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3.11 東日本大震災から5年、宮城県民が以前mixiに書いた文章を引っ張り出してきた
早くも5年ですね。
まぁ、タイトル通りです。
「mixiに上がっていたニュースを見て感じたことを日記に書いたもの」
です。
当時大学4年生。
今自分で読んでも「ほう…」と思うことがあったりするので、
今日というこの日に、まとめて3本アップしてみました。
ちなみにニュースのURLは今もそのページを表示してくれるわけじゃないので、あえて消しました。
あしからず。
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絶対・相対というシンプルな考え方を用いれば。
2011年12月01日23:34
■震災がれき受け入れ撤回…市に「脅迫伴う反対」
(読売新聞 - 12月01日 15:55)
拒否する理由はやっぱり放射能なんでしょうね。
まぁ、それしかないか。
うーん…何て言うか、
例えばマザー・テレサがさ、
「人を救いたい」っていう気持ちを持っていたとして、
それはやっぱりマザー・テレサの「欲」なわけだから
どんなに優しい人だって結局は自己の欲求を満たしたい自己中なわけよ。
だって「意識」って「自分が中心」なんだもん。
自己中を人のために使うか、自分のために使うかの違いだ。
…あ、あれ?何が言いたかったんだっけ…(笑)
うーんと…
絶対・相対という考え方をするとさ、
ニュースとかで仮設に住むおばあちゃんが
「家族が無事だっただけでまだ良い。家族を失った人も居るんだからうちはまだ良い方」って言ったりするんよね。
おばあちゃんは自分ともっと酷い被害を受けた人を比べる、つまり相対化してるわけで。
でもおばあちゃんが経験した被害の程度っていうのはおばあちゃんの中で絶対的なんよね。
それは揺るがない事実。
また、首都圏に住む子供を持つ母親が、放射線を怖れるのも当然で。
それは子供を守る為だから。
被災した人は被災した人なりに、
離れててもその人なりに
程度は違えど一人一人の中にある経験は絶対的なものなんだ。
これはね、おばあちゃん、比べなくていいと思うんだよ。
この前、タイの洪水があったでしょ?
うちのお母ちゃんはそのニュースを見て
「こんなのまだ良い方でしょう。津波だったら逃げようと思っても逃げられなかったんだから」って言ったけど、
それは半分そうだし、半分そうじゃない。
あの震災を経験した上で相対化したなら、それは当然思うし
でも絶対的に考えたら、うちらはうちらで辛かったし、タイの人はタイの人はなりに辛い。
だから言ってしまえば
同じ被災者同士でも齟齬は生じてる。
それは家族の中だってそう。
じゃあ被災者と非被災者だったら…?
認識の違いなんて生じない方がおかしいさ。
それは当然生じてる。
でもね、だからってさ、
どっかの政治家の「不謹慎な発言」が出てきても不思議じゃない、
なんて言えないんだよ。
そんなこと言ってる場合じゃない。
「俺の友達が津波で死んだそうなんだ、バカだよなぁ」
こんな言葉が出てくるのは
この政治家が震災を経験していないからだ。
絶対的な経験が無いわけ。
じゃあこの政治家がこの言葉を心から撤回するには?
きっと本物を経験する他、
震災をリアルに経験出来る装置か何か作って
命の危機を感じさせないと無理だろう。
絶対的経験をしなきゃいけない。
…じゃあ、だよ?
やっとこっからがニュースについてだけど。
先程の政治家の発言と、
瓦礫受け入れ拒否。
まぁ、被災地に住む、被災者として言わせてもらえばさ、
同じレベルだよ。
いや、受け入れ拒否の方が実質酷いよ、復興進みゃしない。
確かに受け入れることで何か影響あるんじゃないかって思うこともあるんでしょうけど。
被災者の気持ちを
ほんの少しだって
分かろうもとしてくれないんだなーって、
なんだか悲しく思う。
同じ自己中なら
人のために自己中を使う人がちょっとでも増えればいいんだけど。
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何を信じれば?
