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育種は自己の表現を探る旅~ パンジー・ビオラの魅力を発信、そして繋げる遺伝子と想い~

    厳しい残暑が続いた9月も過ぎ、やっと秋らしくなってきましたが、皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。

 今回紹介する育種家は、宮崎でビオラ・パンジー等の草花を育種する川越ROKA(本名は路可)さんです。川越さんは、障害者が利用する支援施設の職員として、利用者と栽培した苗の販売収益を高めようと育種を始められましたが、経営母体が変更になって施設での苗づくりが行われなくなってからは、販売目的でない育種を一人で続けて来られました。そのため、川越さんは自らを「趣味の育種家」と名乗っています。

 でも、私がイメージする「趣味の育種家」とは、育種によって作りたかった品種を開発できれば満足して、その品種を普及しようとしない育種家です。それは自分の中で完結し、他に波及することがない育種だと思っています。

 しかし、川越さんは、自ら交配して作った「変わりもの」は、まだ花や葉などの特性が揃っておらず品種として売れないので、そこから「好きな特性を持つオリジナル品種を、あなた自身で選抜して作ってみませんか」と、積極的に希望者に種を配布するとともに、個人育種のパンジー・ビオラの情報の発信、個人育種されたものの作品展を実施しています。

 川越さんの話を聞いて、自分の開発したものを、育種素材として希望者に無償で提供する姿に驚き、心を打たれました。自分の「変わりもの」を用いて作られた新品種が世に出て、多くの花を愛する人達に喜んでもらいたいとの思いを強く持たれて活動される川越さん、「趣味の育種家」の枠を超えた本当に育種が好きな方だと感じました。

 今回の記事は、その川越ROKAさんから聞いた育種に対する思いと取組みを書かせていただきました。最後までお読みいただけると幸いです。
    

 

離し手   川越 POKAさん

        ❒ 幼いころから花が好き!
 
 昔は「神話のふるさと」、現在は「日本のひなた」のキャッチコピーでおなじみの九州は宮崎県の宮崎市で、パンジー・ビオラ等の草花の育種をしている川越ROKAと申します。
 
 宮崎市と言っても市街地から離れた田舎の小さな集落、父親はキュウリの促成栽培をしていた農家でした。私は幼いときから花が好きで、小学生の頃には田舎の雑貨店で売っていたアタリヤさんの花の種の種類は全て播きました。

    勉強熱心だった父は、私のためにタキイ種苗の会報誌の「園芸新知識(現・はなとやさい)」の花版を取ってくれたので、そこに載っていたカタログを見て、いろんな情報を得て、また植物も入手していました。昭和40~50年代の話です。
 
  ❒ 故郷でホテル関係の仕事に就くも…
 
    東京の大学に進学したものの中退、その後しばらくアルバイト生活をしていましたが、母が病気になったので宮崎に戻ってくることになりました。

    ホテル関係の植物部門を一括して担う会社に入社。結婚式やパーティでの装飾花の活けこみを行っていました。しかし、時はバブル全盛期。時期になると徹夜が続くほど忙しく、体調をくずして辞めることになってしまいました。
 
  ❒ 就労支援施設で花苗の生産業務に従事
 
 1990年(平成2年)29歳の時に、ご縁があって軽度の知的障がい者さん(施設を利用される方なので、以下「利用者」とします)の就労支援施設(当時は「授産施設」)に勤務することになりました。配属された農耕斑の仕事は、作業訓練として施設利用者の方々と共に花の生産・販売を行うことでした。
 
 花の販売で得た収益が、ご利用者さんの賃金に還元されるので、売上げのアップが重要な課題。でも、ご利用者さんの支援をしながら、また未熟な栽培技術しかない中で苗を作っても、売上げを上げることは難しいことでした。
 
       ❒パンジーのブルー覆輪の変異個体から育種がスタート!
 
    市場出荷の際に、プロの生産者さんの作った苗と、その競り値を見れば力量の差は歴然。それ以外で、何か付加価値を付けることができないかと思い始めました。

    そんな矢先、タキイ種苗さんのクリーンホワイトのパンジーの中から、縁取りがブルーの覆輪模様の個体が1つ出たのです!今でこそ、覆輪模様の品種はたくさんありますが、当時は初めて!当然カタログにもありません。初めて見る模様に綺麗だなと感動しました。

    市場出荷は規格が重要。色組みで白の花の中に違う覆輪の花が1つ入っただけでも、規格ランクが下がってしまう。出荷もできずに残していたら、自然に結実して種が出来ました。その種を翌年に蒔いたら、何と同じような覆輪のある花が咲いたのです!
 
