風呂場ダイハード2
ダイハードとはクリスマスイブに厄介ごとに巻き込まれる刑事を描いた映画であるが、私の妻は去年の大晦日、実家の風呂場のドアノブがとれ、風呂場に閉じ込めらるという結構、大変な目に遭った
いわゆる「風呂場ダイハード事件」である
(2024年1月1日アップ 風呂場ダイハードを参照)
映画「ダイハード」は年に1度のクリスマスイブの話だから「風呂場ダイハード2」があるとすれば次の大晦日まで待たねばならないと思っていた
しかしあれから1日、風呂場ダイハード2は元旦に起きていた
妻はその日、脱衣所で服を脱ぎながら前の日の騒動を思い出してた
風呂から出ようと思ったらドアノブがとれ、出られなくなった
家族揃って年越しそばを食べる前で、その時刻は17時
このままでは蕎麦が伸びてしまう
結婚一年目の嫁が、夫の実家で長風呂をして年越しそばを伸ばしてしまったら大変と、とれたドアノブを再度差し込み何度も捻るが開かない
結局、それに気づくまで5分もかかってしまったが、妻は風呂場にもう一つある土間につながるドアから裸のまま脱出し、納戸を通って脱衣所に戻り、嫁の長風呂で年越しそばが伸びてしまうという事態を回避した
だから、これから風呂に入るときは、風呂のドアを少し開いておこうと決めていた
悪いのはとれたドアノブだが、それでも同じことを二日続けてやるのは馬鹿である
実際、私、父、母も同じ風呂に入り、規定時間内に入浴を済ましている
新参者の嫁という甘えが通用するのは一度切りだ
そんな妻であったが、服を脱ぎ終わり風呂場に入ると、そのことを全部忘れていた
昨日のようにドアを完全に閉めたのだ
妻はドアを完全に閉めた後、自分がドアを完全に閉めたことに気付いた
なんてことをしてしまったのか!
妻は昨日に続いて風呂場でドアノブを握ったまま凍りついた
昨日、あれだけの騒動を起こしてしまったのにまたやった
ついさっきまで覚えていたのにすっかり忘れていた
妻は自分自身に驚いた
だが一方で、妻はそのような事態に耐性があった
妻にとってこのようなことは珍しくなく、いちいちそれに驚いていては自分はやってらないと悟るくらい、寸前まで覚えていたことを忘れることがあるという
そしてそれは、突っ込む人がいるからそれに気づくが、突っ込む人がいなければ、あまりにもよくあるので、自分でも何を忘れたのかわからないという
「恥の多い生涯を送ってきました」という太宰治の「人間失格」書き出しを読んで、これは自分のことだと感じ、涙が出たという
だから、自分はちょっやそっとのことでは驚かない、という自負さえあるという
なので、逐一それについていちいち指摘する奴、うるさい、とさえ思うらしい
そして私が思うに、妻は「人間失格」を最後まで読んでいない
書き出しを読んだだけで、読んだと言い張るタイプ
多分、そうだ
そんなわけで、妻は、自分がすぐに何かを忘れるということに対し、肝が据わっている
だが、それでも「二日続けて他人の家で裸になっているのにドアが開かない」という状況は流石にまずいと思ったらしい
真っ先に私の両親の顔が浮かび、「あの子またやってんの!」と呆れられる顔が浮かんだという
「なるほど、それは大変だったね」
風呂から上がった妻の報告を、私はニヤニヤしながら聞いていた
映画「ダイハード」は見せ場の多い映画だった
ダイハード2で、ブルースウイルスが最後にタバコを吸うシーンは最高だ
私は「風呂場ダイハード」を映画にするならどんな映画になるだろうと考えた
裸の女が風呂場でドアノブを握って立ちすくむ
そのまま5分経過し、もう一つドアがあることに気づき、そこから出る
うーん、地味な映画だ
「で、どうやって出られたの?」
「落ち着いてドアノブを捻ったら、普通に開いた」
「そうよ、みんなそうしてるもん」
「風呂場ダイハード2」完結!
うーん、地味な映画だ