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家具屋から国産そばを使う手打ち蕎麦屋に転身(2) そば教室の卒業生から、ミシュランの星を取った蕎麦屋も誕生 

 ❒ 蕎麦屋「玄庵」を開業、そば教室も始める
 
店に「玄庵」って言う名前を付けたのは、俺が骨董が好きなので、銀座の骨董屋のばあさんと知り合いになったのよね。そのばあさんが、「ん」が付く名前が良いというもんだからさ。玄庵なら、「ん」が2つ付くのでつけたんですよ。 

 ただ、俺は蕎麦屋をやっても、初めからその辺にある町の蕎麦屋みたいになりたいとは思わなかったからさ。うちの兄貴が陶芸教室の先生をやってて、その背中を見てたでしょ。でも、土なんか練ってると、冬は寒くて冷たいしね。あれは、素人の人にはなかなかできないんだよ。それで、どうせやるなら、蕎麦屋の教室の方がいいだろうと思ってカルチャーに入ったのね。

 そばなんて、打つのは他人が思うより簡単なのよ。蕎麦屋は、皆かっては手打ちをやっていたけど、面倒くさいからやめたわけでしょ。そうして始めたら、ちょうどカルチャーブームと手打ちの方がうまいっていうブームが来てくれたのよね。

 ❒ 家具の間で行っていたそば教室を日経新聞が取材、記事にして有名に
  なる

 
 そんなわけで、まだ家具を売っているときにそば教室をやるぞって宣言して、店の家具の間でそば教室を開いてたんですよ。そしたら、すぐに日本経済新聞が取材に入ってきたのね。

 急だったから、飲み屋のかあちゃんとか皆にサクラになってもらってさ。当時は、定年退職になった後の老後をどうするか、リストラにあった後にどう生きていくかということが話題になってた時代だから、俺が家具屋から蕎麦屋になってそば教室を開いたことを耳にして、取材に来たんだね。

 そしたら、新聞に大きく出たのね。年中取材が来るようになったんですよ。おかげで、そば教室も有名になったんでね。良かったですね。               
 
 ❒ プロをめざす人が学ぶコースもあるそば教室

 そばの教室は、プロコース、インストラクターコース、それに体験教室っていう3つのコースに分けて教えてるんですよ。インストラクターコースっというのは、町おこしなんかの指導をしている人向けでね。体験コースには、外国人も来たりしてますね。

 ただ、家具屋は平成8年に完全にやめたのにね。よわっちゃってるのは、今も東京都の家具屋の組合の相談役と理事をやらされてるんだよ。組合の総会などがあるとね。終わった後の宴会の乾杯は、俺がやんのよ。その代り、新年会などは、玄庵でやろうと皆この店まで来てくれるのよ。

 ❒ 蕎麦屋とテナントに貸した賃料で借金を返済
 
 この蕎麦屋のおかげでさ。やっと、借金も返すことができたんだよ。蕎麦屋は、そんなに金が残せる商売じゃないから、蕎麦屋の利益だけでは返せませんでしたよ。当時持っていた松戸のビルと、家具屋をやっていた今のビルの1階をテナントに貸した賃料を、借金の返済に回すことができたんですね。

 金利が低くなったことも助かりましたね。蕎麦屋をして時間を稼いでたっていうことですよ。結局、それで借金もなくなって、どうにかなったってわけよ。やはり、商売が好きなんだね。そこへきて、ペガサスに入って教育を受けてるからね。商売の戦略っていうのは、普通の人より優れていて、蓄積されてきているものが閃いてくると思うんだよね。
 
 ❒ 家具屋を継ぐはずだった息子は、会社の社長に
 
 さて、ここでせがれのことも話しておこうと思うんだけどね。うちのせがれも、実は家具屋を継ぐわけだったんだよ。せがれも、大学は俺と同じ日大なんだよね。生意気に留学したいって言って、派遣留学生でワシントン州立大に行ってたのよ。そこから、そのワシントン州立大の大学院に行ったんだけど、俺がドジ踏んだから勤めさせたのよ。

 リチャードアリスっていうイギリスの不動産会社に入ったんだけどね。そのうち英語ができたからだと思うんだけど、あの有名なゴールドマンサックスっていうアメリカの会社にスカウトされて社員になってさ。今は、日本橋にある会社の社長になってるんですよ。うちのあんちゃんが良かったのは、前の女房が死んだでしょ。それだけに、独立心が燃えたんじゃないかと思ってるのよ。
 
