白い彼岸花に母を偲ぶ
皆さんのお住まいの地域に白い彼岸花は咲きますか?
西日本、主に九州では一般的な赤の彼岸花の他に、白やクリーム色の彼岸花が咲きます。
私が白の彼岸花を初めて目にしたのは二十年以上前です。お寺の境内にあるお堂の一つに、供えた仏花の中に白い彼岸花が混ざっていました。彼岸花はお寺によく咲く花ですが、切るとあまり長持ちしない花です。白は珍しいと、どなたかお持ちになったのでしょうね。
当時は九州でも白い彼岸花は珍しく、私は白い彼岸花を見て、赤とは趣きが違うように思いました。赤い彼岸花は何か物々しく、忌まわしさを感じますが、白は何故か百合の花のような清廉さを感じました。
それから十数年、各家庭に白い彼岸花は徐々に広まり、ちょうどお彼岸の時期に住宅街を散歩すると、赤と白の彼岸花が咲いているのを目にします。それでも道に咲いている花の比率は断然赤が多く、白い彼岸花は特別に球根を植えて栽培するようです。
大切に育てた彼岸花は、地域の人達を楽しませてくれます。
白い彼岸花の花言葉は
「また会える日を楽しみに」
本当にお彼岸の時期になるとちゃんと咲いてくれる不思議な花ですよね。お彼岸が近づいてるぞと、私達に知らせるみたい、律儀な花です。曼珠沙華との呼び名も相応しいですね。
幼い頃、彼岸花を摘んではいけないと母に教えてもらった記憶があります。彼岸花は毒性がある花、昔の人はそうして危険な花を子供達に教えていたのでしょうか…。
亡き母は、道端の名も知れぬ草花を、それは見事に飾る人でした。
玄関口やテレビの上、庭に咲いた数本の花を飾り、いつも私達を楽しませてくれました。今でも兄は法事になると、母の飾った花を話題にします。そんな母は料理は苦手だったようで、花瓶の花と同時に、私達兄妹は母の失敗料理の数々を思い出し、涙を流して笑い転げます。
母には色々と教えてもらいました。和裁や手芸、編み物と、針仕事の楽しさを私達姉妹に教えてくれたのは母でした。残念ながら、生け花のセンスは私に遺伝しなかったようです。
幼い頃、母と手を繋いで歩いた田舎の道は赤の彼岸花ばかりでした。
今、母が生きていたら、この白い彼岸花を見て何を思うのでしょうか。
「彼岸花は摘んだらいかんよ」
やっぱりそう言うのでしょうね。
昨日、母の部屋を大掃除するとタンスの後ろから、短く切った毛糸が出てきました。車椅子に乗り、背を丸め、おぼつかない指で毛糸を編んでいた母。妹の顔を忘れ、孫の存在を忘れた母はカギ編みの編み方だけは忘れなかった。
編んではほどき、絡まった糸を切る、もう数年前から、決して出来上がる事のない膝掛けを編んでいた母。
最後に聞いた母の声は歌でした。救急搬送された病院で、ベッドに横になりながらも楽しそうに歌っていた母。
♪一人で博多に来たけれど、帰りは博多人形と二人連れ〜
そんな歌詞だったような気がします。父が迎えにでも来ていたのかなぁ…。
道端に咲く赤や白の彼岸花を見て、そんな事を思い出していました。
お彼岸を前に、仏壇のお花を替えました。
お母さん
また、いつかお会いしましょう。