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偉大な登山家の伝記から「満足できる人生の第一歩は、些細な一歩だった」と知った件

日本で一番高い山と言えば富士山ということは皆さんご存じだと思うのですが、トップ5は?と聞かれると、登山経験者の方以外は知らない、ということがほとんどかと思います。

国土地理院によれば
2位:北岳(きただけ) 南アルプス
3位:奥穂高岳(おくほだかだけ) 北アルプス
4位:間ノ岳(あいのだけ) 南アルプス
5位:槍ヶ岳(やりがたけ) 北アルプス
という順番になってます。

実はこの1~5番目までの山は踏破したことのある私(夏山限定ですが)。
でもここ10数年、登山からは遠ざかっています。
それでも、行く先々で山を見ると、思わず見とれてしまうのですよね。

これは先日出張で飛行機に乗った際に見た、南アルプスの山々。

山もキレイですが、こうやってみると空の青さが際立ちますね

(ちなみにページトップの画像は、南アルプスのみならず、中央アルプス、おそらくその奥は北アルプスも写っていると思われます)

こちらは家族で出かけたスキー場(とはいえ、子どもがスキーデビューしてないので、キッズパークでひたすらソリをしていたのですがw)

今となっては、こんな具合に遠くから眺めることくらいしか山と関わっていないのですが、最近登山・冒険に関するインプットをする機会が多かったので、それについて書いてみます。

植村直己(うえむらなおみ)という人をご存じでしょうか?
世界最高峰の山、エベレストに日本で初めて登頂(登山隊の一員として)したほか、世界初の五大陸最高峰を登頂した人
で、国民栄誉賞も受賞しています。

1984年、登山中に消息を絶ってしまったということで、ちょうど40年前のことですね。
そのため私もリアルタイムでこの人の事を見聞きしたことは無いですし、大学生の頃も名前は知っていたけれど、詳しく知る機会もありませんでした。

先日、子どもと定期的に行っている図書館。
基本的には子どもが大量に絵本やら図鑑やら借りてくるのですが、自分も一冊借りるようにしていて、そこで借りたのが植村直己の伝記でした。

で、ここで触れたいのは、彼が登山をするキッカケと、世界の山に挑むようになった過程です。

植村少年は、幼い頃より口下手で、友人がうまくできなかったのだとか。
そのため大学に入ったならば、クラブ活動に参加し、友人を作りたいと思ったそうです。

いくつかの部活、サークルなどを見てみるものの、シックリくるものが無く、最終的に登山部の門をたたきます。

が、体力も無く、新人登山では先輩のしごきに遭い、最も落ちこぼれた存在だったそうです。

しかしここから一念発起。毎朝下宿近くの山道を9キロ走って体力づくりを行い、その後登山部の一員として、山登りの楽しさに目覚め、日本の山々を踏破していきます。

そうしていると「外国の山にも登ってみたい」と思うように。

そこで植村青年は、わずかな資金をもってアメリカに向かいます。
ここまで培ってきた体力にモノをいわせ、アメリカで労働し、「ヨーロッパアルプス登山」のための資金を貯めていきます。

しかしながら「観光ビザ」で就労していたことがバレて、強制送還されうる事態に。
この時、わざと英語ができないフリをして、日本語のわかる係員を連れてきてもらうことに成功。

その人に自身の登山への情熱をPRすると、係員に伝わったのか、送還は免れ「今すぐヨーロッパに向かうよう」に伝えられたのでした。

ということで、口下手な少年期の経験から、友人を作りたいという動機で登山を始め、いつの間にか異国に飛び込み勤労し、何なら外国人を説き伏せて、「五大陸最高峰踏破」に向けた道を切り開いていくという流れには、シビれるものがありました。

こうして見ると、偉業を達成する人のキッカケというのも些細な一歩だったのだなあということに気づきます。

偉業を達成するかどうかは別として、キッカケは何であれ「熱中できるモノゴトに出会い、それを続けていくとQOLは上がっていく(ジブンにとって満足のいく人生を歩んでいける)のかなあと思ったのでした。

ということで、今回は以上です!

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