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国立西洋美術館の「モネ 睡蓮のとき」

先日の旅行で訪れた倉敷の大原美術館で、モネの睡蓮が1枚飾ってあった。

「モネの睡蓮って、他にどこかで見れるんですか?」
「東京なら、国立西洋美術館にありますよ」
「あれ、そうだったんですか?」

そのときフレンドリートークでご一緒した方との会話はこんな感じだった。それなら近場だし行ってみようか、と思っていたところに、ちょうどモネの企画展が行われていることを知る。なんて良いタイミング。

そういうわけで行ってみた国立西洋美術館は、なんとなく予想はしていたものの、平日にもかかわらず開場前からそれなりに列が並び、館内もなかなかの混み具合だった。まあ、仕方ないかと思いつつ、これが休日だったらどうなることやら。

企画展は、モネが名声を確立したあとくらい~晩年までが中心で、題名の通り睡蓮の絵を中心にしてモネの絵柄の変遷が分かる構成になっていた。睡蓮だけで20枚ほどと圧巻だった。他にもモネが過ごしたという庭園の絵がたくさん。晩年の絵は色合いの複雑さもあって、なんだかよくわからなくなっていたけれど、とにかく凄みを感じた。

同じモチーフを何度も描いているんだ、とか、
近くで見たとき -> 離れて見たときの印象が全然変わるんだ、とか
やっぱり晩年よりも1903年ころの作品が良いな、とか
でもやっぱり色使いや構図では大原美術館にあった睡蓮が良かったかな、とか
いろいろと発見があって面白い。

ここまでひとりの画家の絵を沢山見たことって、なかった気がする。かなりの情報量でくらくらしてしまったけれど、見ている間の時間の濃密さが感じられる。不思議。

企画展をあとにして、同じチケットで常設展も見られるということだったので、そちらもひと通り。1500年ころの絵から、近代の絵まで。他にも彫刻や指輪などのコレクションもあって、常設展だけでもかなりの見ごたえがある。一部を除いて写真がOKなのも、良いのかな、とは思いつつもありがたい。

一番最後のほうで、大原美術館でも見かけたポール・シニャックの絵が。あぁ、やっぱりこの人の絵、かなり自分の琴線に触れるなあ、と。最後の口直し的な感じで、爽やかな絵柄が見れて満足。


こうして見てみて、自分には印象派の絵柄が結構ツボに来るらしいことが分かってくる。印象派の、特に風景画。モネの睡蓮もそうだし、ポール・シニャックの点描もかなり好き。印象派ではないけれど、ターナーの明るくて茫漠とした絵とかもなんだか琴線に触れる。

でももう少し踏み込んで考えてみると、印象派がどうこうよりもぼんやりした風景が好きなのかも。はっきりとメリハリのきいた主題があるものより、輪郭が滲んでいるようなものとか、ふんわりとした雰囲気があるものとか、ボケ具合が強いものとか。

これ、自分が写真を撮るときにも当てはまる。

例えば、ぼんやりと霞む風景とか、

水辺に反射する光とか、

単焦点のレンズのボケが好きで、主題もなく単にぼかしたものとか、

ぼんやりしたもの、くっきりしないもの、好みの色合いのもの、中でも色合いだけを追いもとめたもの。

なんか、そんなものを集めたくなってしまう。

しまいには、空のグラデーションだけを集めていたり。

こういうぼんやりした感じのものが好きなのは、どこからきているのか、自分でもよくわからないのだけど。これまで自分が撮ってきた写真と、自分が好きな絵画の世界とが少しリンクしたような、そんな感覚があった。

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