部屋にYシャツがない私
嘘です。部屋にYシャツはあります。ただ、使ってないだけ。
約10年前、ハイデラバードで勉強してた(遊んでた)ときに、なんかの拍子に聞いた「部屋とYシャツと私」。当時、その歌詞を改めて読んで、専業主婦になることを前提にした(とは言ってないけど、少なくとも旦那がメインの働き手であることが想定される)結婚というのは、当時の日本の豊かさの象徴なのではないか、などと考えていた。
奥さんが働きたいと思えば働ける環境がある、でも子育てや家のことに専念したいのであれば働かなくても旦那の収入だけでやっていける、それが夫婦として理想じゃないか。そして、おれもいつか結婚するなら、無理な共働きはせずに暮らしていけるくらいの収入は得られるように頑張ろう、などと思っていた。
あれから、10年の月日が流れた。
おれは結婚して、娘が生まれた。
今のところ、望まない共働きたちはしないで済んでいる。
ただ、一つ、10年前に思ってたのと違うこと。
「部屋とYシャツと私」を磨くのは、おれの方だった。。。笑
妻がインドでの仕事を得て、インド行きを決めたときは(経緯はこちら)、まだ娘はいなかったので、共働きをするつもりでいた。なので、専業駐夫になるという感覚はなかった。そんななか、妻の妊娠がわかり、デリーではコロナが落ち落ち着き、妻の職場から正式にインド行きオッケーが出るうちに、「家に入る」というか専業駐夫になる実感が湧いてきた。
特に大々的な報告はしなかったけど、話す機会があった皆さんには妻の仕事でインドに行き、フルタイムの父になることを伝えた。日本の人もインドの人もだいたいみんなポジティブな反応だった。なかには、おれが働かないことを(良い意味で)気遣ってくれてる感じの言葉もあった。それから、インドの友人の中には、男が働かないで家にいる、ということがおもしろいのか笑う人もいた(嫌な感じではなく、そんなことあるんだ、的な)。たぶん、こちらに来て会った人たちも、妻が働いて夫が家で小さい子をみており、変な家族だと思う人はいるかもしれない(とは言え、インドの都市部の貧困層などで夫の仕事(する気)がなく、妻が家計を支える家庭もあるので、インド社会全体で見れば、そんなに珍しいことではないように思える。もちろん、伝統的なミドルクラス以上の家庭では妻が家に入るのが一般的ではないかと思う。何かデータがあるわけではないが)。
ただ、おれの母だけは「仕事はどうする気なんだ、〇〇(妻)さんに養ってもらうつもりなのか。」と言っていた(そりゃあ、養ってもらうんだけど、なんかもっと言い方があるだろう、笑)。
そして、自分自身、家に入ってフルタイムで子育てをするという選択を半分は誇らしく思うのと同時に、どこか半分は、男が働かないのはみっともないというか、なんか悪い気がしていた(親の価値観は子どもに映るもんだ)。
そして、インドにやってきた。おれは専業駐夫になった。
「部屋とYシャツと私、愛するあなたのため、毎日磨いていたいから〜」
とは言っても、部屋の掃除はアパートの管理会社が、洗濯はお手伝いさんがやってくれる(だから、駐夫で父だが主夫ではない。あと、日本の感覚でお手伝いさんを雇うと言うと、相当裕福というか普通の家庭じゃないような気がするんだけど、インドだとよくあること)。
なので、おれが磨くものと言えば「私」しかない。
「私」を磨くために家でできることは何かと言えば勉強と筋トレだろう。だから、専業駐夫が決まったときは、適度に筋トレでもしながら、だいぶ前にはじめた(ほぼ進んでない)通信制での学習や、これまで溜めていた読書や語学など色々やろうと思っていた。フルタイムで子育てとは言っても、お手伝いさんも雇えるし、フルタイムで働くのに比べれば時間はあるだろうと。
(子育てを舐めすぎていてすみませんでした。。。)
以前どこかで、駐夫での時間を上手く活用して、キャリアアップにつなげるみたいな話を読んでおれもその気になっていたが、絶対無理!笑(これはたぶん子どもが学校に行く年齢の場合の話)。多少勉強する時間はあっても、絶対にその間フルタイムで仕事をしてる方がキャリアの面ではプラスに間違いない。
それから、もう一つ舐めていたのは、子どものかわいさ。娘が生まれる前は、数ヶ月したら保育園に入れるのもありかな、とか思ってたけど、今思えばとんでもない。フルタイム父になると決めたときは、母が働くので、せめて父がみるべきと、どこかでそんな義務感のようなものも感じていた気がする。でも、娘が生まれてからは、そういうことじゃなくて、単純にかわいいからできる限り自分で面倒をみたいと、そう思うようになった。
現在、駐夫になってから7か月。娘が産まれて約5ヶ月半。本格的フルタイム父になり2か月ほど。
私とYシャツを磨くどころか、ミルクとよだれで私とTシャツがデロデロになる毎日が続いてる。
当分「私」は磨けそうにないが、なんとも豊かな経験をしている。