2012年01月03日17:00
■復興バブルの一方で被災者間差別にダム決壊・・・大手メディアが報じぬ震災の"光と闇"
被災者間差別、
そんなのあったんだね、
被災地真っ只中の宮城県民ですけど、
被災もしましたけど、
知らんかったよ、そんなん。
…うーん…もう…本当に、
何を信じれば良いのか分からないよね。
震災当時、被災地の様子をオイラは東京のTVで見てたけど
気仙沼・大船渡・釜石などの被害がでかかった所は何回も報道してたけど
地元のことは全くと言って良いほど
情報が入って来なかった。
(だからこそ急いで宮城に帰って来たんだけども。)
被害が大きいから報道の時間が多くなるのは分かる。
しかしそれだとさ、
報道されない所は無いも同然な扱いなんよ。
報道されない=被害がない、
いや、
報道されない=存在しない
みたいに。
東京にいてそれを肌で感じたよ。
真実を報道するなら
もっと細かいところも見てよ。
そこにも人は居るんだから。
命があって生活があるんだから。
そんなことがあってから
より一層メディアってのが信用ならなくなったね。
「一体どこまで本当なの?」と。
「隠された事実はありませんか?」と。
いや、事実なんだろうけどね。
なんだか信用出来ないんだよね。
ウチの学校の先生じゃないけどさ、
「疑ってかかる、そしてどれが本物か見極める力が必要だ」よね、ホントに。
→「かけ声と計画だけで実際には復興は進んでない」
まぁ、その通りで。
ホントに、政治家より
芸能人・スポーツ選手の方がありがたいよ。
必要なことを直接自分自身でやってくれるから。
頭ばっかり使わずに、口ばっかじゃなしに、
行動してくれるから。
どんなにブラウン管の向こうで優しく励ましてくれたって、
無口な行動の方がありがたいことも有るんよね。
いや、芸能人・スポーツ選手は優しい言葉も行動もあるから素敵な訳だけど。
政治家は制度上、募金が出来ないっつーんなら、
なにかそれに変わる事が出来るはずだと思うんですけど。
(あと、こういうときに身体張らない無駄に多い議員なんて要らないと思うんですけど。増税の前にそれやってよと思うんですけども。)
偽善でも自己満足でも
困ってる人に届けば救いに変わるからね、
募金でも物資でも行動でも。
でも残念なことに国を動かすのはやっぱり政治家で、
それを選ぶのは自分等で。
でも両者の間には信用ならないメディアが挟まってて、
そしたら政治家も信用ならなく感じて。
いや、元々信用ならないけど。
だからじゃないですかね?
若者が政治に興味を持てないのは。
信用できないものに興味を持て!つったって
無理なんじゃないですかね?
「政治とかわかんねぇ」とか
「自分一人で何もかわんねぇし」とか、それ以前に、
信用できないからなんじゃないかなぁと思ったよ、
自分が何故政治に興味を持てないか考えたら。
だったらやっぱり先生も言ってた
「疑ってかかる、どれが本物か見極める力」が必要で。
信じられるものを見つけるにはそれが必要なわけで。
じゃあどうやって身に付けるの?って言ったら、
ウチらみたいに学校の先生とか、大人や誰かに教えてもらったりしなきゃいけないんだろうなぁ。
まぁ、一度そういう「疑ってかかる」という視点になってしまえば
あとは自力でも何とかなりそうだけど、
その視点を誰が「伝える」か、ってことよね。
こうやって独り言みたいなblogでも
「伝え」られてる?
オイラは先生みたいに
人に何かを伝える仕事をしてないし、
今目指してる仕事もそういうんじゃない。
今現在で言うと卒論や進路のこと、
つまり自分のことでいっぱいいっぱいだけど、
こんなオイラに出来ることは…
何だろう?
