それはたまたま,そうだっただけで…
先週からのカンカン照りの暑さと出発前日の大雨で,
一泊二日の倉敷への旅は
どうなることかと戦々恐々でしたが。
幸いにも,雨にも遭わず,陽射しも気温も凄まじくなく
なんとも快適な2日間でした。
こういう時ってよく
日頃の行いが良かったのかしらねっ❤️
とか言いますけど,ていうか言いたくなりますけど
まあ,それは,自分で言うのは冗談半分としても
人から
日頃の行いが良かったからよ〜
なんて,言われるのはちょっと抵抗があります。
じゃあ,
その逆で,
それまで気持ち良い天気だったのに
旅行当日はものすごい猛暑とか大雨でした。
とかだったら
日頃の行いが悪いの?
なんて思ってしまうのです。
こうした言い回し
ほんとすごく気になる方で
たとえば
自然災害などで理不尽に肉親を失った人が
「うちの〇〇は,悪いことなんか何もしていないのに」
とかインタビューで訴えてることがありますが
じゃあ,すんごい迷惑かけてたり評判の悪い人だったらいいのか
誰の死も理不尽で悲しいことだろうって,
聞いててかなり不愉快になります。
極めつきは
昨年,相次いで亡くなった実父と義父について,で。
2人とも,本当に急死で。
前日まで,大きな病気もなくごく普通に生活していたのが,
当日具合が悪くなって数時間で,殆ど苦しむこともなく逝ってしまったのです。
家族からしたら,青天の霹靂,大きなショック。
でも,まあ,本人にとっては最高の死に方だし
幸せな人生の終わりだったね,と言いあってお互い慰めあってました。
で
2人の最期についてよその人に語ると
“まあ,おとうさんたちは、それまでに本当にいいことしてきちゃって
素晴らしい人だったのね!”
“いい人だったのねえ”
と,言ってくださる方が多い。
はあまあ,そうなんですかねえ,おかげさまで
と曖昧な笑いで応えてはいますが
心の中では
長く長く患い,苦しんで苦しんで世を去る人は,
悪いことばかりしてきたってことになるの?
生きてるうちに,人に対してさえんことばっかりしてきたの?
そんな最期を迎えた人が家族にいる人,そばにいるかもしれないよ!
そう叫んでます。
それはたまたまそうだっただけで
その人が
いい人や悪い人,だったのではないし,
いい行いをしてきたわけでも
悪い行いをしてきたわけでも
ない,です。
……そう,わかってます。
みんな,他を貶めるために言ってる言葉じゃないって。
だから
慰めでも賞賛でも,その言葉が
翻って誰かを貶め傷つける言葉になってないか,
心を充分,使わなければいけないな
そう
思っています。
ほんと,難しいですけどね。