 ❒ 女房の死
 
 女房は喘息があったので、昭和59年に市川の東京歯科病院入院したんだけど、結局死んじゃったのね。一瞬のうちに逝ってしまったんだけど、今あるAEDとかいう機械があれば何とかなったと思うんだよね。

 結局かみさんに死なれたから、俺もバカなことやって財産を減らしていく形になっちゃったわけね。かみさんが生きていれば、おそらく俺が財テクに手を出した時には、何とか言って止めたんじゃないかと思うんですね。そのまま、じっとしていた方が良かったけれど、性分だからしょうがないよね。

 子供は優しい性格なんだけど、大学4年の時におふくろに死なれて苦労を経験したからね。今では有名な会社の社長になれたんだから、何も言うことはないよね。
 
 ❒ ほぼ定員で埋まるそば教室、卒業生の開店した店が2百軒を超える
 
 最近は、うどん圏でそばはあまり食べられてこなかった関西でも、そばが流行ってきてるんですよ。関西は大手の支社があるので、結構関東の人が多いんだよね。だから、関西で蕎麦屋をやった人はつぶれないですね。去年開店した関西の蕎麦屋は、でっかい雑誌に紹介されているんですよ。

 おかげで、今は全国に俺の教室を出た連中が出した蕎麦屋が、200店にもなるんですよ。生徒は、定員が5人で、連日来て勉強して1か月で卒業してもらっているんですよ。いつも定員いっぱいの5人はいないけど、3、4人は大体来てくれているのね。

 それに、勤めながら来るっていうフレックスっていうコースがあってね。週1、2回自由に来て、3、4か月で卒業という人も多いんですよ。長い人では、転勤になっちゃって、また戻ってきてまたやる人もいるのよ。

 プロの蕎麦屋にならない人もいるけど、そういう人は、開業できなくてもそばのオーソリティになりたんだな。技術を自分のものにしようっていう気持ち見たいね。それだけ豊かな時代になったんだね。そういう生徒のために、そばのことを毎日考えて教科書を訂正していくから、俺はそばについて、本当に詳しくなっちゃったって思うんですよ。
 
 ❒ 蕎麦屋は、やる気さえあれば続けられる
 
 卒業生が開業して、つぶれた店があるかって良く聞かれるんだけどさ。本人がやる気さえあれば、大丈夫なんだよ。蕎麦屋は金が残るほどまではいかないけどね。どうにかやっていけるのよ。俺の教え子も、皆結構やっているよ。

 本八幡で「玄庵ながせ」いう店を始めた奴なんか、自信を持っちゃってさ。月曜と火曜を毎週連休してやっててね。「蕎麦屋になって良かった」って言われたよ。中には、金を残してる人もいるのよ。

 青砥で出前蕎麦屋だった店がやめてね。そのせがれが、うちで勉強して根津に「よし房・凛」って名前で手打ちそば屋を開業したのよ。そしたら人気が出て、店の前には朝から客が並んでてね。しっかり残してるんだよ。開業した店が繁盛してくれるのが、やはり一番うれしんだよね。
 
 ❒ そば教室卒業生が開いた蕎麦屋4軒がミシュランの星を取る
 
 食べ物を扱っているのに、客から聞かれても売っている食べ物のことがわからず、まるっきり答えられない人も多いじゃない。八百屋だって、売っている野菜の品種名やどう栽培したかも言えない店がほとんどでしょ。その辺の町の蕎麦屋も、皆そうですね。でも、うちの教室を出た連中は、どれが良いそばかを、俺がきちんと教えているから大丈夫ですよ。

そ んなこともあってか、ありがたいことにうちから出た蕎麦屋では、奈良の「彦衛門」、札幌の「札幌玄庵」、「一水庵」など、4軒がミシュランの星を取っているんだよ。どの蕎麦屋も取れてないのよ。俺が教えた蕎麦屋だけだよ。ミシュランだって偏見はあるんだろうし、「何で立石の玄庵によこさないんだよ」って、言いたくなるんだけどさ。そう思ったって、何とも言えないけどさ。でも、「ミシュランで星を取った」と言ったら、いろんな人が一目おくもんね。

 うちの店も、俺が教室で教えた3人に厨房やフロアをやってもらっているのよ。そば教室の方は、今でも俺がやってますけどね。店をやってくれている一人は、東洋大を卒業した北海道の人なんだけど、お父さんの仕事が良くないみたいだし、北海道に帰ったら蕎麦屋をやるんでしょうね。お父さんとお母さんが、ここに挨拶に来てくれましたよ。
 