    種苗会社のタネもたくさん播くと変わりものがわずかに出る。これを拾っていけば、カタログに無いものが出来る!と閃きました。こうして、変わりものを拾い上げていったのですが、そのまま置いていては種ができない株も出てきました。
 
❒ 交配を覚えて本格的な育種を開始!

 
 そこで、調べると人為的に「交配」すれば良いということが分かりました。交配を覚えたことで確実に種が取れるようになりました。

    すると、今度はこれまで拾ってきた変わりもの同士を交配したらどうなるのだろうと興味が湧いて来たのです。それを行ってみると更に変わったものが出て来るではありませんか!閃きが確信に変わった瞬間でした。こうして、更に育種にのめり込んでいくことになったのです。
 
 もうお気づきかもしれませんが、パンジー・ビオラの育種のスタートは、パンジー・ビオラが好きでたまらなかったわけでもありません。また、育種を今からやるぞ!と決意した訳でもないのです。ただ、やっている内に興味が出て来て、更にここから多方面に繋がって広がって現在に至っています。既に早30年もの年月が過ぎてしまいました。
 
❒ 日本で初めて「極々小輪」と「細弁」の2タイプのビオラを育成!
 
 交配を覚えたことで、更に挑戦したいことが出てきました。それは「原種」を使うこと。ツバキも好きで、ヒメサザンカを交配に使うと小輪に、トウツバキを使うと豪華になるという知識がすでにありました。原種を使うと新たな形質を持ったものが出来るのです。

    ところが、日本にはパンジー・ビオラの原種は自生しません。そこで、外国からカタログを取り寄せ、ビオラの原種と思われるものをあらかた入手しました。

    その中に日本のパンジー・ビオラに多大な影響を及ぼすビオラ・アルベンシスがあったのです!この原種、花は1cm弱と小さく、クリームの花も目立たないもの。がっかりしてこれは使えないと放っておいたのですが、株の形状が上にも伸びるのですが、横にも広がる形状になっていることに気づきました。

ビオラ・アルベンシス : ヨーロッパに広く分布する原種で、花も小さく
目立たないので、積極的に育種には利用されてこなかった

 当時、爆発的に人気のあったのがクリーピングタイプの‘サフィニア’。アルベンシスの株の形状から、もしかするとこの原種を使うとクリーピングタイプのパンジー・ビオラできるかもしれないと、パンジーとの交配を行いました。使えないと思っていたのですが、1つやると弾みがつくもの。当時生産していたパンジー・ビオラに総当たりで交配を行いました。その結果、ビオラとの交配で極々小輪系と細弁が出現してきたのです。これらの花型はこれまでにないものでした。
 

ののはなブルー :  ブルービオラ(品種名不詳)×アルベンシス、
日本で最初の極々小輪のビオラ

キャットニップ(バニー):種苗会社のビオラ×アルベンシスで
誕生した最初のビオラ群(後に改名されバニーに)

 
 この2つの花型も最初から目標があったのではなく、たまたま誕生したものです。始まりは突然、偶然、そして必然へ。育種はそんな関係のようにも思えます。
 
 戦後本格的に的に始まった日本のパンジー・ビオラの育種は、西洋のデザインを磨き上げる育種でした。そして、時代は昭和から平成へ。平成に日本で誕生したこの2つの花型が、気づきをもたらしました。「ビオラも花型などの改良の余地があるぞ!」と。これらが日本独自の原種のような位置づけとなって、日本人の美意識を反映させた新しい育種が始まりました。それが平成です。
 
       ❒ 徐々にオリジナル誕生、福祉施設への理解も広がる
 
 就労支援施設で生産した苗は市場出荷が主体。これまでにない花(ある程度固定したもの)を出すと、1品種わずかな数しかなかったこともあって、高値が付くものも出てきました。

