錦秋の道東三湖 ピリカ号に乗って
いよいよ今回の旅、メインイベント。
8:00 釧路駅発 阿寒バス 定期観光「ピリカ号」
天気は、曇り時々晴れ。
釧路の1日目はこちら ↓
約9時間の行程。久しぶりの団体行動に
不安を感じながらのスタート。
搭乗者は34名
ひとり旅の人も多くみられたが、参加者が多いため相席状態。
運が良いのか、悪いのか、私は一人席で。
車窓は、湿原を過ぎ、紅葉を迎えた山間へ。
摩周湖第一展望台(弟子屈町「てしかがちょう」)
最初の見学場所
摩周湖は
周囲20km、面積19.6平方km
日本国内で6番目に大きなカルデラ湖
最大水深は212m、田沢湖、支笏湖、十和田湖、池田湖につぐ第5位。
この深さゆえ、冬でも凍らない。
流れ込む川がなくプランクトンなどが運び込まれないため、
世界一級を誇る透明度。(しかし年々透明度は低下している)
摩周湖といえば
昭和のころ、「霧の摩周湖」という歌謡曲が流行った。
実際に、5月から10月の半年間(184日)で、
湖が一日中見える日は137日
時々見える日は54日
全く見えない日は29日ほど、との統計がある
(平成20年~平成30年の11年間の平均値)。
霧は特に6月から7月にかけて多いらしい。
流出入河川がないにもかかわらず、雨が降っても水位が一定に保たれているのは、摩周湖の水が湧水となってわき出しているためという。
悲しい伝説 カムイシュ島
湖の中央にはカムイシュ島が顔を出している。
湖面から見えているのは高さは約30mだが、
それは山の頂部分で、湖面下の見えない部分も合わせると
全体の高さは約240mもあるという。
カムイシュとはアイヌ語で「神となった老婆」
そのカムイシュ島には、こんな悲しい言い伝えがある。
昔、稚内のコタン(集落)の酋長がだまし討ちに遭い、殺されてしまう。
酋長の母は孫を抱き、闇にまぎれて逃げ回るうちに
命より大切な孫を見失ってしまう。
愛する孫を何日も探し続けて摩周湖のほとりまで来た老婆は
カムイヌプリ(摩周岳の神)に一夜の宿をお願いする。
老婆は、しばしの安息のつもりが、あまりの悲しみと疲労で動けず
そのまま摩周湖の小島(カムイシュ島)に姿をかえてしまった。
それからは、この島に誰かが訪れると
孫が来たのかとうれし涙の雨や雪を降らせるという。
この悲しい伝説の童謡を、ガイドさんが歌ってくれた。
その悲しい調べは、静寂を飲み込んだまま
錦秋の山道を駆け抜けた。
川湯温泉(弟子屈町)
バスは、途中、川湯温泉街を通り抜けた。
昭和の子どもたちの間で流行った「巨人、大鵬、卵焼き」
川湯温泉は、第48代横綱 大鵬関の出身で
車窓からは「大鵬相撲記念館」が見えた。
廃墟と化した街並みに、一時代の終焉を見た。
硫黄山(弟子屈町)
いったん山道を下り終えると
バスの車窓から、モクモクと噴煙を上げる岩山が見えてきた。
硫黄山である。
バスが駐車場に入った途端、車内に硫黄のにおいが流れ込んできた。
硫黄山は、明治時代に良質な硫黄を産出した。
全道一の採掘量に対処するため、
釧路集置監の囚人達に鉄道を敷設させ
硫黄の大量輸送の道を切り開いた。(JR釧網本線の礎を築く)
しかしこの大量輸送の実現により、硫黄資源はあっという間に枯渇。
鉄道の歴史もわずか9年で終幕し、採掘も中止となる。
釧路川の源 屈斜路湖(弟子屈町)
やがて、二つ目の湖、屈斜路湖に到着。
屈斜路の語源は
アイヌ語で湖や沼の出口を意味する「クッチャロ(のど元)」に由来。
周囲57km、水深最深125m
国内最大のカルデラ湖
流れ出る川は釧路川だけ、屈斜路湖は釧路川の源である。
湖から流れ出た美しい水は、原始の森の中を蛇行しながら流れ、
釧路湿原を経て太平洋へと注がれる。その全長は154km。
冬は氷点下20℃以下にまで冷え込むことがあり
寒さ厳しい1月から2月にかけて、湖面は氷に覆われる。
結氷した湖は、カルデラ全体がスピーカーのようになり
不思議な氷の音楽で満ちる不思議な日が数日続くという。
その後、日中と夜の気温差で氷が収縮・膨張を繰り返し
やがて道のように盛り上がる。氷丘脈という御神渡り現象。
屈斜路湖の御神渡り現象は高さ2m・長さ10kmに及ぶこともあり
日本一の壮観と言われる。
火山活動によって形成されたカルデラ湖「屈斜路湖」。
東湖畔の「砂湯」は、
湖のほとりにある砂浜を掘ると温泉が湧き出てくる。
湖畔では、キャンプを楽しむ人の姿があった。
阿寒湖(阿寒町)
コースの最後は、阿寒湖。
周囲約26km。
湖上には大島、小島、ヤイタイ島、チュウルイ島の4島がある。
チュウルイ島にはマリモの展示観察センターがあり
観光船で往復85分。
ここでは昼食を挟み、2時間の自由時間。
いろいろ行きたいが、時間が足りない。
食事は後回しに、とりあえず、行きたかった場所に足を運ぶ。
まずは、一度は訪れたかった アイヌコタン へ
二人の息子には「シマフクロウ」のストラップ
アイヌ語ではシマフクロウのことをコタンコロカムイ
=村を守る神と呼ぶ
夜になると起きてジッと村を見守り偵察してくれる守り神。
自分にはブレスレット
ブレスレットは、そこから先に悪いものを入れないという。
いつも身につけることで、釧路(阿寒)と繋がり、心が強くなる気がする。
思っていた以上に、時間が経つのが早く、急ぎ足で
「幸福の森商店街」を通り、「阿寒湖畔エコミュージアム」を目指す
道すがら
わかさぎ甘露煮専門店で、お土産を買う。
セブンイレブンで、あつあつのビッグ肉まんを買い、湖畔のベンチで食べる
(ランチタイムの簡素化~)
「まりもの里商店街」は、手湯や足湯があり
小さいながらもそれなりに楽しめた。
そして「阿寒湖畔エコミュージアム」
阿寒湖では
アイヌ文化を理解、体験してもらうためさまざまなイベントを開催している。
「阿寒湖アイヌシアター イコロ」では
「アイヌ古式舞踊」「イオマンテの火まつり」などの伝統芸能を鑑賞することができる。
また、10月末までは
阿寒湖畔で阿寒摩周国立公園の大自然とアイヌ文化をデジタルアートを使って五感で楽しむ体験型アクティビティ「阿寒湖の森ナイトウォーク KAMUY LUMINA」を行っている。
急いでバスに戻る途中、わずかな時間なのにー-
15:00 阿寒湖出発
ぜいたくにも道東三湖を廻った、「ピリカ号」の旅。
今回感じた取った、それぞれの魅力のほんの一部を
次回は、自分なりの旅に発展させたい。
ガイドさんから聞いた多くの情報は、深く、道東をもっと好きになった。
心配していた久しぶりの団体行動も
規律を乱すことなく、他人に迷惑をかけることもなく
参加者の方とも、つかず離れずのいい距離で
「ひとり旅」を楽しむことができた。
釧路空港経由で、釧路市内に帰ってきた。
そのあとは こちら ↓