 ❒ そば打ちの技術をつかむことより、ポリシーを持って人の心をつかむ
  繁盛店をめざせ


 でも、教室に来ている生徒には、言いたいことがいろいろあるんですよ。ほとんどが、目先のそばを打つということばかりに夢中になっているんだよ。うまく打とうというのはわかるよ。だけどね、あんなものは誰でもうまくなるんだからいい加減にして、商売のポイントをわかってほしいんですよ。その肝心なことが、わかってないんだよね。

 だから、結局自分で能書きを言うわけじゃないけどさ。うちの兄弟はね、ちゃんと日本のチェーンストア学を学んでいるのよ。俺なんか、アメリカまで行ってきちんと勉強しているのね。そういう俺が、いくら言ってやってもわからなくてさ。とにかく店を出したいっていう気持ちはわかるんだけどね。

 でも、今はそんなにもうかる仕事じゃないからさ。何よりも、店のポリシーをしっかり持ってなくちゃだめなのよ。
 プロの蕎麦屋をやろうっていう人には、そば打ちの技術を覚えてもらうことも大切なんですけどね。それ以上に、客に喜ばれて繁盛する蕎麦屋をやってもらいたいんだよ。だから、うちの生徒にはね。何よりも、今の人たち気持ちを知って、どうすればその人たちが店に来てくれるようになるかを考えて商売してほしいのよ。
 
 ❒ 昔ながらの机や椅子を詰め込んだような店から脱却すべき
 
 まず、知らなくちゃいけないことは、今の人たちは猫も杓子も大学へ行って、教育を受けているっていうことですね。それに、皆海外旅行になんか行ってさ。いろいろなレストランを見てきている人たちでしょ。

 そういう目の肥えた人たちに来てもらわなくちゃいけないのに、その辺の蕎麦屋を見てほしいんですよ。江戸時代の昔から、ほとんど何も変わっていませんよ。代々やってきたとおりに、そのままやれば大丈夫と思っちゃってるのね。どの店に行っても、形が決まっちゃってるじゃない。あれじゃだめですよ。 

 客が座ると後ろを通れないほど、机を椅子を詰め込んでさ。せっかくそばを食べに来てくれたのに、窮屈な思いをさせてさ。あれじゃ、落ち着いて食べることもできないよね。おかしいじゃない。今は、そういう時代じゃないと思うのよ。そばなんか、どうせ安いんだから、それでいいと思っているかもしれないけどね。
 
 ❒ 店のつくりや飾り物、使う器も高級にし、客の心をつかむ蕎麦屋に
 
 そばは、原料代が米より高いんだから、それにふさわしい店にしなくち
ゃいけないって俺は思うのよ。だから、それなりの値段を取ってそばを食べてもらうには、建物も室内の作り方も高級にしなくちゃね。そして、ゆったりとスペースを取って、壁にはそれなりの絵を飾ったりして、使う器も良いものを使わないといけないと思うんだよ。どんなお客も、皆最低限の教育を受けてきてる人達でしょ。それなりの文化らしきもの、コピーじゃなくてちゃんとしたものを置くんですよ。そうしないと、いい客はつかないと思うんですよ。

 テーブルは1つか2つ位に減らしていいから、いいものを置いて、客をつかんでいかないとダメなのよ。店としてのこだわりを出していくことが大切なのよ。今の人は、皆高学歴で金持ちだから、安物を追いかける必要もないんですよ。そこいらを見極めなくちゃダメなんだな。とにかく、値段でいこうなんて考えている店は、なくなっちゃうね。

 今日本は、どんどん少子化が進んでますよね。だから、大量に売る時代はある程度終わっちゃっているのよ。そう考えると、店の飾り物も大切なんですね。今の人は、子供の時からファミリーレストランに行くでしょ。ファミリーレストランが決していい作りではないけれど、それでも今までのような日本の食堂とは違って、それなりのしつらえと飾り物がありますからね。

 蕎麦屋なんかは、手打ちを出すのだから、飾り物もちゃんとしたものにしないと、客は離れていっちゃいますよ。日本人は金持ちなのだから、手打ちは高くても高いと思う人はいませんよ。そう思う人は、来られないんですね。
 
 ❒ 自分の設計でアンティークのテーブルや家具、骨董品などを置き
  民芸調の店に改装

 
 うちの蕎麦屋も、家具屋で売れ残った家具がたくさん置いてあったから、開店当時は3階を使っていたんだけどね。俺が全部設計してさ。平成10年にこのように2階を店に改造したんですね。家具屋をしていたこともあって、18世紀から19世紀のアンティークのテーブルや家具を置き、もともと骨董好きだったから、持っていた器なんかを飾り物としてところどころに置いて、民芸調の店にしたんですよ。どうですかね。その辺にある絵や壺などの飾り物は、全てコピーじゃなくて本物ですよ。それに、これだけの家具を置いている蕎麦屋は、全国にどこもないと思いますね。

