ビールのような微炭酸時間が必要なのだ
ひさーしぶりに、こうやってゆっくりと記事を書く時間ができた。
書くこと自体よりも、一人ゆっくりとビールを飲み文をしたためるこの時間が、穏やかでとても嬉しい。
このご時世、ひとりの時間を味わうのもなかなか簡単ではない。
携帯電話がいつ鳴り出すとも分からず落ち着かないし、仕事を終えてもすぐに家庭での役割が待っている。休みの日になれば少しは落ち着けるかなと思っても、どうせならばと自分で自分を急き立てて無闇に動き回ってる始末。そして月曜日を迎えてはこう思うのだ。「あーーー、もっとゆっくりしとけば良かった」と。
今日は、ほんの数時間だけれども一人が確約された時間を持つことができた。
ゆっくりと椅子に腰掛けて、穏やかな音楽をスピーカーから流す。照明はいつもより少し暗めにして、小さめのコップでビールを流し込む。
そして、この誰に宛てるでもない文をつらつらと書く。ゆらゆらと音楽に身を委ねながらタイプする。はて、この文章はどういう結末を迎えるのか、書いている本人ですら分からない。なんと贅沢な事であろうか。
どうしたって明日はやってくる。
相対する人の数の多い少ないに関わらず、それが、たった一人での時間だったとしても心の中の雑踏はなかなか静まることを知らないものだ。
自ら進んで自分とだけ向き合う時間を設けようとすることは、決して孤独の道を邁進することではない。ただ、役割に疲れた自分に対する労わりに過ぎないのだ。
流し込んでいたビールがいつの間にか黒霧島のロックに変わっている。
どうやら今夜の私は上機嫌らしい。
しばし、私は私と向き合ってみようと思う。
良い夜の匂いがする。