬も、去年、死んでしまった。

 ぼくにとっての新年の思い出はキャンプとともにある。キャンプには10歳からハマっていた。40歳をいくつか過ぎてから、女房が参加するようになり、50歳を過ぎてから年越しキャンプをはじめた。

 以来70代半ばまでのおよそ20余年間、瀕死の、最愛の別の犬を抱えてキャンプどころではなかった年が1年あるものの、あとは「年越しキャンプ」と称して3泊から4泊を伊豆の高規格キャンプ場で過ごした。

 趣味優先だった。女房の負担を軽くするためでもある。元旦の朝は、ぼくの実家の流儀のお雑煮を食べて、元旦気分にひたった。午後からは、伊東の神祇大社へ初詣に出かけた。ここには、犬用のお守りがあったからである。

 2015年、元旦の初詣の帰り、突然の大雪に見舞われた。用意してあったチェーンなど、宇佐美から伊豆スカイラインの亀石峠I.C.へ至る坂道ではまるで歯が立たない。とうとう、キャンプ場へ戻るのを諦めたのは暗くなってからだった。

 といっても元旦の夜である。犬連れで宿などあろうはずがない。夜、東京・町田市のわが家へ逃げ帰っている。翌2日の朝、混雑した道路をたどり、ようやくキャンプ場へ戻ったのは、午後をだいぶまわってからだった。

 その日は撤収を予定していた。しかし、もう1泊してから帰った。案の定、海岸沿いの道路は混雑している。連れていた犬や家族はさぞ疲れたことだろう。翌年からは、亀石峠から伊豆スカイラインへ入り、有料道路を使った。

 それまで、帰路に伊豆スカイラインを避けたのには理由がある。50代のはるか昔、伊豆スカイラインが濃霧に包まれ、センターラインを目印に走ったことがあった。ようやく、霧が晴れてやれやれと安心したら、降りる道を間違え、小田原ではなく湯河原へ出てしまった。

 霧が出るのは夏だと亀石峠I.C.でいわれたが、11月にひどい思いをしていた。山の上のこの道が、夏、霧に包まれるのは聞いていた。しかし、夏でなくても深い霧にさえぎられてしまう。だから、I.C.の人のいうことなど信じなかったのである。

 濃霧の中、追い抜き、スピードを上げていくクルマもいたが、ぼくにはマネができなかった。そうでなくても、となりで女房が騒いでいる。追い抜いていったクルマを追ったら、あとあと、彼女からなんと罵倒されるかわからない。

 箱根峠で出口を間違え、大まわりしたものの、霧のない道を走れるだけで生きかえった心地がした。さいわい、1月の伊豆スカイラインで、濃霧に出逢うことはなかった。

 年越しキャンプには、まだまだたくさんの思い出があり、としを取ったら、思い出をかみしめて生きるのも悪くないと思っている。

 さんざんいっしょにキャンプをしてきた、コーギー犬も、去年、12歳で死んでしまった。この子が生きていたら、小さなキャンピングカーを買って、きっと、キャンプざんまいの日々を送っていただろう。その準備をはじめようとした矢先に、彼にガンが見つかり、手術のかいなく4か月後に死んでしまった。

 ここにも書いたが、この子をのこして先には死ねないと思っていただけに、いまは「ありがとう」と感謝の日々である。彼がいない二度めの正月をひかえ、感謝の思いを新たにしている。

 彼が生きていたら、いまごろ、無理をしてでもあの思い出のキャンプ場に出かけていただろう。そう、もはや、「無理をして」の年齢としなのである。

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