    まだまだ福祉の情報が少なかった時代。オリジナルの苗を出すことで、価格よりも施設のことを知ってもらえた方にメリットがあったように思います。
 
   ❒ 精神的な病により就労支援施設を退職へ
 
 こうして結果が出てきた施設での育種でしたが、施設の経営母体が代わって方針変更。育種は必要ないこととなってしまいました。

    また、私は別の施設に異動。目まぐるしい変化に施設内は大混乱、人間関係の軋轢で精神的に疲労困憊し、退職をせざる得なくなりました。
 
       ❒ パンジー・ビオラに助けられたその想い
 
 退職直後は、本当に体が動きませんでした。パニック症候群からの軽度の鬱を発症、絶えず体が緊張状態で疲れる。信じられないでしょうが、パンジー・ビオラの苗を1つ鉢増しするのにも数分かかる。しばし横になって休まないと次が出来ない状況でした。
 
 しかし、そんな中でも花を見ると「これはいい花だな」とか「あれとこれを交配するといい花が出来るかも」との気持ちが湧いてくる。そして、土を触っていると気持ちも和らいでくる。その繰り返して、徐々に病状も落ち着いてきました。
 
 私は、パンジー・ビオラのおかげで今ここに生きていると思います。花には人を癒す力がある。何かこれらの花たちを悩んでいる方々に届けられたらとも強く思い始めた頃でした。
 
       ❒ 園芸店に勤務、パンジー・ビオラの情報の発信を開始、そして作品展            を開催へ
 
 一年の療養後、病状もかなり良くなってきたので、再就職口を探したのですが、年齢的にも40代半ば、それに加えて父親の介護も始まり、新たな職場を見つけることは困難を極めました。そして、縁あって現在の園芸店にパート(週3日)として勤めることとなったのです。
 
 そこで、予てよりやりたかったブログで日本の個人育種のパンジー・ビオラの魅力の発信を開始、そして種の無料配布を始めました。更に店の協力を得て、各地の育種家さんたちの作品をお借りしてのパンジー・ビオラ作品展を始めました。作品展は16回目を数え、40名近くの方にご参加を頂いています。また、「ここに来れば日本のパンジー・ビオラのトレンドが分かる」とまで言っていただけるようにもなりました。本当にありがたいことです。
 
    パンジー・ビオラの情報発信は、現在ブログからインスタグラムに主軸が移動。これまで、栃の葉書房さんの「園芸collection」に10年間の連載をさせていただきました。他の出版社さんからもお話を頂くこともあり、SNSに加えて、ご依頼のある限りはそれに応えてく心算です。
 
        ❒ 一年草(パンジー・ビオラ)の育種は、遺伝子とその育成に関わっ                た先人の想いを繋ぎ繋げるもの

    仕事としては不要になった育種ですが、終わってしまってはこれまでの努力が無になります。幸いにも実家に父が建てた小さなビニールハウス(6m×10m)がありましたので、施設を退職した後も趣味で育種を継続してきました。
 
    私は、オリジナル品種を品種登録や種苗登録はしておりません。また、登録しようという気持ちもありません。植物を品種登録するには、固定(均一に揃うこと)が大前提。その基準を満たしていないということもありますが、それよりもパンジー・ビオラの歴史を知るにつけ、その育成に関り繋いできた先人の想いを知れば個人のものにすべきものではない。これからも続くであろうパンジー・ビオラの歴史の一期間を預かり、後進につないでいくべきものと強く考えるからです。ただ、これは私の考えであって他の方に強制するものではありません。
 
 そのために、これからの方々に育種に関わってみたいと思わせるようなパンジー・ビオラを育成せねばと常に思っています。
 
      ❒ オリジナル品種の育成をサポート、希望者へ種子を配布
 
 1998年(平成10年)、改良園さんの会報誌「園芸世界」(今は廃刊)に施設での育種の様子を紹介していただきました。その記事を見てわざわざ高知県から訪ねて来られたのが、見元園芸さん。当時の品種のほとんどを持ち帰れられたのが、見元さんの育種のスタートです。そして、その後オリジナルを数多く作出されて、皆さんご存知の存在です。特に「ラビット型」は見元さんが完成された花型です。
 
 本当にパンジー・ビオラのいろんな形質を探ってきました。しかし、個人では追いきれないほどの変化がある。ふと、脇を見ると見元さんが私にはできない花を創っている。限界も感じましたが、可能性も感じた瞬間でもありました。ここから人に託すという可能性にシフトしてくことになりました。
 
 園芸店に勤務を始めてもう一つやりたかったことは花苗の生産でした。生産者さんを探すも「固定もしていない、発芽率もわからないものは播けない」と断られるばかりでしたが、それでも何とか生産にこぎつけました。そこから徐々に個人育種の認知、オリジナルを持つことの重要性の認知が生産現場で広がって行ったように感じます。
 
