魚を食べる、を考える。
魚を食べる、を考える。
きっかけは、某ラジオで「魚は調理が面倒なので食べる人が減っている」というもの。確かに、とは思うものの、感覚としてはそのとおりな一方で本当に実態はそうなのか? というが気になったので調べてみた。
少し前の記事で、魚の消費に関する実態調査があった。
あと、水産庁の「水産物消費の現状と消費拡大施策について(pdf)」という資料にもいろいろと載っている。魚の消費量の推移もそのなかに含まれていた。
これを見る限り、感覚として持っていたことは間違っていなくて、日本人の魚の消費量は減ってきている。
グラフの通りで、本当に例外的に減ってきてる。なんだか不思議なのだけど、もともとの消費量が多かったところから、肉食文化との融合で世界平均に近づいていっただけ? という気がしなくもない。漁獲量制限も多少は影響している気もする。
とにもかくにも、魚の消費量は減っていて、代わりに増えているものといえば畜産つまりお肉。スーパーではどちらも捌く必要のない状態で売られているけれど、そうなると魚の方はかなり割高になるので、肉の方に流れるのは消費者心理として当然な気もする。
魚を安く食べるとなると丸のまま買ってきて自分で捌く必要が出てきて、これは正直言って自分も面倒に感じてしまう。スーパーで、お願いすれば捌いてくれるけれど、残った骨の部分などの後片付けの面倒さとか、においが残るとか、こういうのが避けられてしまう要因だろうな、と想像つく。
タイパがモノをいう時代、捌く時間が必要な魚まるごとなんて、流行らないのかも。
自分の場合、ベジ中心の食生活を送っているとはいえ動物性のタンパク質はある程度摂るようにしていて、そのときに候補に上がってくるのは肉ではなく魚。なので基本的に魚を買うようにしている。逆に肉はほとんど買わなくなった。
魚の場合、後片付けとかにおいとかは、もうそういうものだと思って最初から織り込み済みで、それでもどうせ食べるなら魚を食べたいと思っているので気にしないことにしているのだけど。ただ、捌くのは本当に苦手なので、スーパーでプロにやって頂くことにしている。
ただ、最近はもうちょっと手抜きしている。
それは圧力鍋を使った調理。今年のはじめに圧力鍋を買ってから、なんだかんだでそれなりに使っているのだけど、そのひとつが魚の調理だったりする。
例えばアジがまるごと売られていたら、内蔵だけスーパーで出してもらって、あとは頭もついた状態でそのまま圧力鍋で20分。イワシはさすがに自分でやるけれど、内臓をとるだけで圧力10分ほど。
どういう味付けにするかによって、煮るときにいれるものは変わるけれど、基本は酒と塩少々。カレー系にするならターメリックを最初から混ぜたりする。生姜も少々入れてもいいけど、生姜の風味を活かしたいなら半分くらいは圧力後に入れる。
骨まで柔らかくなったところで、和風なら醤油や生姜などの調味料類、洋風なら香味野菜など、カレー系なら野菜やスパイスを。それぞれ入れてからどれくらい水分を残すのかなど調節しながら作っていく。
基本的にフレーク状になってしまうので食感が画一的なのだけど、頭も骨もまるごと食べられるので栄養価が高いのでは、という点と、無駄がほとんど出ないので廃棄率の低さはメリットだと思っている。まな板が魚のにおいがついて……ということもほとんど無いので片付けも楽。
近くのスーパーはアラも充実していて、マグロの血合いとか、ブリの中骨部分とか、そういうのが割と安くて助かってる。こういうのも、ほとんどは切ったりもせず同じように圧力鍋へ。何回かやってきたので、だいたいそれぞれに合った調理時間がわかるようになってきた。マグロはトマト系と相性が良くて、ブリの中骨は圧力鍋で食べられるようにすると、驚くほど旨味たっぷりだったりする。
臭みをマスクする意味でも、ターメリックを使ったインド系の調理方法は一番手軽。青魚にはレモンやタマリンド、なければ梅干しなどの酸味を足して南インド風にしたり、白身魚はココナッツミルクなどでマラバール式にしてみたり。コリアンダーの葉を添えたりすれば、一気にカレーっぽくなる。
洗練された外食の味には到底及ばないものだけれど、気取らない家の食事ならこういうやり方もアリでは。骨まわりから出てくる旨味は普通の切り身部分とはまた違った、まさに骨太な味わいがあって美味しい。もちろんエグミ臭みなども出やすいと思うので表裏一体なのだけど、そこはカバーする方法はいろいろとある。
面倒にならないオペレーションで、自分の脳内ハードルを下げておくことが大切なのかな、と思ってる。