見出し画像

傷を愛せるか

自分が誰とも連絡を取らず、誰からも連絡がないまま休日が過ぎると、世界に1人取り残された気がして、自分なんて存在しなくても良いんじゃないかと思ったりする。そういうときも「ああ、これは明日の出会いの前の静けさなんだ」と思える。
傷を愛せるか p63.より

本はやはり面白い。
ここぞと言うタイミングで気持ちを言語化してくれる言葉達と出会う。

頭がぼーっとするほど疲れ切っていた僕は、家業の職場に出勤と同時に身体が拒否反応を起こして、休みをもらった。

そして海に向かった。
今日は快晴で、海がキラキラ輝いている。
レジャーシートを広げて寝っ転がってぼーっとする。何に悩んでいたのかを忘れていることに気がつく。

ここ最近、小さな不安が重なり大きくなり、常に気分が落ちていた。
そしてそれが体調不良を起こして、なんだか絶望までしていた。
けれど、基本的に絶望的な事なんて起きてない。この場合のほとんどが悪い事のタイミングが重なり、思い込みによりおきる自己嫌悪なのだと思う。
本当に気分が落ちている時、些細な事で「あぁ、自分はダメだ。」と思うアレだ。

海を眺めて考えてみる。
僕は超人でもなんでもなくて、週1.2回休まないとすぐに疲れる凡人だ。
単純にオーバーワークだった。

変わる時というのは、変化にほとんどのエネルギーや注意を費さなければいけない。
そのため、外からの攻撃に対しては無防備になる。だから、変わる時には閉じなければならないのだ。さなぎが蝶になるとき、繭にこもらなければならないように。
傷を愛せるか p.62より

今が変化の前の静けさなのかもしれない。
そう思うと自然と、この怠惰も悪くないように思える。

今日は波の音を聞きながら本を読むことにする。せっかく快晴なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?