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「カミングアウト」を考える Vol.1

「性自認」と「彼」との出会いについて

まずは向き合いやすくて自分なりに言語化しやすかった自認について書いてみまして、日々閲覧いただく方がいらっしゃるみたいで、恐縮の限りです。
リスロマンティック。蛙化現象と違う?|hiro_89th (note.com)
ノンバイナリー?「色」で捉える感覚|hiro_89th (note.com)

自身の形成に大きく影響を及ぼしているのは10代前半~20代後半における「ゲイセクシャル」自認であり、このセクシャリティの受入れがたさと葛藤に関しては、どこから触れて、どのように向き合って言語化すべきか、未だ整理がついていません。綺麗事じゃ済まないことがあまりに多すぎるので。

そんな中で、だれかと交際したり一緒に生きていくということと「無縁」と思って生きてきたのですが、今年8月に出会い、9月から交際している「彼氏」ができました。
「恋人がほしい」と思っていたわけではないので、彼とやり取りする中で「この人を大事にしたい」「この人を笑顔にしたい」「そのために、相手が望んでくれるなら恋人になりたい」と本心から思ったからです。

「遊び」の付き合いではなく、「真剣交際」という言葉をあえて用いて、彼に向き合うことを望むか問い、彼もそうしていきたいと応えてくれて、今日に至ります。
彼との関係性や日々考えることをThreadsに投稿していたりしますが、「恋人がいること」「彼を大事にしていること」を、どうしても日常関わる人達との何気ない会話の中で、素直に言ってもいいのに、どこか言葉の置き換えを考えてしまったり、躊躇してしまう自分がいるのです。

「他人」には言えるだろう。「身内」には?

「同性」と付合い出したことで、「マイノリティ当事者」であることを強く実感したり意識せざるを得ない場面に遭遇することが増えてきました。
今までなら、「自分自身」のことなので、自分の振舞いをある程度我慢したりコントロールすれば、どうにでもできました。
「カップル」となると、彼の目線のことも意識したり、彼のことを誰かに伝えたいと自然に思うようになりましたが、そういう場合には「この人になら言えるだろう」「この人はどうかな、曲解されそうかな。本意でないことを第三者に言われそうだな」「この人には言わないほうがいいよな」と考えることも増えました。

カミングアウトは、自らの性的指向恋愛的指向性同一性自己開示することを表す言葉であるカミングアウト・オブ・ザ・クローゼット: coming out of the closet)の省略形。カミング・アウトとも表記される。
「カミング・アウト(coming out)」は「外に出てくる、出かけてくる」「姿を現す」「新しい映画が公開される」などの「表に出ていない状態から表に出ている状態への移行」を意味するのにも用いられる[1]。ただし、ここでは「カミング・アウト・オブ・ザ・クローゼット」の略の意味のみについて記述する[2]
動詞形では、「come out as 〜」として用いられる[1]。自身(当人)ではなく、他者がこれらを暴露することをアウティング: outing)という[3]

カミングアウト - Wikipedia

彼は俺との交際について、彼の母親や親しい友人や職場の一部の人に伝えてくれています。彼は「ゲイ」であることを受入れて生きています。でも、彼にとっても「だれにでも言える状態ではない」と会話しています。

彼とは、14歳の年齢差があります。彼のほうが年下です。
彼の親は、俺について何か気にしていたり心配はしていないの?と聞いてみたところ、「何してる人?くらいしか聞かれなかったよ。反社とかじゃなければ何でもいいって言ってたよ」「俺もHiroくんが反社じゃない限り、何をしている人でもいい。」と。

そこで思い出したのは、ドラマで見ていた「きのう何食べた?」で描かれていた周囲の人達の反応について。
「あなたが犯罪者じゃ無い限り受け入れるわよ」というようなセリフや「他人だから受け入れられるけど、親だったらざわめくこともすごくあるわよ」というようなセリフ。

俺が彼とのことや自分のことについて言えるだろうな、と思えるのは、俺のことを「男性のHiroさん」ではなくて、「Hiroさん」として人間そのものを見て関わってくれているだろう人たちに対してだと思います。
セクシャリティや彼とのことを伝えたとして、相手が知っている俺が変わらないことを伝えられれば、きっと伝えられる。
そのためには、説明にもある程度順序や声色とか、表現に少し気力がいりそう。

両親や姉にはどうだろうか。
俺の父親は、昭和を生きてきた「亭主関白」像の人間なので、理解するのは難しいだろう。ただ、過去いろいろあり「結婚するとか多分無い。人間とは付き合えない。孫は諦めてくれ」と口酸っぱく伝えてきているが、心の何処かでは女性と一緒になり子どもを持つことを、なんの根拠もなく自然発生することとして意識しているだろう。

母親にはどうだろうか。
母からは、過去に「男でも女でもどっちでもいいの。だれかと一緒に生きるってことも選択肢に入れてね」と言われたことがある。でも、いざ「男性と付き合ったりしたらどうする?」と聞いたときに「え?!なんて?」と顔をしかめられたことがあり、「あぁ、言葉では言えただろうけど本質的にはやっぱり言わないほうがいいか」と思ったことがある。

姉は、二人いる。
一番上の姉には、言おうが言わまいが、「へぇ」で終わりそう。
下の姉とは、過去にセクシャリティに関して会話したことがあるので、ちゃんと言えそう。

「カミングアウト」について、今思うこと。

カミングアウトとは、自分が自身を持ってすべての人に伝えられることではないと「今」は考えています。
「言いたくない」「表明したくない」ということではなく、「言ったことで相手を誤解させたり、混乱させたくない。余計な尾びれがつくのも嫌」という気持ちのほうが大きい。

そのうえで、きちんと胸を張って言えることで、地に足がつく感覚だったり、堂々といれること、心の健康さについてすごくわかるし、言える人が羨ましくもあり、すごいとも感じます。

言ってもいいし、言わなくてもいい。
大事な人が、わかってくれれば。
でも、大事な人だからこそ、言わなくてもいい。

自問自答が続きそうです。

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