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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その二 おはまの一件始末 12

「やられましたな、まさか、そんな大それた手に打ってでようとは」、清次郎も苦々しい顔をしている、「不覚であった。こんなことなら、拙者が残っておくべきでした」

「いや、中村殿のせいではない。こういう事態を想定できなかったワシの不徳のいたすところだ。それで、おはまの行方は」

「はっ、ただいま、郷役総員、また郷の男衆を動員して、周辺を探索しております」

 使いの者の的確な答えに、宋左衛門と清次郎は頷いた。

「政吉じゃ、政吉を捕まえろ! ものども、捕り物の準備じゃ、出あえ!」

 主水は、まるで戦(いくさ)に出陣するが如く騒いでいる。

 それを、「まあまあ、まだ政吉の仕業と決まったわけではないわけですし」と、孝三郎が宥めている。

「政吉に決まっておろうが! 子分を使って、おはまを攫わせたのじゃ。おのれ、寺社奉行のご威光を何と心得るか!」

「まあまあ、それはおはまを攫った者を捕まえてみないと分からないわけですから、ここで政吉を捕まえれば、町方と衝突することになりますよ」

「上等ではないか。もはや、これは戦(いくさ)じゃ、こちは喧嘩を売られたのだぞ。買ってやろうじゃないか」

「そこを押さえて」

 清次郎は、寺社のふたりが揉めているのを無視して、宋左衛門に言った。

「ここは、拙者と惣太郎殿ですぐに寺に戻り、状況の把握と、おはま及びおはまを連れ去った盗賊の探索にあたります。もし政吉の一味だとすれば、おそらく中仙道を下って江戸に入るはず。運良くば、鉢合わせになるやもしれません」

「うむ、頼むぞ、ふたりとも」

 清次郎と惣太郎は、すぐに旅姿になり、郷役とともに奉行所を飛び出した。

 走りに、走りに、走った。

 飯も、飛び出す前に奉行所で握ってもらった握りを走りながらむしゃっぶり、川が見つかればそこで咽喉を潤し、夜も走り続けた。

「立木殿、もし怪しいやつらを見かけたら、知らせてください。特に駕籠は要注意です」

「分かりました」

 惣太郎は、月明かりを頼りに、辺りに注意しながら走り続けた。

 残念ながら、郷に入るまでそれらしい連中を見かけることはなかった。

 郷は、祭りのような大騒ぎになっていた。

 東照神君由縁の地である郷に押し込み強盗である。しかも、満徳寺が狙われた。役人だけでなく、百姓まで怒り心頭である。

 郷のあちらこちらから、

「見つかったか!」

「こちらはいないぞ。そっちはどうだ」

「ここもおらん。くそっ、どこに行きやがった。見つけたら、ただじゃおかんぞ」

 と、怒声が飛び交っていた。

 惣太郎たちは、何はともあれ、満徳寺へと戻った。

 声をかけると、槍を手にした嘉平が慌てて出てきた。惣太郎たちの顔を見るなり、涙が零れそうになったのをぐっと堪え、目を真っ赤にしたまま、

「中村の旦那さま、惣太郎坊ちゃま、真実(まこと)に面目ござりません。立木の旦那さまがお留守に押し込み強盗に侵入を許すとは、この嘉平、一生の不覚でござりました。このお詫びは、腹を切って」

 と、いまにも槍で腹を突き刺しそうだったので、慌てて得物を取り上げた。

「嘉平、おぬしは大事ないのだな。ならばよい。よく、寺や家族を守ってくれた。礼を言うぞ」

 清次郎が頭を下げると、嘉平は堪えていたものが一気に弾けて、声を押し殺して泣き出した。

 磯野新兵衛は右腕を負傷していた。袖を捲り上げ、布を巻いた腕を、足軽が刀傷を誇るように見せながら、少々引き攣ったような笑みを零した。

「女子どもを守るのが精一杯でありました。申しわけござらん」

「いや、無事でなにより。深手を負ったと聞きましたが」

「なに、こんな傷大したことはありませんよ」

 と言ったのは妻のやえで、彼女はがはがはと笑いながら、夫の傷口をぽんと叩いた。だが、やはり押し込み強盗に入られた興奮はいまだ冷めないようで、頬が上気し、声も震えていた。

 やえの背後には、娘のたえとさえが隠れている。よほど怖かったと見え、ふたりとも涙目で、ぶるぶると震えていた。

 惣太郎の母も、大抵のことは落ち着いているのに、珍しく動揺していた。

「惣太郎、おはまさんが、おはまさんが」

「分かっております、母上、落ち着いてください。大丈夫です、おはまは必ず見つけますので」

 一同騒然とするなか、妙に落ち着いているのが、清次郎の妻由利である。彼女は、夫に押し込み強盗が入ったときの状況を事細かに説明した。

「私の見た限り、犯人は3人でした。顔までは分かりませんでしたが、ひとりは背丈の高い、ひょろっとした身体つきでした。もうひとりは小太りで、あとのひとりは私よりも少し高いほどです」

 由利が説明をしている最中、新たな知らせが飛び込んできた。

「大変です。女の死体が、川縁で見つかりました」

 清次郎は、「くそっ!」と吐き捨て飛び出し、惣太郎もすぐさま後を追う。

 小さい頃から苦労のしどおしで、何も良いことはなかった人生。

 でも、

 ―― 小さな幸せで良い………………

 そう願った女の最期が、これか!

 惣太郎は、天を呪い、地を呪い、政吉を呪って、寺役人としてなにもしてやれなかった自分たちを呪った。

 川辺には、男衆が集まっていた。その円の中心に、女の着物が横たわっている。

 ああ、あれが哀れな女の末路か!

 そう思ったとき、頭がくらくらとしてきた。

「女の死体はそれか」

 清次郎が尋ねた。

 男たちは顔を見合わせる。

「中村さま、死体じゃありませんよ、女の着物ですよ」

「しかし、死体があがったと聞いたぞ」

「いえ、誰がそんなことを。ああ、茂三(しげぞう)の馬鹿が、また勘違いしやがったな。あいつは、すぐに早とちりする。違います、女の着物です」

「そうか」、清次郎はほっと息を吐いた。

「それで、この着物なんですが……」

 ぐっしょりと濡れている。川の中ほどで、石に引っかかっていたらしい。

 しかし、これがおはまの着物かどうか、惣太郎と清次郎には皆目検討がつかない。こんな着物だったといえばそうだし、これじゃなかったといえばこれじゃないようだし……。

 そこに由利がやってきた。

 清次郎が着物を見せると、一瞬目を瞑って、「間違いありません。おはまさんの着物です」

 と、小さな声で、しっかりと答えた。

「そうか……」、清次郎は流れゆく川を眺めながら、「男たちに川へ投げ込まれたか、それとも、我々の眼を誤魔化すために、着物だけ捨てたか、いずれにしろ、もう少し辺りを探索する必要がありますな、惣太郎殿。惣太郎殿?」

 清次郎の声が、わんわんと木霊する。

 お日さまがぐるぐると回っている。

 辺りが徐々に暗くなって、どんどん視界が縮まっていく。

「惣太郎殿、そう……どの、そ……」

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