 ヨーロッパの食堂は、皆それなりの文化があって、飾り物がきちんとしていますよ。大したものが置いてあると思うんだよね。でも、そばを麺にして食べるのは日本独特のものですから、「わびさび」にも通じるでしょ。だから、逆に蕎麦屋の場合は、飾り物を置かずにそのままでもいいと思うんだよ。そこを見極めないと、蕎麦屋でも優劣がついてくると思うのよ。蕎麦屋という店に対する自分の思い、それをきちんと理解できないと、その先に行くことはできないのよ。

 この間、卒業生などのグループ向けに、出している俺のブログがね。どういうわけか、ヤフーに載ってたんだよ。松本にスキーに行くと、「きく蔵」っていう居酒屋に行くんですよ。居酒屋だっていってもね。素晴らしい器も使っている店で、ものすごく繁盛しててね。そんなことを書いたんですよ。観光の意味もあってヤフーが取り上げたんでしょうけど、居酒屋でも、やはりそれなりの文化を発信している店には、人は魅力を感じるんですね。時代が流れているから、蕎麦屋も180度転換してもいいんじゃないかと思うんだよ。我々の時は、親の跡をついで、多少やっていれば良かったけどね。
 
 ❒ 生徒に紹介できる良い蕎麦屋は見当たらない
 
 それと、今の蕎麦屋はね。昔みたいにそばを単品だけ食べるというお客だけだとやっていけないんですね。売り上げが合わないのよね。だから、それだけ違ってきたんですよ。こちら側の用意するスタンスもね。だんだん西洋料理と同じように、いろんなメニューを出さないとさ。それをはき違えて、ただそばを出せばいいという蕎麦屋は、大したことないんだよ。

 俺は、いろんな蕎麦屋をずっと見て歩いているけどね。ろくな蕎麦屋はないんだよね。俺が言うような蕎麦屋、これは良いという蕎麦屋はないのよ。昔のままやってるから伸びないんですよ。そして、店が汚いですね。だから、いつになっても大したことはないって思うのよ。

 教室を卒業していく連中に、このことを言うけど、わからないんだな。俺が、このことを何度も口にするので、「行ってみたいから、先生がいう良い蕎麦屋を教えてください」って言われるけど、名前が出てこないんだよね。 
 
 ❒ そばの作り方だけでなく、器や箸のことも教える
 
 生徒には、誰にも負けないおいしい手打ちそばを出すために、この材料はこうですってことは当然教えてますよ。でも、これまで話してきたように、少しでも文化というものを発信する蕎麦屋になってほしいからさ。他はやってないだろうけど、うちは教室で、器と箸などのことも話し、「こういう物を使え」と教えているんですね。でも、そうしてるのに、開業してそのとおりやってくれる人と、店を出しても知らんぷりの人もいるのよね。

 2か月に1度、卒業生で集まって、研究会をやってるんです。これまでは料理の研究なんかをやってきたんですが、今年は昨年に開店した店を皆で訪問することにしたんですよ。今度行く人は、俺の話を聞かずにオープンしてる店なんでね。まずは、ろくなことにはなってないなと思うんだよね。

 他の仲間の連中でも、能書きを言う人がいると、その話を聞いちゃうんだよ。真似しちゃうんだね。それは間違いなんだよ。そういう人が多いんだよね。今度は、わざわざ茨城の古河にある店まで行くんだけどね。まず、その店はダメな店じゃないかなって思ってんだよ。
 
 ❒ 蕎麦屋が生き残る道は手作りの味、本物のそばを提供し続けよ
 
 大型店などは、隙さえあれば進出しようというところばかりなんだから、やり方をガラッと変えていかなくちゃね。今は、飲食店以外の小売業はやれない時代じゃない。小売業でも飲食店であれば、うまくやればやっていけるのよ。

 わかる?大手もファミレスを開いたりして、あの手この手でやっているんだけどさ。日本人は、同じ味だと飽きてくるんだよ。奴らはそろばんをはじいて、どうやったら儲かるかばかり考えているから、いわゆる手抜きをするわけよ。作ったものを、全部チンするだけなんだよ。味も、全部化学調味料でつけてるだけだしね。だから、ファミレスは、今軒並みダメになってきてますよ。

