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惹かれ合う二人は悠久の時を超えて再び巡り会う

「あなた私のもとから突然消えたりしないでね」はユーミンが作詞作曲して原田知世が歌っていた『時をかける少女』の歌詞の冒頭部分である。この後「二度とは会えない場所へひとりで行かないと誓って私は 私は さまよい人になる…」と続いていくのだが、なんと切なくロマンチックな歌詞だろうか。

どんなに幸せな時を過ごしていても、いや現在が幸せであればあるほど、かえって「こんな幸せがはたしていつまで続くのだろう」「こんな幸せはいつまでも続くはずがない」などと不安を抱きながら人は生きている。「もしこの瞬間、大好きなあの人が突然いなくなったらはたして自分はどうなってしまうのだろう」「あの人がいなくなったらとても生きてはいけない」などと考えてしまう人が少なくないのではないだろうか。

「時をかける少女」の主人公・芳山和子は理科の実験室で謎のラベンダーの香りを嗅いだことが原因で時間を彷徨うことになるのだが、その時に知り合った未来からの来訪者・深町との間に恋が芽生えてしまう。深町は未来へ帰還する前に自分と過ごした1カ月間の記憶を和子から消し去るが、やがて和子は深町と同じ生物学を専攻し、もはや自分の記憶には残っていないはずの深町と衝撃的な出会いをすることになる。

私は死後の世界を信じないし、いわゆる「霊魂」の存在も否定している。また、意識は脳もしくは脳に準ずる認識器官から分離して単独で存在することはできないとも考えている。だが自己意識(私の意識)の再生までは否定していない。この死生観は強いて言えばインド哲学におけるサンサーラ(輪廻転生)の概念に近いかもしれない。

たとえ肉体が消滅しても「私の意識」は悠久の時を超えてやがていつの日かどこか知らない場所で再び蘇る可能性を否定することは決してできない。とはいえ、新たに獲得する脳もしくは脳に準ずる認識器官は現在の脳の記憶を引き継がないので当然ながら"現在の"記憶は残っていない。

それでも現世で最愛の人と出逢ってお互いに心から惹かれ合っていたならば、たとえ死によって互いの肉体が消滅し記憶もリセットされてしまってもお互いの想念は宇宙を貫き残存し続けるのではないか。そしてその強い想念により、愛する二人は悠久の時を超えて宇宙に無数に存在するどこかの惑星の片隅で再び巡り会えるのではないか。そんな願いを密かに抱きながら今日も私は生きている。

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