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リスロマンティック。蛙化現象と違う?

俺が自認している感覚の一つである「リスロマンティック」について、言語化できそうだなと思ったので書いてみます。

リスロマンティック(Lithromantic)とは他人に恋愛感情を持つものの、それに応えて欲しい(両思いになりたい)とは思わない人や指向のことである。アコイロマンティック(akoiromantic)、アプロマンティック(apromantic)とも呼ばれる。

リスロマンティックは他人に愛を感じるが、その愛はプラトニックなもの(肉体的な欲求を伴わない、精神的な繋がりを感じるもの)や私的なものであることを望む。相手と仲睦まじく戯れたり、恋愛的な興味を持ったりすることもあるが、恋愛関係に入ることを望んでいるわけではない。恋愛感情がお互いにあるとわかった瞬間に、関係を断つこともある。

リスロマンティックとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

好きな人に好かれるのが受付けられない、って何?

俺の中に潜むこの感覚は、どんなセクシャリティ自認よりも早く芽生えたと思います。

初めて体感したのは、中学1年生の頃に付き合うことになった「彼女」の存在。確かに惹かれて好きになって、向こうも俺のことを好きだと言ってくれて付き合うことになりました。なんとなく、「俺のどういうところが好きになったの?」と聞いたら、「全部」と返ってきて、その瞬間「うれしい!」とは真逆の、「気持ち悪い。おぞましい。」という感情が溢れてしまって、彼女に会うのが怖くなってしまいました。
自分でもなんでそんな感情になったのか理解できなかったのです。
結果的に当時の彼女に対しては、「ちょっとやっぱり付き合うってのはやめたい、ごめん」と伝えることになったのですが、それだけでは彼女は理解できるわけもなくて、「いきなり彼女は難しかったよね?」と言いつつも、毎日電話をかけてきて、そこで本当に気持ちが悪くなってしまい、「ごめん、嫌いだから別れた。二度と連絡してこないで」と、そんなこと本気で思っていなかったのですが、無理やりぶった切る言葉を使うことになってしまいました。
彼女のこと、ちゃんと好きになってた?ちゃんと好きになるってなんだ?人を好きになるってなんだ??という思考のグルグルが発生して、人を好きになるのも恐くなってしまいました。その先で男性に恋愛感情を抱くことにもなるのですが、それはまたの機会にでも。

その後もその感覚に気付かされる経験がいくつかありました。
20代の頃までは、きっと俺が俺自身を好きじゃなかったから、「”自分が嫌いなもの=自分”なんかを好きになるなんてセンスが無いな」とか、「俺を好きになるなんて意味がわからない。」などと思ってしまい、スンと冷めてしまうのだと感じていました。
でもその先の人生を過ごしていくうちに、少しずつ自信が出てきて自分を好きになれてきても、人から好意を向けられる気持ち悪さは変わりませんでした。

ここ数年でも「蛙化現象」という言葉もあるものの、「現象」というより「本質的」に抗えない感覚だと自認するようになり、「リスロマンティック」「リスセクシャル」という言葉を知ったときに、ものすごく腑に落ちたのです。
”好き!”を与えられると、アレルギー反応のように拒絶を発するのです。

一方で「ノンバイナリー」「サピオセクシャル」という自認についても、上記の感覚から、「男性」「女性」を好きになるのではなく、それらも含めた「その人」全体の魅力や知性・尊敬できる部分に強く惹かれることから、相手から自分への見返りを求める感覚が生まれにくいのもあるように思います。「推し」を「推していたい」だけであり、相手が俺を好きになってしまうことで、もともと魅力的だと感じていた部分が「変化」することが喜びにならないのだと思います。

リスロマンティックとともに、恋人とも向き合えるのか?

現在、ありがたいことに、俺には出会って未だ1ヶ月の男性の恋人がいます。彼は俺の「すべて」が好きだと、毎日言葉をくれます。彼と向き合おうと思えたのは、彼が俺にまっすぐ「好き」と伝えてくれて、「ちゃんと応えたい」と思えたから。不思議と「ありがとう、嬉しい」と心の底から感じることができて、「あれ、拒絶が起きないぞ?」と、自分でも驚くほどに、真剣に向き合えていると思います。
毎日、朝起きたときに、自然と彼のことを想えていること自体に、安堵します。

でも、時折彼の俺に対する感情が、すごく強くなることがあります。
そうしたときに、もともと他者から受け取ることが難しかった”愛情の受け皿”を、彼が俺の心の中に作ってくれたように感じています。
でもその受け皿は、まだできたばっかりの小さなものなんだなと気づけて、すぐに飽和してしまって、そういうときに”気持ち悪いと感じてしまう”事に気づきました。
まだ、「リスロマンティック」という感覚は、消えていなかった。俺の心に、確実にあるんだ、と自覚しなおして、そこも含めて、彼のまっすぐな気持ちにまっすぐ応えたいのに、応えられなくなりそうで、そんな自分がまた恐くてつらいと思ってしまいました。

なので自分の中で冷静に咀嚼して、相手に素直に伝えてみました。
「俺のことを好きだと思ってくれる気持は痛いほど伝わっているし、全部を言葉にしなくて大丈夫。本当にわかってるし、俺も好き。すごく美味しくて嬉しいごちそうを、【お腹いっぱいだよ、ごちそうさま】と伝えているのに、【こんなに”好き”があるんだ、もっと食べて!】って出され続けているような感覚になる。お腹いっぱいを通り過ぎて、吐いてしまいそう。受け止めたくても追いつかなくなる。好きなのに、嫌いになりそうで、恐いんだ。ちょっと落ち着きたい、っていうのは、消化と整理が追いつかないから。だから、余裕を持って待っていてほしい。」と。

彼は彼なりに、俺の言葉を受け取ってくれます。一生懸命考えてくれるので、そこがとても好きです。
彼が、俺が望む姿に染めてほしいと言ってくるのが、たまに恐い。俺は、相手がもともと持っていた色が好きだったのに、その色が変わってしまったときに、変えてしまった俺自身含めて、嫌いになりそうなのが恐い。だから、俺は彼がもともと持つきれいな色を、より一層輝かせられるように、引き出したい。

感覚的だった部分が、恋人という存在を通じて、自分と改めて向き合うことになり、言語化・整理できていくのが、難しいし苦しいけれど、ありがたいとも思います。

同じような感情を持つ人もきっといると思っていますし、逆に、恋人や好きな人のことをいっぱい考えて苦しい人もいるように思います。
相手のスピードにもぜひ寄り添ってほしいし、俺も相手の気持を受け止めながら、自分自身を見失わないようにしたいなと思います。


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