 俺たちみたいな小商人は、彼らのできない分野、いわゆる手作りなどで生き延びるしか道はないわけよ。そうすれば何とかなるんですよ。だけど、蕎麦屋でも儲けばかりを考えて、国産のそば粉から、安い中国産のそば粉や小麦粉を多く混ぜた粉を使ったりすれば、そば好きのお客にはそれがすぐわかってしまうから、それらの客は店から離れてしまうんですね。そば好きなお客を大切にして、本物のそばを提供し続けていかなければ、必ずしっぺ返しを食うことになるということを、忘れないでもらいたいのよね。

 最近、セブンイレブンが、わざわざ鰹節を削ってだしを取っているって
宣伝してるんですよ。それなのに、普通の蕎麦屋は、鰹節なんかでだしを取ってないからね。だしの素なんかでつゆを取ってるんですよ。そうなると、セブンイレブンのそばの方がうまいんですよ。ますますダメになっちゃうのよね。
 
 ❒ うどんを食べたい客には、「本物のうまさを知ってください」と
  言って蕎麦を食べてもらう

 
 ただ、うちの店に来てうどんが好きだと言って、うどんを食べたいという客も中にはいるんですね。そういうお客には、「お客さん、本物のそばを食べたことがないんじゃありませんか。本物のそばの手打ちは、他のそばと違って本当においしいですよ。食べてもらえればわかりますから。」と言って、食べてもらっているんですよ。

 普段皆が入る街の蕎麦屋は、原料はほとんどが輸入した外国産のそば、しかも小麦粉を混ぜていて、そばなんか少ししか入っていない粉を使っているんですね。だから、うまいわけはないんですから。とにかく、多くの人が本物のそばを食べて、その味を知ってもらいたいですね。 
 
 ❒ 教室の生徒に若者や蕎麦屋の息子が多くなる
 
 そば教室ではね。教室に来るのは、早く職場をやめた中年以降の人だったのが、最近は若い人になってきたのね。それで、結構蕎麦屋のせがれも来るようになったのよ。親父の商売を引き継いでやっても、駄目だと気が付いてきたんだね。

 親の方も、行って来いって送り出すようになったんだよ。なぜ蕎麦屋のおやじが、息子にうちのそば教室に行くことを認めるのかわかる?今は街の蕎麦屋は年々悪くなって、多くの店がやめちゃうでしょ。そんな中で、2代目が多少やる気があっても、自分の店をただ継がせただけでは、せがれがやっていけるかが不安なんだよね。それで、親がうちの教室に行ってこいって言うんだね。

 そういうところが手打ちそばに転向すれば、あと20年位は大丈夫じゃないかと思いますね。そばの場合は、まだそばは手打ちしかダメという客もいますからね。面倒くさいと思うかもしれないけどさ。手打ちでやれば、蕎麦屋は食うだけは食えるのよ。
 
 ❒ 高級な手打ち蕎麦屋は、店から文化らしきものを語れ
 
 ただ、手打ちそばは、普通のそばより高いわけでしょ。だからこそ、学校を出てる人たちにその店の中で何か文化らしきことを語っていかなくちゃだめだと思うのよ。やっぱり、これからはそうなんじゃないかと思うのね。

 海外旅行でも、皆わいわい言ってさ。旗を振られて行ってるじゃない。あれは、海外旅行じゃないって、俺は言うのよ。西洋のお寺に行って、ステンドグラスを見て「いい色ね」っていうけど、色ガラスなんか見たってしょうがないじゃないかって、俺は言うんだよ。やはり、旅も自分で作って行かなくちゃ旅にならないんだと。

 それと同じなんだよね。これからはね。大手が、あの手この手で飲食店を開業してこようっていう中でやっていかなきゃならないでしょ。だから当たり前の考えだと、普通の蕎麦屋と同じになっちゃうのよね。
 
 ❒ 来店者ノートには日本中のお客の名が。11月には新そば祭りを
  開催

 
 うちの店は、来てくれたお客さんに来店者ノートに名前を書いてもらっ
ているんだけど、オーバーに言うなら日本中から来てるんですよ。2、3日前も女房に聞いたら、なりの良くないばあさんが入ってきたと思ったら、「うまい、うまい」って言って1人5千円も使っていったと聞いてね。それだけ、本物のそばを出している店がないっていうことだよね。

