デジタル制限のススメ
SNSやYoutubeが世界に登場して10数年。
いまや僕らの世界でこれらのサービスは必要不可欠な存在になりつつある。
でも、あえて時代に逆行したい。それ本当に必要?
SNSの利用率
総務省の調査によると、一日あたり60分以上スマートフォンを利用する社会人は過半数を超えており、若い世代は更に多い。
更に内訳を見ていくと、SNSの利用時間は中学生、高校生、大学生、社会人とも「30 分未満」が最も多くなっている。
もう一つは、MMD研究所が発表したスマートフォンを所有する15歳~59歳の男女を対象に実施した「2019年版:スマートフォン利用者実態調査」の結果(https://www.bcnretail.com/market/detail/20200219_158642.html)
「2時間以上3時間未満」(21.8%)が最も多く、「1時間以上2時間未満」(16.9%)で、2時間以上の層を見ると8割を超える世代も多い。
また、最も利用するアプリ上位3種については、「SNS」(28.7%)で、「動画」(26.3%)、「コミュニケーション」(25.8%)
総務省とMMDの調査をざっくりまとめると、スマホの平均使用時間は2時間から3時間。MMDの方だと、役70%の人は2時間以上使用している結果だ。
アメリカ人は平均で2時間をSNSに割くそうだから、まだ日本人の方がSNS中毒者は少ないのかもしれない。まあ、社会構造が違うので簡単に比較はできないけど。
しかし、みんな好きだね。
人に評価されたい
SNSは癖になる。
人の投稿やストーリーを見たりしているのは、なんだか癖になる。
そして、あわよくば「自分も!」と、おしゃれなストーリーや、パーティーで楽しんでる写真を投稿したくなる。
あれだ、リア充アピールしたくなる。
伊藤貫さんの言葉の引用だけど「最近のハーバードや名門大学の学生はつまらないやつばっかりで、他人からサクセスフル(成功者)と見られているかを一番気にする」
今の若者が最も気になるのは「他人からの視線」や「他人が下す自分への評価」。https://www.youtube.com/watch?v=GMZMc7sgvkY
どうやら、周りの視線を気にするのは、日本人だけでなくアメリカの若者も似たような感じらしい。つまり最も重要な評価基準は他人で、人からどう思われているかが一番大事。
この”他人が”自分の評価を左右するという精神性は最近のSNSと非常に親和性が高いと思います。
誰しもが経験したことがあると思うけど、SNSでイイねが沢山つくと無性に嬉しくなってしまう。他人からの承認をられたような感覚。
まるで自分が他人に認められたような、評価されているような錯覚に陥る。
そして、次の投稿では、あわよくばもっと多くの”イイね”を獲得したい、と戦略を考える。人によっては写真加工アプリや編集ソフトに手を出すだろう。
”Attention is the beginning of devotion"
上の言葉はソーシャルメディアの本質を突く言葉だと思う。気づいたらハマっている。
「イイねの数」「視聴回数」「(SNS上の)友達の数」など数値化される物に価値を見出し、それをを無意識的に競い合う。とても資本主義的です。
SNSの場合、他人からの評価が「イイね」や「RT」の数で簡単に数値化される。そして、もっと多くのイイねを稼ごうとする。これはさっき引用した、世界中で大量発生している「人からサクセスフルに見られたい」という、自意識過剰な若者と相性がすごく良い。
現にFacebookの広告収入は近年で激増していて、ガーファと呼ばれる大手IT企業の広告収入は凄まじい金額です。
SNSの力では僕の目標は達成できない
それでも、僕はSNSを極力使いたくない。”だからこそ”と言うべきかもしれない。
僕がなりたいのは、周りの人間が思いつかないような、より建設的な解決方法を提示出来たり、より生産的でクリエイティブな仕事が出来たり、それでいて親切で、思慮深くて教養がある、"well educated"な人。
そして、ネット空間じゃなくて、現実世界で周りの人を魅了するような人になりたい。トレバーノアのような、誰もが魅了されてしまうような。
自分の貴重な自由時間を他人の投稿や広告まみれのSNSやYouTubeなんかで使ってしまって、無意識的に他人へのルサンチマンを高めてしまったり、買いたくなかったものを買いたくなっちゃったり、時間をムダに過ごしたり、それ正しい時間の使い方ですか?
理想的な人間になるために、空き時間のほとんどをスマホに費やすことが、生産的で賢い時間の使い方ですか?
少なくとも、ソーシャルメディアやYoutubeごときが、現実世界で達成したい目標へ導いてくれるモノや、理想的な人になれるための道具になんて、なりえるはずがない。
劣等感難民
SNSの行きつく先は「他人の評価を気にしすぎる」人の”性”が無意識的に強化されてしまうだけだと思う。ある種の劣等感(ressentiment)です。
茂木健一郎さんは劣等感がうまれるのは、「日本の偏差値文化が原因」だと仰っておられるけど、僕はそれは非常に皮相的な見方だと思う。(まあ、勉強に限るならそうかもしれないけど)
その偏差値至上主義も、根源的には資本主義だからでしょう。お金を持つ人がパワーを持つという社会構造の問題じゃないかと。そして、そんな社会でエリートになるためには、学校で偏差値という数字を上げるのが近道だからでしょ。
https://www.youtube.com/watch?v=UEESHDlgM7g&t=1s
現代は数値化される物はお金に繋がります。Youtuberなんてのが良い例ですよね。
でも、数値化される物に人が集まり、そのプラットフォームの中で数字を稼ぐ、自己を最大化する価値観って今の時代では最も没個性なんです。その代表がSNSであり、Youtuberであり、サッカー選手や経営者の自己啓発本を読み、TOEICにお金をつぎ込む、現代日本人です。
しかも、そういう人たちって、「日本に大量発生」ではなく、「世界で大量発生」している。
恐ろしい(笑)
SNSやその文化が原因なのかはわかりかねますが、少なくとも世界中で大量発生している「人からサクセスフルに見られたい」という、他人が評価基準な現代の若者。
日本だけじゃなくて、海外でも、世界中のどの空港でも、スタバに行っても見かける、下を向いてスマホやマックブックに没頭する若者。。
あーいや!いや!嫌だ!!!(笑)
間違ってもそんな若者になりたくない。
独創的な知性や、クリエイティブな感性を育みたいのなら、寧ろSNSなんて捨ててしまえ。今すぐデリートだ!
そして、大切な自由時間を自分の個性を磨くような、より健康的なものに使おうぜ。