戦略コンサルの私がなぜイギリスのデザイン修士に進学したのか


はじめに


2024年9月に、英ロイヤルカレッジ・オブ・アート(英国王立芸術大:通称RCA)のサービスデザイン修士を卒業しました。

現在は戦略コンサルティングファームでイノベーション戦略を専門として日々働いています。まだまだ戦略コンサルタントとしては未熟すぎるので一社会人のキャリアの奮闘録としてご笑覧ください。

これまで、UI・UX等のスキルもなければ、いわゆる広義のデザイン領域における経験や知識もほぼない中での受験・留学でした。

大学院のコースの詳細については、以下の記事にまとめておりますので、気になる方はそちらを参照ください。

私がデザインスクールに留学してみて感じたことや、等身大の所感を書き残したので、少しでも興味のアンテナに触れた方はぜひご一読いただけますと幸いです。


Ⅰ. なぜデザイン修士か

a. ”なぜ戦略コンサルのアイデアは実行されないか”

かなり唐突な問いから始めてしまい恐縮ですが、私がデザイン修士留学に踏み切った理由はこの問いに収れんされると振り返って思います。

詳細を記すことはできませんが、とある新規事業のプロジェクトで構想策定→アイディエーションのフェーズを担当し、最終的に2つの新規事業案まで絞り込みを行ったことがありました。

市場ポテンシャルや自社ケイパ、有望な技術シーズ、ルール形成の動き等を統合的に踏まえ導出した新規事業案であり、個人的に自分が技術シーズを見つけたこともあり事業化したらスケールする自信が一定ありました。

先方の予算化やチーム編成等が必要になるため、一旦プロジェクト自体はそのタイミングで区切りがつきました。そして、一年後くらいにクライアントにその後どうなっているかを(当時は既に他のプロジェクトに携わっていたので人づてに)伺ったところ、アイディエーション時から何も事が進んでいないという話を聞きました。

新規事業に携わっているとこういうのはよくある話だと一蹴されるかもしれません。ただ私はこの時にコンサルティングの在り方含め、クライアント(とその先の社会)にとっての本質的な価値とは何か、を少し考えるようになりました。※誤解せずにいただきたい点は、クライアント社内のイノマネプロセスのせいとかコンサルのせいとかを論じたいわけではなく、シンプルに「何をすれば最もバリューがあるか」に関心を抱くようになりました。

こうした経験を踏まえ、(当時そこまで言語化できていたわけではないですが)少なくとも広義のデザインとやらの世界では、デザインリサーチやプロトタイピングを通じてアイディアの検証を行う(失敗を積み重ねることができる)という点において魅力を感じたのかもしれません。


b. ”デザイン” の現在地と欧米の現状

デザインという世界を知ってはいたものの本格的に見てみようと思い始めてからは、デザインに関する書籍や論文、記事など業務外の時間でひたすらリサーチをしました。Linkedinでデザインスクールの卒業生に連絡を取ったり、実際に日本撤退前のIDEO社員の方やデザインスクールに通った複数名の方に直接お話を伺ったりもしました。

”コンサルとしてのキャリアを少なくとも1年以上ブランクにして学ぶほどの投資対効果がありそうか?” という問いに答えるためでした。

色々と調べていると、いわゆる "デザイン思考" なるものは既に死語になっていて、デザインは既に実践知になりつつあることが次第に分かりました。

私がリサーチした中で触れた情報を王道のものを含め少しここで紹介しておきます。

”The MFA is the new MBA”(Daniel Pink)
「美術学修士は次なるMBAである。」(ダニエル・ピンク)

”The MFA Is the New MBA” Harvard Business Review, 2008

“Innovation amateurs talk good ideas; innovation experts talk testable hypothesis.” (Michael Schrage)
「素人は良いアイディアについて話をするが、本物のイノベーションの専門家たちは検証可能な仮説について議論する。」(マイケル・シュレージュ)

”A Testable Idea Is Better than a Good Idea” Harvard Business Review, 2014

デザイン思考の中心をなす要素は、ユーザーの体験にプロダクトの属性よりも高い優先順位を割り当てることである。ここに、われわれはジョブ理論との共通の土台を見る。ジョブ理論は…(中略)…デザイン思考を補完し、デザイン思考と完全に互換である。

クレイトン・M・クリステンセン「ジョブ理論」ハーパーコリンズ・ ジャパン、2017年

企業も、両方のイノベーションを実施することが必要になる。既存のソリューションを改善するような新たなソリューションと、すでに市場の存在するものを根本的に変化させるような、新たな意味の研究である…(中略)…私たちはユーザーではなく、人間と見なされる時に心を奪われるのである。