 店では、毎月第2日曜日に、俺が「ワインとそば」をテーマに俺が作った食事を食べてもらっているんだよ。いろんな人が自分も仲間に入らせてくれって言ってくるんですよ。1年間のうち、最もそばの売り上げが多いのは、11月の新そばが出回る時期に、2日間やっている「新そば祭り」の時ですね。新そばの味をわかってくれる人が大勢いるのは、うれしいことですよね。
 
 ❒ 国産そばは香りは良いが、品種やブランドが未確立、店では茨城の
  常陸秋そばを使用

 
 そばは、素材の味を活かしているのが持ち味ですからね。本物のそばの味は、原料の良さで決まっちゃうんですよ。でも、そばは、米みたいに品種や銘柄が確立してないんだよね。米ならば、新潟の魚沼コシヒカリみたいなしっかりしたブランドもあるでしょ。品種改良など、研究も絶えずしているしさ。そばでは、そこまで研究とかをやっている人はいないのよね。

 でも、うちで使っているそばは、茨城の常陸秋そば研究会の小田実さんから、買っているんですよ。他から買うよりは2百円高いですけど、その小田さんを立てて、毎年種そばから作ってくれとお願いしたりしてやってもらっているんですよ。

 同じ常陸秋そばでも、いい加減なところに頼めば、夾雑物が多くまじったりしてるのよね。日本では、七割近くが安い中国の内蒙古産のそばが使われているんですけど、香りなども国産のそばが最高だからね。教え子にも、全員に国産を奨励しているんだよ。
 
 ❒ そば粉は店で石臼で挽いたものを使用
 
 ほとんどの店が、そばの製粉屋から買ったそば粉を使っているんですが、うちの店では産地から買ったそばを、うちの店で石臼で挽いた粉を使っているんですよ。
 

石臼製粉機

 石臼は、石によって味が違うのよね。蟻巣石(ありすいし)っていう石で挽いたのが、一番うまいんですよ。富士山の火砕流で焼けた岩からとれた石でね。溶岩が焼けて冷えるときにぶくぶくと泡が出るので、蟻の巣のように穴がたくさんあいている石なんですね。石臼で挽くときに臼が熱を持つと挽いたそばの香りが落ちてしまうんですけどね。蟻巣石だと、石の穴から熱が放出されるでしょ。それで、石臼が熱を持たないから味が保たれるんですよ。なかなか手に入らない石で、値段も高いから、使っているところはほとんでないんですがね。うちは、この石を使った石臼も使って挽いているんですよ。挽いた粉の袋には、農家の名前を書いて、ごまかしのないようにしているのね。うちには営業の人間がいないんでさ。そば粉は、主に教え子の店に、価格はできるだけ抑えて買ってもらっているのね。

 教え子にどういうそばがいいかは教えているけど、その人がどのそばを求めるかは自由にしているんですよ。その人の思いもあるからね。うちもモンゴルのそばがほしいという人もいるので、使っていますよ。その人のポリシーなのよね。そばなんて、どうせわからないやという考えの人もいるし、利幅が大きい方が良いという人もいるからね。うちで挽いた粉は安く出してあげているけど、外国物の粉と比べたら値段が全然違うからね。
 
 ❒ 米屋の親戚に、蕎麦屋か煎餅屋への転業をすすめる
 
 俺が、蕎麦屋になってね。何とかやっていけるようになったから、言うわけじゃないんだけどさ。松戸で米屋をやっている親戚なんかには、米屋じゃ将来はないよって言ってね。米屋を転業するなら、蕎麦屋か煎餅屋になれってずいぶん言ってきたのよ。俺も蕎麦屋に転業するときに調べたんだけどね。蕎麦屋は、長い間つぶれる店がなくて、安定していたんですね。

 転業するのに、最も金がかからないのは煎餅屋ですよ。七輪1つあればいいし、原料もあれはくず米だし、あとはそれを焼けばいいんですからね。関東中の煎餅を食って歩けば、簡単にわかりますよ。ろくな煎餅はないですよ。水海道の天野屋が一番です。3日前に予約しないと買えないんですからね。それから木下(きおろし)の川村、これもうまいです。全部わかっちゃいますよ。それよりうまくするのは、簡単なんですよ。煎餅の生地さえ良くすればいいんだから。それ以上良い生地を出すところはないんですね。

 米は皆が食べなくなったし、スーパーでも安く売っているのに、松戸でまだ米屋をやってるんですよ。主食のコメを代々扱ってきたというような変なプライドを持っているんですね。
 
