青春の入り口だったころの恋
中学校の同級生に大好きだった女性がいた。しかし、彼女は学年を代表する才媛である。とうていおよばぬ淡い恋、高嶺の花でしかない。時代が時代なので告白なんかとんでもない。卒業とともにマドンナは才媛が集う都立の高校へ、ぼくは私立高校へと進んだ。
ときどき、マドンナを思い出しては青春のほろ苦さを噛み締めていた。最近になってFacebookで、中学時代はまったくつきあいのなかった同期のSさんとつながった。彼を引き合わせてくれたもうひとりも中学の同級生だった。見えない力が働いてこのふたりを引き合わせてくれたと思えてならない。
Sさんの奥さんはぼくの同級生の女性だった。名前をいわれてもわからない。しかし、間違いなく同じクラスだった。卒業アルバムを見ると鮮明な記憶がある。けっこう、強い女性が多かったなかにあって、背は大きかったが、物静かで、清楚という表現がぴったりの女生徒だった。
幼なじみ同士で添い遂げた同級生を何人か知っている。小学校の同級生も、また、中学にもほかにいた。幼い日に知り合い、やがて夫婦となる——理想的なカップルだ。Sさんご夫婦は、どうやら小学校からの旧知であるらしい。泣きたいほどうらやましい。
ふと、もし、自分がマドンナといっしょになれていたら、どんな夫婦になっているのだろうと考える。ず〜っと劣等感に苛まれながら、マドンナにつかえる下僕さながらの人生だかもしれない。いや、マドンナはそんな女性(ひと)ではないと思い直すのだが、やはり、ハンパでない才媛にいつもぶら下がっている自分の人生しか見えてこないのである。
先般、「もう、この年齢(とし)だし、いいだろう」とばかり、ふと、魔が差して、マドンナにFacebookの友達リクエストを送った。翌日、取り下げようとしていたら、「承認」の知らせがメールとともに舞い込んだ。うれしさ半分、怖さも半分でいる。