ロベルト・ベルガンティ「突破するデザイン」日経BP、2017年

多くのビジネスが機能の差別化から情緒の差別化へと競争の局面をシフトさせている …(中略)… 過去の経営史を紐解いてみれば、優れた意思決定の多くは、論理的に説明できないことが多い。つまり、これは「非論理的」なのではなく、「超論理的」だということです。

山口周「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?経営における『アート』と『サイエンス』」光文社、2017年

メディチ家は、定期的に新しい人材を迎え、新しいアイデアを取り入れることがいかに重要か、そして、創造的活動に対するいちばんの脅威は、現状への満足感と安心感であることを認識していた。

ニール・ヒンディ「世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること」クロスメディア・パブリッシング、2018年

「サービスデザイン」と呼ばれる領域の知識を身につけることをおすすめします。サービスデザインは、デザイン思考の手法をさらに発展させて、具体的なサービスを作るための手法として確立されてきた分野で、空港のリニューアルなど成功事例も増えています。

田川欣也「イノベーション・スキルセット」大和書房、2019年

ダイソンが最初にサイクロン掃除機を開発するまでに、5127個のプロトタイプをつくったのは有名な話です。それはつまり、5127回失敗してつくり直している証になります。

佐々木康裕「感性思考」SNクリエイティブ、2020年

サービスの価値は"こういうもの"という言葉だけでイメージできなくなったりして、事業コンセプトの良し悪しを見わけるには「創ってみないと(使てみないと)わからない」範囲が広がってきているからです…(中略)…重厚長大で全部盛りみたいなサービスを最初から創ってしまったり、直観的に欲しい人が見当たらないようなおかしいプロダクトができ上がったりすることが多くあります。

井上一鷹「異能の掛け算」NewsPicksパブリッシング、2022年


c. デザイン修士の投資対効果

結果的に受験・留学に踏み切った理由は以下の三点に集約されると感じています。

  1. 経産省の ”デザイン経営宣言” と官への浸透

  2. コンサルファーム各社のデザイン強化の流れ

  3. 個人として実現したいこととのフィット


「経産省の ”デザイン経営宣言” と官への浸透」
2018年、日本企業のグローバル競争力強化の政策の一環として、経済産業省・特許庁から ”デザイン経営宣言” が発信されました。

「デザイン経営」とは、デザインを企業価値向上のための重要な経営資源として活⽤する経営である。それは・・・(中略)、ブランド⼒とイノベーション⼒を向上させる経営の姿である。

「『デザイン経営』宣⾔」(経済産業省・特許庁, 2008)

個人的に、日本市場でひとつのテーマがアジェンダ化していく際には、日本政府側からの後押しやお墨付きが非常に大事だと考えています。実際にデザイン経営を推進している大企業も既にいます。

また実は近年、日本の官公庁からデザインスクールに派遣される官僚の方が非常に増えています。

私はこうした情勢に鑑み、少なくとも今後数年は国としてデザイン経営を推し進める動きが続き、それに呼応して戦略に組み込む/検討する大企業の経営層が一定数存在し続けると予想しました。


「コンサルファーム各社のデザイン強化の流れ」
近年、IDEOの日本市場撤退と並行して、コンサルファームのデザイン部隊が頭角を現すようになりました。一見、矛盾した流れのように見えますが、いわゆるデザインワークショップやアイディエーション等のトラディショナルなデザインの活用方法が形骸化し、政策立案や経営戦略・長期のビジョン策定等にデザインが用いられるようになったことが一つの要因と考えています。まさに、”経営・戦略とデザインをブリッジする” ことは私のやりたいことの一つでもあります。


「個人として実現したいこととのフィット」
まだまだ道半ばですが、私はこれまでのコンサル実務を通じて以下のような3つの実現したいこと・想いがあります(抽象的すぎるというツッコミは重々承知しつつ、これから形を変えながら磨いていく前提でお読みください)。

① 社会全体でイノベーションを通じて日本の課題解決を ”前倒し” する
そのために、
② 産業レベルで日本の ”前向きな挑戦” を後押しする
その手段として、
③ 企業レベルで日本企業の多くが抱える前例主義的なカルチャーを少しずつ変えていく

例えば、脱炭素を例に挙げると、パリ協定で掲げられている各国のCO2削減目標を単純に足し算しても、2050年カーボンニュートラル・1.5℃目標は達成できないと言われています。つまり、日本に限らず目標や課題解決を "前倒し" しなければならない世界観であるという状況があります。