 ❒ 目先のもうけを追及し、時代の流れに合わせられなくなって失敗した
  家具屋

 
 振り返って、俺の商業人生はどうだったかって考えてみるとね。結局、昔のように何代も続いてきているのとは、時代が違うもんね。市川のT家具は、市川、松戸、柏、船橋、市原、千葉、津田沼に次々と店を出し、京葉で最大って言われたんだけど、最後は倒産しちゃって、自分の母屋もなくなっちゃたんだよね。

 我々も同じことをやっていたんだけれど、どこで軌道がおかしくなっていっちゃったと思うのにさ。新しい家具屋の形をとっているイケアとかニトリは、逆に伸びているのよ。そういう時代の流れを、先を読めなかったんだね。いや、読めなかったんじゃなくて、俺がペガサスクラブの海外視察でカルフォルニアの家具の勉強に行ったときに、そういう芽生えはアメリカにあったのよね。それなのに、我々はオーソドックスで、婚礼家具のような重厚な家具っていうものにいったんだね。転換がわからなかったのが、失敗のもとなんだよ。
 
 ❒ 絶えず勉強して、時代と客に合わせた商売をしないと生き残れない
 
 そばだってそうなんだよ。老舗にあぐらをかいてはいけないのよ。絶えず勉強して、時代と客に合わせて変えていかなくちゃダメなんだね。

 昔、日本一と言われた鴬谷の家具屋Dに行くと、「一業一貫」って書いてあるんだよ。この商売を貫くって意味だと思うんだけど、それもいかれちゃったからね。鴬谷と下谷にはもう1軒づつ、全部で3件大きな家具屋があったのよ。でも、それがみんな倒産なんだよ。

 家具でもダメになって、さらに目先の儲かる不動産等に手を出したんだよね。財テクで儲ける方が頭がいいなんていうような風潮の時があったからさ。結局、小銭があった奴ほどなくしたわけよ。まるきし金のない奴は、何もやんないんだから、大丈夫だったんだよ。
 
 ❒ 客に勧められて出した風景写真が昨年、今年と写真展に入選
 
 え?うちの店の中に飾っている風景写真は、どうしたのかって。俺が撮ったんだよ。この写真は、去年東京都写真研究会の第98回写真展で入選したのよ。ここへ来る客にも、その研究会の客が来るんですね。その人たちが出せ出せって言うから出したんだけどね。今年も入選しちゃってね。スキーとかで、出かけたときに撮るんですよ。

 俺はやってなかったんだけど、兄弟は好きだったからね。だってうちなんかは、世間にカラーフィルムや八ミリがない時代に、ドイツ製とアメリカ製の8ミリを2台も持ってたんだよ。だから、昭和32年位に冬の八ヶ岳に行ったときには、SLに乗って、その八ミリを持っていったんですよ。登山の様子を映した八ミリフィルムは、山の連中に貸していたら、なくなっちゃったけどね。

貝塚さんが撮影した写真(中央は軽井沢の雲間池、右は浅間山)

 今年入選した写真は、今度上野の美術館に飾られるんですよ。研究会の連中がうるさいでしょ。癪にさわるから、100回を迎える来年の展覧会まで出そうかと思ってんのよ。兄が下手な写真家だったんでね。写真の心得は多少あったのよ。

 昔、そばの写真展があったけど、俺のが特選。山の写真でも、冬の八ヶ岳の写真で山と渓谷社の特選を取ったんですよ。そうそう。むこうにその八ヶ岳の写真があるので、今取ってくるから見てってよ。これが、俺が撮った冬の八ヶ岳の写真ですよ。テレビなんかで見たことあるかも知れないけどさ。どうですか。すごい絶壁でしょ。岩登りでは、ここを登るんですよ。
 
 ❒ 80歳を超えても、志賀高原のスキー場の2千メートルの高さから
  休まず降りれる

 
 スキーは、まだやっているかって?今も毎年やってますよ。八十歳を超えても車を運転したり、全国のそばの産地に行ったりしているので、何でそんなに元気かって良く聞かれるんだけどね。やはり毎年スキーをやっているおかげだよね。

 山の方は、岩山登りなんで危険と隣り合わせだからね。25歳くらいでやめたんですよ。俺は、他人より馬力はあるんだけどさ。岩登りはバランスも必要なんだけど、俺は腕力がないのよね。だから、早くやめたんですよ。

 スキーで良く行っているのは、志賀高原にある焼額山っていうところなの。これが、日本で一番良い設備のスキー場でさ。俺は、二千メートルまでいきなり上がってね。今でも、リフト乗り場まで一回も休みなく降りてこられるんだよ。高低差が一キロ以上あるしさ。かなりうまい人でも、なかなかうまくいかないんですよ。

