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交渉ごとはお互いの痛み分けくらいを目指す、が良い道標かも

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24・9・2
仕事について
交渉ごとはお互いの痛み分けくらいを目指す、が良い道標かも
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「自分の価値」を考えるとドツボにはまるのかも。ヒロです(今日の記事の話)

多くの場合、例えばスーパーに行って商品を買う時には価格は既に決まっています。
決まっている価格の中から、自分の予算に合わせて品物を購入するのが日常生活の取引です。

そうすることで売る側にも買う側にもわかりやすくなる、どちらにとっても良いことがあるのだと思います。

それは「商品の安定」があるからできることで、毎回違うクオリティになると買う側が困ってしまいますし、価格を一定にするには商品や供給の安定が重要なのでしょう。

スーパーに並ぶような日常生活品は、人々の物理的な健康的生活に関わってくるので社会的責任は大きいはずで、価格が時期によって大きく変わるのは困ります。

それとは別で「時価」(寿司屋でよく見るやつ)という価格の付け方もあって、エンターテイメント業に関する価格は時価での値段の付け方がよく行われているように思います。

ゴキンジョでも基本的なお金の設定はありますが、時期によって変わることがあるので、そういったことについて考えていることです。




▼「基準となる考え方」を手に入れる

僕は基本的にはお金に関する交渉は苦手です。
実行することはできるのですが、精神的な意味で苦手です。

それがなぜか考えてみると「自分の価値」をつけている行為だと認識しているからかもしれません。

人や生き物の存在に価値や違いはない、というのが僕の基本的な考え方です。
しかし、資本主義経済では市場価値という概念があるため、需要と供給のバランスによって、値段をつけることが可能になってしまいます。

倫理観と市場価値は全く違うものなのですが、概念がごちゃ混ぜになってしまっていて自分でも混乱しているのかもしれません。

倫理的なことと事実としてこの世界にあることがごちゃ混ぜになってしまっているのが現代の問題のひとつだと思うのですが、これも該当します。

そういう混乱の時には道標が必要です。何を道標にするかは人それぞれですが。

最近、市場価値について考えている時にとあるyoutube動画を見ました。
https://youtu.be/1goEs_RGxdk?si=rKxGOxGuldlmOhZc

「アメリカンドリームはまだ存在するのか。90日で1億の資産を築く」といった内容なのですが、この番組内で

「交渉においては双方がそれなりに痛みを引き受けるものだと思っている」

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「絵について」と「仕事について」の記事を週2回お届けします。 ///////////// 日本では社会に出てから自分の好きなことを学び直す…

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