制作途中の作品はどれくらい公開していくのが良いんだろう
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24・8・19
仕事について
制作途中の作品はどれくらい公開していくのが良いんだろう
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久しぶりに東京に行って、「東京はでかい」って思ったヒロです(まず広い)(京都はコンパクトだ)
現在自主作品も作ってるよ、ということをたまに記事の中で書いています。
まだ絵を描き始めた初期段階なので、ちゃんと人に見てもらえるまでまだ時間はかかりそうなのですが、それでも今作っているものとか、活動について、ちょっとずつでも話した方が良いのではと感じています。
事業としてはマーケティング的な意味が含まれるのですが、それよりも今の時代にとって新作を発表するってどういうことかとか、人に見てもらうとか、映画や漫画の配信がものすごい数ある現代において、何かを作って発表するってどういうことなんだろうと思うので、そういったことについて今考えていることの共有です。
▼変わることと変わらないこと
数年前から「参加型の制作方式の方が現代的だ」という意見があります。
これまでは誰かが作ったものを視聴するという一方的な流れしかなかったけど、ネットツールを利用して制作段階で関わった上で視聴もするという方法ができるようになったよねってことです。
代表的なものだと数年前の映画「この世界の片隅に」はクラウドファンディングでパイロットフィルムを制作し、それがきっかけで映画が完成したらしいのですが、そのクラファンに参加をするのも映画制作の関わり方のひとつです。
(そういった流れの中でDAOってしくみが注目されてNFTと合わさってバブルのようになりました)
ネットやツールの発展によって、関わり方の幅が広くなりました。
そういった関わり方の方法は変わっていくんだと思いますし、その時々の方法を模索することはとても重要だと思います。
ただ発展のスピードがものすごく早いので毎回それに合わせて模索していくとそれだけでリソースが持っていかれそうだとも感じています。
変わることに合わせるのではなくて、変わらないことをベースにして変わることをアジャストしていく方が良いんだとは思います。
では変わらないことってなんだろうってことです。
「変わらないこと」といってもどの立場から見るかで様々なことが考えられますが、僕にとって重要だと感じていることは例えば、
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ゴキンジョマガジン『絵について、仕事について / 長砂ヒロ』
「絵について」と「仕事について」の記事を週2回お届けします。 ///////////// 日本では社会に出てから自分の好きなことを学び直す…
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