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想像できなかったこの日々

 きのうだが、近所の彼岸花の開花をたしかめに出かけた。ついでに、その先にあるスーパーマーケットまで足を伸ばした。昼食用の弁当を買うためである。いつもは何かを作って食べているのだが、外へ出たついでだと、つい、手を抜きたくなる。

 昼ごろの時間のスーパーはすいている。レジの稼働も3分の1くらいである。客層も男性の老人が多い。ぼくもそのひとりだ。すいている時間帯をねらってやってくるのは、老いても男らしいと思う。

 老人の男客の多くがこざっぱりした身なりをしている。それぞれ、背後にはその人なりのドラマがあるのだろう。ぼくと同じで独り暮らしの人もいれば、奥さんがなんらかの理由で外へ出られず、ダンナさんが買い物にきている人もいるだろう。ドラマはそれぞれだ。同じドラマはない。

 ただ、この方々のどれだけが、かつて、いまの自分を予期しただろだろうか。おそらく、ほとんどの人が老いてからの自分など考えつかないまま50代から60代を過ごしてきたのではないか。ぼくもそうだった。何歳まで生きていられるかわからなかったからでもある。

 来年の5月まで生きていられたら、ぼくは80歳になる。先日、X(旧Twitter)で、多くの人が80歳まで生きないと豪語(?)しているのを目にしている。40代とはいわない。50代のころのぼくも後期高齢の自分が想像できなかった。

 まして80歳の自分などまったくわからなかった。年をとらないと幻想をしたわけではない。老いと自分がどうしても結びつかなかったのである。だが、気がついたら80歳になろうとしている。若ぶる気は毛頭ない。身体も精神も、間違いなく年相応の劣化に抱きすくめられてしまった。

 まさか自分がここまで生きながらえ、年相応だろうが、劣化してしまうとは想像できなかった。人はそれぞれに老いていく。あとは、残りの日々を静かに生きていきたいと願うだけである。

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