マーベル映画の「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観た。バンタン会食(2022BTSFESTA)でナムさんがこの映画に少し触れていたので。「マルチバース」とは、自分たちのいる世界(バース)とは別に他の世界が並行して無数に存在するという概念のことらしい。 ナムさんは、このマルチバースの概念を話の導入として使っていた。
バンタン会食から(1):マルチバースの概念 バンタン会食の最後の方のナムさんの話し、かなり長くなったが、日本語字幕から以下に引用した。
-RM(ナムさん): 先日『ドクター・ストレンジ』の映画を観たんですが・・・マルチバースという概念 があるじゃないですか。皆さんはどう思われるかわかりませんが、本当に僕を知ってるARMYの皆さんだったら、僕は依然としてこう思っています。あるマルチバース には音楽をせずに平凡に就職をして会社員として生きている社員のキム・ナムジュンがいたかもしれません。 でも僕がこんなにも運良く音楽をすると言って調子にのって運良く呼ばれて、パン・シヒョクPDに出会ってBig Hitに出会って僕よりもっと才能のあるメンバーに出会えて、防弾少年団・・・今は「BTS」の方が聞き慣れていますが、僕にとっては「バンタン」なんですよ。バンタンのメンバーに出会えて一緒に音楽をやって、UNの演説もして、この動画が出る頃にはホワイトハウスにも行ってきてるだろうし、僕はそんなに大した人でもないのに・・・、未だにそんなことをすごく思っています。僕が歌手としてデビューをして偶然にも社会的にある意味全世界的にすごく重い責任感を持つことになって、ある意味僕たちはそれにふさわしくないかもしれません。僕たちはそんなにすごい人でもないですし、賢い人でもないですし、それでも7人が真心をもって何か一つのために前に進みながら、それからBTS・防弾少年団を考えたとき、人々はいつもARMYの話をするんですよ。皆さんが僕たちの本質なんです。なのでどんなときも皆さんを切り離して考えることができませんし、こうして今活動することがつらいと話しながらも、罪悪感を感じているのは皆さんがすごく・・・それについて失望されるんじゃないかと。僕が休みたいと言ったら・・・僕が休みたいと言ったら僕が悪人になったように思えて。ここにいるメンバーも同じですし、ただ偶然、僕たちが論峴洞(ノンヒョン)の小さい場所で一緒に住んでいたのに、ホワイトハウスまで行って。僕はこれ1つです。「Yet To Come」の歌詞に全て入っています。「Yet To Come」が公開された後だと思いますが、このバージョンが僕が考えるこのバージョンの宇宙の最善だったんです。 僕は僕がやりたいことや未だに守りたいものは、ただ僕たちが一緒に真心をもって一緒にステージに立って僕たちがこうして会食で話をした時にどんな法則にも関係なく僕たちが幸せに話をして幸せに何かをできるそれが僕が望んでいる全てです(涙)。
BTS (방탄소년단) ‘찐 방탄회식’ #2022BTSFESTA 「このバージョンが、僕が考えるこのバージョンの宇宙の最善だった」と言うところにはっとさせられた。いろんなバージョン(バース)があったかもしれない。その中の一つである「このバージョン」は今いる世界のことだろうし、そのバージョンが「僕が考えるこのバージョンの宇宙の最善だった」といっている。何という表現なんだろう。「最善を尽くした」の最上級の言い方といえばいいのか、いや、それ以上だ。時間軸も空間軸の拡がり感じられる「最善」だ。そう言い切れる程に頑張ったキム・ナムジュンなんだね。だから泣けてくるんだよね。 マルチバースの概念は単なる比喩かもしれない。現実には映画の中のように複数の世界を行ったり来たりできないし、今いる世界から移動はできない。だから、今生きている世界で最善で尽くしたことが伝わる。そしてそれが「このバージョン」なんだよって。
バンタン会食から(2):僕が僕であるために バンタン会食の引用の続き。
ただ、僕は防弾少年団を末永くやりたいです。長く続けていきたいし! 防弾少年団を末永く続けていくためには僕が僕として残っているべきだ と思います。なぜなら僕自身が防弾少年団ではないので。僕は防弾少年団の一部だから。なので皆さんの期待に十分に応えられなくて、すごく話したい話がたくさんあるんですけど、全てを率直に話すことができない点に関していつも申し訳ないです。でも僕たちはいつも本気です。僕たちはミスもしますし、完璧ではありません。たくさん失敗をしますし、自分自身も完璧じゃない人間だとわかっていますし。僕がなんでUNで演説をしてバイデン大統領に会えるのかわかりません。でも僕がわかっていることは僕たちが防弾少年団で、僕たちが皆さんに出会えたからここまで来れましたし、いつまで僕たちが共にできるかわかりませんが、本当に末永く僕たちが昔のようにかっこよくダンスができなくなったとしても僕は防弾少年団のRMでいたいんです。なのでこの本心を知っていただきたいです。今少し僕たちが立ち止まってだらけて休んでもこれからの長い道のりのためにもっと前に進んでいくので。
尾崎豊の「僕が僕であるために」が頭に流れた・・・。 個人的な考えだが、防弾少年団の核みたいなものは間違いなくナムさんだと思っている。だから「ナムさんがナムさんとして残って」いなければならないし、そうでなければ7名揃っていたとしてもそれは「BTS」ではない気がする。「防弾少年団(BTS)」が特別なアイドルグループであることの理由はそこにあるから。「すごく話したい話」が何なのか気になる・・・けど、「僕が僕として残っているべき」と早めに気づいてくれてよかったと心から思う。
「Yet To Come 」:すべての瞬間が新たなベスト 「Yet To Come (The Most Beautiful Moment)」のMVでは、砂漠に7名がいるし、波の音はかすかに聴こえるのみだった。彼らの楽曲「海」の歌詞 を思い起こし、ここからまたスタートしようとしているのかと、ある種の彼らの決意の深さが感じ取れた。ナムさんのRAP部分に次の詞がある。
「たぶん変わったものがあまりないと言ったら/You'll say it's all a lie, yeah/僕は変化は多かったけど/変わりはなかったと言うよ/A new chapter/すべての瞬間が新たなベスト /今僕はまるで13歳/あの時の自分のように吐き出す」
Yet To Come(The Most Beautiful Moment) 「すべての瞬間が新たなベスト」が何を意味しているのかしっくり理解できんなかったが、バンタン会食でナムさんが話していたことをあてはめ理解した。「A new chapter」を新しい挑戦とすると、瞬間瞬間に新しい最善を尽くしたという意味なのかな。「デビューする」、「国内で1位をとる」、「ビルボードで1位をとる」、「国内で大賞を受賞する」、「海外でも大きな賞を受賞する」、「世界ツアー」、「国連スピーチ」、「グラミーにノミネート&パフォーマンス」、「米国大統領に招かれる」、etc.・・・、バンタンが通ってきた道は、常に「新しい最善」の連続だったように思う。毎回最善を尽くしたという「最善の更新」ではなく、次々と起こる新しい挑戦に対して常に最善の方法を新しく選択しながら最善(ベスト)を尽くしてきたという感じなのかとイメージする。
最後に BTSについて気ままに書きたくてNOTEを始めました。 ナムさんの表現力が突出しているので、見過ごさないように自分用にメモってみました。書きながら自分が何を書いてるのかわからなくなる(笑)ということが何度かありましたが、書きたかったことはとりあえず出せたと思います。