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自分の不安を「相手に解消させる」人の正体

先日友人がしてくれたのが「面倒くさいなと思った人」の話で、LINEの返事を送らない相手にわざわざ電話して「届いてる?」と確認する人は男女関係なく見る。

特に急ぎの用事ではなく、以前友人に話したことについて「進展があったから電話したい」と伝えたいだけだった。

送ってきたのは平日の午前中で、その時間仕事をしている友人はスマートフォンはマナーにしておりLINEもメールも見ない。
当たり前だが業務に集中しているので、LINEのメッセージなどは昼休みにチェックして返信するのが常だった。

男性は「送ったメッセージに返信がないことへの不安」を伝えずにはいられず、彼女の状態を無視して電話をかけてくるのだ。
この窮屈さ、「わざわざ電話して何を確認したいのか」が透けて見えるのがね、しんどいよね、と話していた。

男:「ごめん、さっきLINE送ったんだけど、届いてる?」
友:「あー、仕事しているから、スマホは見ないの」
男:「そうなんだ」
友:「うん」
男:「……」
友:「……」

男性は待っている。
彼女が「気づかなくてごめんね」と謝るのを。

”そういう”無言だった、と友人は感じたそうだ。

私も以前似たような経験をしていて、突然電話をかけてきたと思ったら「LINE読んだ?」と確認する男性に辟易したので、彼女の気持ちはよくわかる。

LINEの意味がまったくないこんな面倒くさい行動は、「相手に関心を向けられる自分の確認」がしたいからで、「待たされて不安になった自分を何とかしろ」という圧力と同じだと思う。

私だったら、急ぎでないなら相手に電話で読んだかどうかの確認なんてしないし、よしんばするときになっても相手に読めない事情があったとわかれば「知らずに送った。電話してごめん」とこちらが謝る。
メッセージに気づかなかったりすぐに返信できなかったりする状況は自分にもあるわけで、なおこちらから「電話に出てもらう労力」を取らせたのだから、詫びるのが普通だと私は思っている。

彼女も同じで、「平日の午前中とか、私が会社にいるのをわかっていて読むのを前提にするのが怖い」と思うのは当たり前だろう。
どうして「メッセージに気づかなかったことの非」を押し付けられないといけないのか、それなら

「相手は仕事中ですぐに返事はできないと想像しない自分」

はどうなのか、まさに「配慮がない人」としか感じない。

こういう人はまず相手に謝罪を求める。
「待たされて不安になった事実」を解消させようとする。
それを叶えてくれるかどうかで自分への関心を図ろうとする。

相手の事情などいっさい考えないし、”期待はずれ”を許さない狭いキャパシティが見える。
「仕事をしているからLINEを見ない」とわかっても、知りたいのはそこじゃない。
「返事がないことでわざわざ電話をすることになった自分」を見てほしいのだ。そこを侘びてほしいのだ。
「不安にさせてごめんね」と。
だから無言で待つような圧が出る。

「相手は仕事中かもしれないのに電話をかけてこちらを向かせる自分」については見ようともしない。

「うわぁ、まっこと面倒くさいね」
そう言うと、彼女は
「前からこうなのよ。
電話して私が出なかったら、こっちが折り返す前にまたかけてきたりするの。
本当に窮屈で」
と、ため息をついた。

依存だなあと思いながら普段の男性の関わり方を訊くと、

・LINEは即レスが当たり前
・何かあるとすぐ電話してくる
・人と衝突した話が多い
・自分からデートには誘わず「週末は暇しているけど」とだけ伝えてくる
・彼女が誘わなかったらそのまま引き下がるが、後で「誰と過ごしていたか」を訊いてくる
・食事に行く店はいつも彼女に任せる

などなど、モロに受け身だった。

彼女にとって男性は「男友達の一人」に過ぎず、その雰囲気は共通の友人と過ごした話などをして伝えているが、男性のほうはこうやって「自分に関心を向ける彼女」を常に求めているのだ。

窮屈な人、というのはこちらにプレッシャーをかける。

”自分にとって”不具合が生じれば不穏な空気を出し、

「相手をしなければ」
「不安にさせたことを謝らなければ」

とこちらに非を感じさせる。

客観的に見れば、たいして急ぎでもない用事を送っておいて、「三時間既読がつかないから」という自分の都合で相手に電話をかけるとか、どんだけ依存してるんだと思う。

「電話のように相手の時間を煩わせずコミュニケーションを取れる」のがLINEのメリットで、だから連絡の手段に使うのであって、相手の状態を想像もせず一方的に電話してくるとか、本末転倒でしかない。

どうして待てないのか。
勝手に抱える不安をぶつけてこれるのはなぜなのか。


彼女ははっきり伝えたそうだ。

「私には私の時間があって、あなたの感覚に合わせるのは無理。
仕事中に電話が来るのは迷惑なので、やめてほしい。
即レスがないのが嫌ならもうLINEも送ってこないでほしい。
応えられないから」

これに対する男性の返事は

「わかりました。
迷惑をかけて本当にすみませんでした」

のみで、それ以降連絡はないそうだ。

穿った見方をすれば、こういう人は拒絶されるまで自分の関わり方が異常だと知ることができない。
そして、拒絶されても自分の非から目をそらし、「仕方ない」で済ませる。
変わらない。
「次からはこうします」の改善はない。

受け入れてもらえなかった自分しか見ていないので、「責められた」「拒絶された」に囚われ、

「次からは相手も自分も居心地よく感じられるやり方」

は考えないのだ。
こういう男女でその後まともなコミュニケーションが取れるようになったケースを見たことがない。

そのまま続けるか、終わるか。

この二択しかないのだ。


自分の不安を相手に解消させる人の正体は、窮屈な依存。

LINEだけではない、いろいろな方面で「自分に関心があると示される」やり方を押し付けてくるから愛されない。

自分の満足が前提なので相手への配慮はないし、気持ちを尊重する姿勢も見えない。

こういう人の特徴は「人と交わっても後味の悪い幕切ればかり繰り返す」点で、楽しい人間関係を持っていないのもよくある。

だからこそ、「愛される自分」に執着するのだ。
居心地のいい距離感を他人と築けない自己愛が、余裕のなさにつながる。常に”すぐ切羽詰まる”強迫観念がある。

本当に悪循環だなと思う。

友人は
「私は道具じゃないのよ」
と言ったが、人にこんな感慨を与える自分の姿を知ることが、依存から抜け出す最初だなぁ、と。

年をとるほどに、こういう人が孤立するのを目の当たりにするけれど、「愛されたければまず愛する」の”基本”は、愛されない自分の克服からだなと感じる。


窮屈さは自分こそを苦しめる、って話。

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