見出し画像

異なる知的生命体の間での意思疎通は可能か

広大無辺の宇宙には地球型惑星が無数にあると言われている。その中には私たちと同レベル以上の知的生命体が存在する惑星も少なくないはずだ。とはいえ、光速でも莫大な年月がかかるがゆえに私たちとの接点はない。今現在宇宙の各惑星に散らばっている私たちの”仲間”は、存在すれど私たちには決して確かめられない存在なのだ。

とはいえ、もし仮に広大な宇宙に無数に存在する(と思われる)地球型惑星に生息する知的生命体同士の交流が可能だとして互いに意思の疎通は可能であろうか。たとえ脳の構造や可視光域や可聴音域に多少のズレがあっても、それぞれの言語には共通の特徴を有するがゆえに将来的には変換(翻訳)可能であり、数学や論理学で用いる記号や公式が違ってもお互いに理解し合えるはずだ。

だが音楽はどうであろう。お互いによほど”脳”の構造が近似していない限り、私たちが感動したり楽しんだりしているように聴きとることはできないだろう。もちろん例えばモーツァルトの音楽を牛に聞かせると乳の出が良くなるというように何らかの反応を期待することは可能だとしても、それは私たちが芸術と認識しているものとは程遠い

だとすれば、この地球上に存在するかけがえのない無数の音楽作品が、地球を離れれば無意味・無価値なものと化してしまうというのか。然り。この地球上に存在する過去の大作曲家たちの素晴らしい芸術作品であっても、それを音楽として認識できる意識主体が存在しない限り単なる記号の羅列もしくは空気振動の特定のパターンに過ぎないのだ。

とはいえ、それは系外惑星の知的生命体がそれまで蓄積してきた膨大な数の音楽作品を、この私たち地球上の人間には何の意味もない単なる記号の羅列もしくは空気振動の特定のパターンに過ぎないことをも意味している。この宇宙には地球上における膨大な数の音楽作品と同レベル以上の作品が無数に存在すれど私たちには決して確かめられない存在なのだ。

私たちと同系の知的生命体であってさえ(特殊な言語変換システムによる意思の疎通は可能であっても)お互いの音楽を自分たちと同じように楽しめるわけではない。況んや、ケイ素系や硫黄系、あるいは私たちには想像も及ばない知的生命体と私たちとの間には音楽どころか意思疎通の手段さえ全く存在しない可能性が高い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?