 現在は、播きたいと希望する方も多くなり、その方々に種を提供しています。未固定ですので、何を選ぶのかはその方のセンス次第。それがその方のオリジナル品種へとなって、育種家を名乗る方も多くなってきました。皆さんが私にはできない花の世界を見せて下さるのが、とても嬉しく、また楽しくして仕方がありません。
 
  ❒ 未使用の原種を用いて、本当のオリジナルを
 
 現在のパンジー・ビオラの育成に関わった原種は、5つ程度と伝わっています。それ以外にも原種は多数ありますので、それらの原種を使っての交配を始めました。ここから誕生するものは、明らかにこれまでとは違う血筋の違うパンジー・ビオラ。それがどのようなものかはまだ分かりませんが、完璧な日本のオリジナルです。現在3原種の交配まで行っています。


〔(マセドニカ×アルベンシス)×ペルトロニー〕系

 
    ❒ ケイトウには多大な可能性がある、それを知る楽しみ
 
    このように、私の育種はパンジー・ビオラから始まって、徐々にケイトウ、ヘメロカリス、ハナショウブ、アサガオ、ナデシコ、バラ、ゼフィランサス等の興味を持つものに広がっていきました。ですから、1年中何かしらの交配を行っています(笑)。
 
    夏場はケイトウを交配しています。その結果、これまでになかった「しだれ咲き」を拾い上げることができました。ケイトウは育種している人がいないので、データが全くありません。手探り状態での育種は大変ですが、分からないことを解き明かしなら進める作業は楽しいものです。ケイトウには、多大な可能性がある、今では、確実にそう思えるようになりました。
 

しだれ咲きケイトウ
伊勢風柳


瓔珞しだれ(ようらくしだれ)

 
     ❒ 育種は「捨てる」のではなく「拾うこと」、また自身を表現する活動
 
 「育種は捨てること」と言われますが、私はその表現が好きではありません。ですので「拾う(こと)」との表記を使っています。どんな花でも価値がある。つぶさに観察していけば可能性を拾い上げることが出来る。これは福祉の現場で学んだことで、これが私の育種に多大な影響をもたらしています。これが私の育種のベースです。
 
 また、育種とは表現活動でもあります。表現を探ることは、自身を探ること、つまり自分探しです。それまで自分が生きてきた経験など、その人しか表現できないことがある。全てが表現(花)に結びついてきます。これが「花は人なり」と言わる所以です。
 
  ❒ 育種とは喜びの循環
 
 繰り返し言っていますが、私は趣味の育種です。ですので、儲けなどは関係なく、このパンジー・ビオラの魅力を伝えるために種の配布、それを育種(種まき、交配など)する楽しさを伝えるべく行ってきました。
 
    最近ですが、種を差し上げたからメールを頂きました。親の介護や子供の病気などで緊張の日々、それで自身も精神的な病気になった。パンジー・ビオラを育てることが唯一の自分の時間、それがあったからこそ乗り越えることができたと。自分も過去に同じ病気、つらい方へ種を届ける想いもあったので、そのメールを頂いた時には胸が熱くなりました。
 
 自分の楽しみで作り出した花が、皆さんをときめかせ、喜ばせる。その皆さんが喜んで下さることが、再び自分の喜びにも繋がっていく。育種とは喜びの循環です。育種をとおしてそのことを学びました。皆さんに喜んでいただくために新たな花の表現を探る、挑戦して行くことが、私の育種のモチベーションの1つです。
 
 育種をとおして花たちがたくさんの方々と繋げてくれたことを、私は感謝しています。すでに育種は自分の人生の一部です。
 
  ❒ 育種は難しくないので参画してほしい、次世代を豊かな社会に
 
 現代は、コストパフォーマンスが求められる時代。結果が出るのに時間がかかり、無駄もある育種の世界は敬遠されるのかもしれません。しかし、育種は自己表現でもあります。社会や組織の中で馴染めず、自分の力を発揮できずにいる人には、育種の世界が自分の居場所になるのではと思っています。
 
 多くの方が育種を始めて自分にしかできない植物を創る。それは間違いなく豊かな世界です。そして、日本は類を見ない育種天国でもあります。
育種は難しくありません。あなたしか創れない花がきっとある。そして、その花はきっと誰かを喜ばせます。どうぞ、育種への世界へご参画ください!

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