とりあえず選挙にはもちろん行くとして、
その他に。
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the assailantless war ~祈りと革命~
2012年03月11日06:51
■11日で1年 震災復興に課題山積
早いなぁ…
単純な言葉でしか言えないけど、
1年はあっという間だった。
復興。
進んでないねー。
どうして政府は後手後手でしか仕事が出来ないんだろうね。
まぁ、そんな愚痴なんて言い始めたらキリがないから止めとくけども。
さて。
今、あの時を思い出して浮かんでくるのは
近所の被災した下水処理場から来る異臭、
風呂に入れなかった身体の不快感、
津波で運ばれてきた泥が乾いて舞う砂埃、
それによる土色の街、
それと、
不本意に充実した日々。
思い返して見るとね、
3LDKのアパートに
11人(うち子供5人)と
1匹(津波を自力でのがれたミラクルにゃんこ/笑)で暮らして、
昼間は津波でダメになった自宅の片付けをして、
夜は蝋燭の火を囲んで明日の食糧の調達会議。
兄も甥っ子も言ってたんだけどさ、
実は、
あれはあれで楽しかったんだよね。
それは幸い家族や親戚・友達が皆無事だったからで、
1人(1匹)でも亡くなってたら、絶対そんな風には思えなかった。
言い換えれば、我が家にとってのどん底は津波が襲ってきた時点だったんよ。
だから、つまり
「あとは這い上がるしかない日々」だったのね。
それでさ、大学入ったばっかりの頃の授業で尊敬する先生に教わったこと思い出したんだ。
【モノ+人=一定】っていう式。
本来は、簡単に言えば、
【モノ】が増え続ける社会で【人】の質はどんどん低下していく
っていう意図の式なんだけど、
あの時においては
店が大丈夫でも【モノ】が無かったから
明日食べる物も「どうする?」って感じで
サバイバリーな生活で家族が結束したから
【人】が充実しちゃったんだよね。
無人島でも生きていけるスキルを身に付けたよ。
いや、冗談じゃなく。
で、
なんかこう、景色や生活からして、
「戦後ってこんな感じだったのかなぁ?」って思ったよ、ホント。
いわば、加害者のいない戦争。
それはもちろん地震・津波についてのみで原発は違うけど。
…とまぁ、
オイラがこうやって語る気力があるのは
先にも言ったように身近な人が
幸せなことに皆無事だったからで、
だからこそ、1年という時間、
早いと感じたか遅いと感じたかは別として、
その“流れ”っていうのは感じる事が出来たんよ、
「這い上がるしかない日々」の中でね。
でも大切な人を失った人にとっては
まだきっと時間はあの時で止まったままなんだろうし、
被災してない人にとっては
まぁ、「震災という凄いことはあったけど、それを除けば普通の、他の年とさして変わらない1年」っていう感じ?
ほらね?
この1年間で、人々の間に
大ーきな時差が生まれてるんよ。
それが、被災した人々とそうでない人の
気持ちの齟齬なわけで。
「いつまで支援募ってんの?もう良くない?」って思ってる人が居るのは知ってるけど、
まだ支援が必要な人や、大切な人を失った人にとっては
「復興も進まず“もう”1年。
悲しみから“まだ”1年。」
なんよ。
つまり、そういう事は
被災者・被災地の時間軸で考えて欲しい、ということ。
少なくとも
被災地に足を運ばすして、支援制度の打ち切りとか言わないで、ということ。
あの震災を経験したら、当然そんな風に言う訳はないんだけど、
でもその人が経験する手段なんかないから、
こうやって少しでも理解してくれるであろう誰かに、
被災者の声が届けばと祈りながら、
拙い文章で言葉を投げ掛けてるわけです。
伝えていく事って大切だと思うから。
…で、たぶんだけどね、
今の被災した人達は
絶望と感謝を心から理解して、
以前と比べたら、
人として絶対的に“良質”だと思うんだよね。
価値観も変わって、
変な私利私欲にまみれてなくて、
人間としてシンプルだと思う。
爾来、
いろんな悪い所が露呈してるでしょ?
そういうのを変えていこう!っていう動きをさぁ、
そういうシンプルな人間が引っ張って行けたら、
結構良い世の中にして行けるんじゃないかなぁと思うんだよね。
まぁ、楽天家の漠然とした希望的観測だけども(笑)
…あ、そっか。
最近のオイラの精神が平穏なのは
そうやって以前の自分よりも
シンプルになれてるからかもしれないなぁ。
…と、まぁ、そういう風にね、
時間の止まった人を置いてきぼりにすることなく、
少しでも前に進みはじめた人から、手を取り合って、
ひいてはそれを結集させた東北から、
「笑顔の革命」起こしていけたら
素敵よね。
P.S.
タイトル、カッコつけてごめんなさい(カメラに向かってごめんなさい風味)
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もちろん今になって考えが変わった部分もあります。
でもベースは同じ。
今思うことなんかも、今日が終わる前に書くかしゃべるか
出来ればいいかなと思っております。
もしもこの記事からサポートをチャリンして下さいましたら、
私が責任をもって震災関連の募金箱にチャリンしてきます。
何はともあれ、ここまで読んでくださってありがとうございました。