また、成功する企業の多くは現状に満足せず常に挑戦・失敗し続けるカルチャーが相対的に強く根付いています。私自身、人生で遠回りをしながらも(今回の留学含め)様々挑戦をし続けてきた背景から、前向きに挑戦し続ける日本の産業・企業の一助になりたいと考えるようになりました。

一方で、日本企業の多くが抱える現状として、前例主義に基づく ”お客様至上主義” ”欧米のルールにとりあえず従う” といったカルチャーがまだ根強いと言われています。これまで技術力で勝ってきた日本の製造業の成功体験に裏打ちされたジレンマとも言えます。

こうしたカルチャーを少しずつでも変えていくために、既存のルールや枠に囚われずヒトの無意識のニーズを削り出すサービスデザインがひとつの有効なアプローチになりうるのではと考えました。


Ⅱ. イマのデザインとは何か

a. デザインは万能薬ではない

とはいえ、個人的にも勘違いしてもらいたくないことの一つは、デザインがすべてを解決する万能薬ではないということです。当たり前ですが、例えば、マーケティングを上手くやれば商品が必ず売れるわけではないですし、優れた商品企画やプロダクトデザイン・営業などが必要であり、様々な変数があるのと一緒で、デザインのアプローチを用いれば顧客の潜在ニーズが必ず特定できたり新規事業が絶対に成功するとは限りません。

たしかに、デザイン思考” に対する期待は、IDEOをはじめとする啓蒙家が組織変革を目的としたデザインワークショップを布教したことで、一部誇大広告となってしまった事実は否めませんが、実践知としてのデザインを所与のものとして活用している日本企業も増えています。このあたりは、以下日経X TRENDの記事「デザイン思考はどこへ行った?」でも特集されているので気になる方は参照ください。


b. ”デザイン思考の終焉” のその先

IDEO撤退に伴い、”デザイン思考の終焉” が一時期囁かれていましたが、少なくとも私が英国留学している間、”デザインシンキング” というワードはそもそも一度も聞きませんでした。日本とイギリスの違いとして大きく感じたことの一つは、イギリスでは官における広義のデザインの実践知としての浸透が半歩先まで進んでいるという点でした。イギリス政府によるデジタル化に伴う組織変革は有名なデザインの事例の一つですが、私がTerm2に携わった英国法務省との協業プロジェクトも然り、中央政府だけでなく自治体の中にもサービスデザイナーのポジションがあったりと、デザインを所与のものとして活用する土壌があると感じました。必ずしも日本で同様の流れが来るとは断言しませんが、実際に欧米のデザインスクールに派遣されている官僚の方も増えており、少なくとも日本におけるデザイン活用の新しい形を模索するモメンタムはあると考えています。


Ⅲ. デザインをビジネスにどう活かすか

a. ビジネスパーソンがデザインを学ぶ意義

では企業におけるデザインの活用はどう進むのか、という問いがあります。かなり実務的な話をすると、大企業の新規事業において、最も重要なことの一つが ”失敗の数に裏打ちされた経営層の納得感” だと考えています。結局のところ、経営層の腹決めがされるかどうかです。

論理的に導き出した事業セグメントやバリュープロポジションは最もらしく聞こえますが、「結局誰が買うの?」「収益の妥当性は?」「スケールするの?」みたいな重箱の隅をつつくような不毛な議論を呼びがちです。一例として、Xでその状況をよく表すエピソードを載せている方がいらっしゃったので、こちらでも紹介しておきます。

ロジカルなセグメント分析や提供価値の磨き込みはもちろん必要ですが、”頭が使えて手も動かせる” ことが今後は一人のビジネスパーソンにとって重要な価値になると感じています。まだ上手く言語化できてはいませんが、これまではビジネスやテック、クリエイティブの人たちが越境してチームを組み新規事業に取り組むべきだよね、という論調が流行っていました。

現実はどうかと言うと、共通言語の乏しさや既存組織のしがらみ、責任の所在の不明瞭化などでフラットなコラボレーションに至ることはかなり稀な印象です。そうした状況ならば、少なくとも一人の新規事業推進者の中に ”頭が使えて手も動かせるOS” が内在しているほうが、すべての事業創出プロセスを自分事として捉えることができ結局推進しやすいのでは、と考えたりもします。