 スキーは、足腰はだけじゃなくて、全身を使うでしょ。斜面を滑るからバランス感覚がないとダメだし、姿勢も良くなりますよ。集中力も必要で、スピードにも慣れる必要もあるんでね。良いことづくめの運動なんじゃない。
 
  ❒ 軽井沢のベテランスキークラブに入り、今でも毎年スキーに行く
 
 東京生まれで、スキーなんかに縁がなかった俺がさ。小学校の時に、妙高高原の近くの高田に学童疎開して、明治大学のスキーの選手だった板倉さんと知り合えたことは、ラッキーでしたね。戦後は、皆飯も満足に食えないころから、スキーをやってたんだよね。

 妹なんか、すごいですよ。オリンピックでスキーの銀メダルを取って、今IOCの委員をしている猪谷千春さんのお父さんの教わっているんですね。とにかく、俺はスキーが好きでさ。スカウトされて山学同志会にも入って、岩山登りもやったんだけどね。「冬はスキーがあるから、俺は冬山には行けませんからね」という条件をつけて入ったんですね。 

 でも、東京の人は、スキーをはき違えていると思うのよ。ちょっとできるようになると、人に教えることばかりやってんですね。そんなんじゃ面白くないので、しょうがないから軽井沢のベテランスキークラブに入っているんですよ。ただ困るのは、80歳にもなって民宿に泊まるのは嫌なのよ。まだ田舎の人は、堅いから民宿なのね。民宿がダメなのは、風呂場と洗面所がちゃっちいんだよ。それでさあ、大の大人が10畳位に6人もごろ寝じゃね。そうはいっても、俺だけ金出すから、別のところにしてくれというわけにはいかないしさ。だから、何かの機会に別のところに泊まろうと思うけど、田舎の人だから皆堅いんでさ。

 俺の年位になると、スキーに行こうっていう人はいないんですよ。まして、東京ではいないでしょ。だから、軽井沢のクラブに入ってるんだけど、しょうがないから、この頃は一人で行くんだよね。普通の人だと若い時にやっていても、だいたい結婚したら皆やんなくなくなっちゃうのよね。俺みたいにやっているのは、極まれじゃないですか。
 
 ❒ 商人には、オリジナルを発揮しにくく商売が難しい時代
 
 さて、これからの蕎麦屋はこうしなくちゃダメだなんて、変に力が入っちゃって、ずいぶん長くしゃべりすぎちゃったよね。あと少しでやめるから我慢してよね。

 誰だったかなあ。この前、「生まれ変わったら、また何か商売をやりたいですかって聞かれたのよ。考えてなかったけど、商人が好きだからね。でも、ここまで商人の商売のやり方が成熟しちゃうと、全くうまみがないものね。自分のオリジナルを発揮しにくい状況だからさ。蕎麦屋は、自らのオリジナルで出しているから、価格競争がないんだよね。自信を持って出せばいいわけですよ。

 何かを仕入れて大量に売れれば、それの方がいいんだけど、今なかなかそういうわけにはいかないもんね。大きいスーパーに行ったって、どこも物が溢れてるんだもの。市川のダイエーの紳士服売り場は、全てバングラデシュ製ですよ。安いけど、あの値段じゃ、やっていかれないもんね。
 
 ❒ 悩みは店の跡継ぎがいないこと
 
 今、困っていることと言えば、1つはうちのビルの1階を使ってもらっていた薬のチェーン店が出ることになったんで、その後にどこか借りてくれるところを探さなくちゃならないのよね。 

 それから、一番気にしているのは、店の跡継ぎがいないことなんだよ。俺も80を過ぎたし、いつまでやっていてもまずいと思うんだよ。せがれは無理だし、孫っていっても、一番上はまだ高校1年だしね。教室の卒業生と思うんだけど、帯に短したすきに長しでね。いい人と思っても、欲がないんだよ。そばの教室もここまでやったから、もったいないよね。

 もし、後継ぎができたら、蕎麦屋のレポーターでもやろうかを思っているんですよ。気ままにやれるからね。いいでしょ。80を過ぎた俺が、地方の蕎麦屋に知らない顔をして入って、そばを食うんだよ。水戸黄門みたいにさ。どうかね。ハハハハ・・・。

 あら、もうこんな時間だ。ずいぶん長くしゃべっちゃったな。すいませんね。店は夜までやってるんですが、もう少しすると、俺とかみさんは店を若い者に頼んで、帰らせてもらってるんです。そんなことで、今日の俺からの話は、この辺で店じまいにさせてもらいますよ。


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