そうした人たちが自身の事業アイディアにしっかり腹落ちしながらオーナーシップを持って社内外の同志も巻き込んでいくことにより、ある種のカタリスト(触媒)的な人材となってイノベーションの火を着火しやすいのではないでしょうか。


b. [参考] MBA v.s. デザインスクール

話を修士に戻しますが、デザインスクールを検討する上で、MBAと比較検討する方も多いと思います。私もその一人ですが、結論、市場における希少性(日本のコンサル出身者ではデザイン経験者がまだ少ない)✕ テーマ(これまでのキャリアの延長線としてのイノベーション関連分野)✕ 実現したい事(前述の通り)という軸からデザインスクールが私にはふさわしいと考えました。


Ⅳ. 学びと成長の振り返り

圧倒的主観かつノンデザイナー出身の目線ですが、個人的に修士の1年間で得た学びは大きく以下の3点に収れんされると考えています。

・アナロジー思考としての ”編集力”
・”人間中心デザイン” の限界と本質的な価値
・”ストーリーテリング” が最強の武器である

「アナロジー思考としての ”編集力”」
入学後、サービスデザイナーの強みは、一見かけ離れて見える要素と要素を繋ぐ力にあると第一印象で感じました。例えば、とあるプロジェクトのチームメイトがリサーチの際にPinterestを使っていたのも印象的でした。コンサルワークではある意味、最初に設定した問いと仮説の範囲から逸脱して情報を取りに行くことはほぼないので、実践を通じて物事を多面的に捉え別次元の点と点を繋ぎ ”編集する力” は今後コンサル/デザイナー問わず必要になってくると感じます。

「”人間中心デザイン” の限界と本質的な価値」
これは在学中にずっと感じていたジレンマですが、他のチームのプレゼンなどを見ていて、ユーザーのペインが鋭くなればなるほど、訴求するニーズがニッチになってしまうというトレードオフがあると感じました。まず事業規模として、数億規模でいいのか、数十億規模なのか、はたまた社会インフラ的な位置づけのサービスなのかによってもユーザーニーズの捉え方や粒度は大きく異なってきます。また、ユーザーに対する過度の共感は、相対的に周りのステークホルダーの無関心を引き起こします。特に ”デザイン思考” の世界で、スタンフォード大発の「共感」プロセスからスタートするフレームワークがありますが、常に変化し続けるユーザーニーズを静的に捉えることの限界や、生活者の潜在的な欲求を先回りして作り出していく必要性が高まっている点は注意が必要です。ちなみに、Term2のスペキュラティブデザインのプロジェクトでもユーザーインタビューなどは特に行いませんでした。一方で、大学院での学びを通じて、生活者が習慣的に行っている行動から ”ジョブ” を発想する手法など、本質的に価値のある人間中心デザインの引き出しも増えたと感じています。

「”ストーリーテリング” が最強の武器である」
ストーリーテリングの重要性は感覚的に分かっていたものの、その使い方と効用がこの一年間でかなり腹落ちしたように感じます。

以前長期ビジョン策定のプロジェクトに携わった際、ビジョンの内容に対して、複数の役員の方々がそれぞれの ”想い” を抱えており中々合意形成に至らない事がありました。そのような中、当時グラフィックデザインスキルも皆無だった新米コンサルの私が、ビジョンの骨子をパワーポイントのオブジェクトを使って文字通り ”絵” にしてクライアントに渡したことがありました。

そしたらクライアントの担当者から嬉しそうに、役員たちが「これだよ、これ!こういうのが欲しかったんだよね。」と口を揃えて言っているらしいと連絡がきました。元々趣味で絵やデザインを描くことを上司が知っていたので私に依頼がきたタスクでしたが、お世辞にも綺麗と言えるものではなく、自分が作成した中で過去一番に自信がないスライドでした。当時はなぜこうなったのか言語化できなかったものの、あれもある意味ストーリーテリングだったと感じます。

ストーリーテリングの手法は、ビジュアル化だけでなく、動画にする、誰かの言葉を引用する、ナラティブで語る、エピソードを挟む、スキットを挟むなど無限にありますが、こうしたアプローチの、”合意形成や意思決定に及ぼす力” はえてして見過ごされがちのように感じます。例えば、コンサルワークでは、会議の最初に前回の議論や宿題事項をブリーフィングする事が多いですが、これもストーリーテリングの一つです。ある程度引き出しが出来れば強力なスキルになると感じます。

Ⅴ. 今後について

少し長めの文章となってしまいましたが、最後までお読みいただき本当にありがとうございます。

今後、デザインスクール対策のNoteなど執筆しようと考えているので、ぜひフォローしておいていただけますと幸いです。



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